カセットの中のトポロジー

「では弟よ。これは世界地図だと主張するわけだな」
「そうやろ」
 1988年の、春のことだった。私たち兄弟は、またもファミコンを囲んで議論をしていた。今度は差さっているのは「ドラクエ3」のカセットだ。

「ドラゴンクエスト1では問題は無かった。ドラクエ2には多少問題があるが、まあ、架空の世界のことだ。しかし、ドラクエ3では決定的な間違いと言うしかない。これは世界地図とはいえないのだ」
「なんのこっちゃ、わかるように言うてえな」
「よろしい。では考えてみることにしよう。この『ドラクエ3』は、途中のクライマックスまでは、世界地図に似たマップの中を冒険することになる。オーストラリアの位置にあたる『アリアハン』から出発して、ヨーロッパから中東、さらにアジア、アメリカへと、世界を一周して敵の本拠地を目指すのだ」
「せやな」
「地図は、まあ大体現実の世界地図そのものと言っていい。ところどころゲーム上の都合ではしょったり変形させたりしてあるところはあるがな」

 私は、ファミコン雑誌を取り出すと、マップを広げた。画面写真を手作業で繋ぎあわせた物らしくあちこちに継ぎ目が見える。DTPが当たり前になった現代から考えると奇妙なものだが、当時はこれが普通だった。
「さて問題は、これが現実世界の地球と考えていいかどうかだ」
「そら、そうやろ」
「ところがそうではないのだ。このマップは、世界地図をしかるべき図法で書いたように見える」
「うん」
「しかし、決定的な違いが一つあるのだ。いまから説明してやろう。そもそも、船を使うと、ぐるりと地球を一回りできる。船だと大陸を迂回する必要があるから、まあナニを使ったとしよう」
「『不死鳥ラーミア』やな」
「こらこら。ネタばらしになるようなことは言ってはいかん。まだやってない読者がいたらどうするのだ」
 私は慌てて言った。裁判ざたになったのはドラクエ2だが。

「わかった。ごめん」
「おほん。まあ、そのナニを使って地球を一回りする」
「うん」
「まず、アリアハンから東へ飛ぶ。オーストラリアから、といってもいいが。やがて南アメリカが見えてくる。次に大西洋を越えて、アフリカ、インド洋を通過してもとのアリアハンだ」実際にやってみているわけではない。地図上を指でなぞっただけだ。本当にこれをやると数分かかる。それなりに広大なマップなのである。
「そうやな」
「これが大圏コースではないとか、そんなムチャは私も言わない」大圏コースとは、サンフランシスコにいちばん近いのは新潟港とか、そういうアレである。ゲームでこれをやったら複雑に過ぎるだろう。

「問題は、南北に飛んだ場合だ」
 今度は地図上を縦になぞる。
「アリアハンから北というと、あまり面白いものはないが、太平洋を横切って、北極海、それから南極に出て、もとのアリアハンに戻ってくる。なにかおかしいところはないか」
 弟は、けげんそうな顔をしている。
「本当の世界地図では、こうはならん。北にどこまでも進むと南から出てくるということは無いのだ、本当は。北に進み続けると、マップの反対側を南下している、ということにならないとおかしいのだ」
「ああ。せやな」
 弟の目に理解の光がともる。
「でも、それはゲームやから」
 このころのロールプレイングゲームはほとんどこの、左右、上下がつながったマップを採用していた。

「ゲームだから、ではない。なあ、こういう法則が成り立つドラクエ3の世界はどんな形をしていると思う。地球と同じように球だと思うか」
「え、球やろ」
「違うのだな。まず、四角い紙の左右を繋ぐ。すると筒ができるな」
 私は、メモなんかをとるために使っていたザラ半紙(なぜか私の家には昔からやたらとこの落書き用紙があった)を1枚とると、くるりと丸めた。太い円柱が出来る。
「これはつまり、東に進み続けると、西から出てくる、っていうことだ」
 一点に指を置いて、円柱の表面をぐるっと一回りさせてみる。
「わかる」
「よし。で、今度は筒の上の端へずっと進んでいく。どうなるかというと、下の端からでてくるわけだ」
 弟は、うなずいた。
「円柱の上下はつながっているんだ。つまりこの円柱を、これは紙だから出来ないが、ぐるっと丸めて、上の端と下の端を繋いだような世界だということだ。こうして出来るのは、ドーナツ型だ。トポロジーの言葉で、これをトーラスという」私はブルーバックスなどを愛読していたおかげでこのような言葉を知っているのだった。もっとも日常生活で使ったのは生まれて初めてである。

「…」
ピンと来ていないようだ。
「つまり、ドラゴンクエスト3で、我々が冒険している世界を、宇宙から見るとドーナツ型をしているのだ。そうでなければ、このマップは説明できん」
 昼夜がどうなっているかとか、太陽はどこにあるかとかの説明はなしである。どの道、呪文ひとつで昼夜が入れ替わってしまうような世界なのだ。問題ない。
「…そう、なるんかな」
「そうなるんだ。どうしてこの『ドラクエ3』の世界が地球と言えないかわかっただろう。いくら陸地の形が似ていても、ドーナツ型の世界など地球と言えるものか。所詮異次元。オトギバナシの世界なのだ。何が『アレフガルドの秘密』だ。おとぎ話の世界の成り立ちをおとぎ話で説明するようなものなのだ。ちゃんちゃらおかしい」
「ほんまや。おもろいなぁ」
「うむ。友達にも教えてやるがよい」
 私は会心の笑みを浮かべた。
「うん、そないするわ」
 弟は慌てて靴を履くと、駆け出していった。うむ。若いというのはいいことだ。元気があってよろしい。

「さて、と」
 邪魔者を片づけた私は、ファミコンのスイッチを入れた。ぼうけんのしょ3を選ぶ。
「今日こそ幸せの靴を見つけるぞ」
 勇者おおにしの伝説は、今まさに完結しようとしているのだった。


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