おまえ一〇〇まで

 ふわあ。このアップルの新PowerMacintosh G3のカッコよさはどうだろうか。iMacが発売されたときや、月々二三〇〇円というキャンペーンをアップルが始めたときも気持ちがグラグラ動いたものだが、今度のデザインにはもうお手上げである。欲しい。好きだ。ラブラブ愛している。えっ、もう発売してるって。なにっ、二一万円だって。貯金を下ろせば買えないことはないっ。うおお。

 マックに限らず、近ごろのパソコンは本当に安くて高性能になったものだが、しかし、今一歩踏み出せずにいる理由はあって、現資産をちゃんと引き継げるかどうか、という問題があるのだ。いま使っている機種のための投資が無駄になったり、周辺機器が使えなくなって今の環境より不便になってしまったりするとちょっと困る。

 これをお読みの方は何らかの形でパソコンをお使いだろうから、特に古くからのユーザーは痛感されていることではないかと思うが、こういうパソコン関係の機器の寿命は必ずしも一様ではない。まず始めに一セット買いそろえたとする。パソコン本体、モニター、プリンター。さらにキーボードやマウスも場合によっては新たに買うことだろう。外付けハードディスクやリムーバブルディスクもバックアップ目的に必要だ。人によってはMIDI音源やスピーカー、スキャナーやデジカメなんかも買うかもしれない。さて、これらすべてが永久に使えればいいのだが、もちろんそうは行かない。
 キーボードとマウスはいつか必ずガタがくる。プリンターも故障しやすい周辺機器である。ハードディスクは運が悪ければある日突然クラッシュして二度と立ち上がらない。本体内蔵のフロッピードライブも消耗品に数えられる。モニターはゆっくりとピントが甘くなってゆくことが多いし、デジタルカメラは落として壊してしまったりする。プリンター、ドライブなどの物理的に動く部分がある機器は、可動部分がないものに比べて長持ちしない傾向にあるようである。つまり部品によって寿命が違うので、まだ使える周辺機器はぜひ次の環境でも使いたい。USBやらFIRE WIREなんてなければすぐにでも移行するのだが。

 そこへいくと人間の体というのはうまく出来ていて、人間の体を構成するいろいろな器官は、だいたい本来の寿命が尽きた時点で、あらゆる部分にガタがくるようになっている。目、耳、歯、脳、消化器官、循環系、筋肉、骨格といった器官は、百年ほどの期間を経ると多かれ少なかれ性能を落としてしまう。もちろんそれまでの早い段階で部分的に故障が起きることも多いわけだが、あくまで平均的には、これらの器官は百年ほどの寿命を持っているといえる。
 これはつまり、はじめに約百年の耐久性能を持たされて作られているのである。部分的に、たとえば目だけは千年の使用に耐えるような構造になっていたとしても、意味がない。それに費やすエネルギーは無駄になってしまうことになる。そこで、進化の過程をたどるうちにすべての器官の耐久性能がだいたい同じくらいに落ち着くことになるのだろう。

 さて、百年という寿命があることは、ある程度私たちの行動にも影を落としている。たとえば、危ないと思いながら交差点を、歩道橋ではなく道路を横断することはないだろうか。一度渡るたびにあるリスクを我々は背負っているはずだが、これは百年という寿命に対して大きすぎるリスクなのだろうか。

 大体一人の人が一日に二〇の交差点を渡るとして、1年で渡る交差点の数は約七千となる。一方、交通事故で死亡する歩行者の数は一年につき約三千人である(他に自動車乗車中四千人、自動二輪千人、原付五百人、自転車千人で合計一年に日本中で一万人ほどが交通事故で死亡する、というような統計になっている)。これがすべて道路の横断中の事故死というわけではないが、いまは議論のためそう仮定しよう。三千人割る一億二千万人割る七千回ということで、道路の横断中に死亡する確率は、一度の横断につき三・六かける十のマイナス九乗ということになる。

 一度きり渡るだけなら、この賭け率は悪いものではない。しかし、毎日毎回この確率が適用されるということを忘れてはいけない。もし我々が千年の寿命を持たされているとしたらどうだろうか。一生の間、毎日二〇回交差点を渡り続けると、交通事故によって死亡する確率は二・五パーセントに増える。およそ四〇人に一人が寿命を迎える前に交通事故によって死亡することになるのだ。さらに、一万年の寿命があるとすると、死亡率は二三パーセントにもなってしまう。どうだろう。これでも歩道橋をショートカットしたいと思うだろうか。あなたの祖父母のうち一人が車道を横断しようとして亡くなっているというのに。

 しかし、もちろん百年の寿命しかない我々にとって、一生かかっても道路の横断によって死亡する確率はわずか〇・三パーセントに過ぎないのである。考えてみれば、そういう意味では、歩道橋は我々の寿命にとってやや安全性が高すぎるのではないだろうか。わざわざ歩道橋を上り下りすることによって得られる平均寿命延伸は、わずか四ヶ月に過ぎない(〇・三年)。一生のうち歩道橋のある交差点を一日平均五つ渡り、それぞれの歩道橋の上り下りに1分むだ遣いするとすると、大体一生で三ヶ月を歩道橋の上り下りに費やすことになる。現実もそうなっているのではないだろうか。つまり、歩道橋を渡る価値は、あまりない。

 いつものように、この理論を信用して車道を渡ることによってあなたもしくはその仲間が損害を被っても、当局はいっさい関知しないのでそのつもりで。健闘を祈る。なおこのページは百年以内に、自動的に消滅する。


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