冴えたやり方

 世の中には、本当はそうなっていなければならない理由など一つも無いのに、昔からそうだという理由だけで決まっている物事が多い。普段暮らしていて何の疑問にも思っていないことでも、場所によっては全く違った方法をとっていて驚くことがある。端的にそれを感じられるのが海外旅行(もっといいのは、旅行ではなく、外国への滞在)である。たとえば交通ルールのような決まりごとについて、自国とは別の、しかしよく機能する解決方法が取られているのを見ると、外国旅行は外国の文化を理解するというよりも自国の文化について考えさせられる契機となることも多い。
 身近なところでは、マックとウィンドウズ両方を使っていると、設計思想の違いというか、あえて変えてあるところというか、両者の違いに戸惑いを感じることがある、たとえばマッキントッシュでは、繋いであるハードディスクのアイコンは画面の右上の端に並ぶ。私はこれをあまりに当然と思っていたので、ウィンドウズ95で、ドライブなどが収められたアイコン「マイ コンピュータ(本当は半角)」が左上にあるのを見ると、まるで左ハンドルの車を見るようで、大いに違和感を感じたものである。
 そう言えば、私がウィンドウズでスタートボタンからメニューを上へ「プルダウン」するのになじめないので、私のマシンではタスクバーを上に移動させてあるのだが、こうして使っているうちにいろいろなウィンドウの初期位置がどんどん上に上がっていってしまうことに気がついた。最終的には全部タスクバーと重なるようになってしまうのだが、そのへん他のユーザーの方々はどうされているのだろうか。タスクバーを上になんて持ってゆかないのか。ごもっとも。

 そんな話はどうでもよいのであって、本題である。この前、自分のアパートのトイレのトイレットペーパーホルダが壊れた。トイレットペーパーのホルダのことを一言で言って何と呼ぶか知らないのだが、とにかくあの、トイレにあって、トイレットペーパー巻きをセットし、引き出したりちぎったりできるようにしてあるプラスチックや金属製の製品である。トイレットペーパーホルダという呼び方は長ったらしいので、なにか本当の呼び方があると思うのだが、ええい、ここではトホと呼ぶことにする。トホに決定。
 いったい、その「トホ」は壊れうるものなのか、という感想をあなたは持つかもしれない。壊れうるのだ。現に壊れたのである。このトホは、樹脂製なのだが、空になった古い芯を取り出して新しいペーパーを補充するときに、芯を保持するアームを弾力を使って少々曲げる必要がある。ペーパーを交換していたらアームが根元からバキと折れたのだ。
 折れたところを調べてみたが、そもそも折れるような部品ではない。古くなっていたのは確かだが、こんなものは一生使えてしかるべきものなのだ。設計ミスか。樹脂の経年変化か。力まかせにアームを曲げた私のせいなのだろうか。いや、誰のせいでもなく、運命だったのだろう。

 この「トホ」というのは普段なんら積極的な役割を果たしているわけではないので、無ければないでどうにかなるものだが、やっぱり壊れたトホが取り付けられているというのも見栄えが悪い。しかし、買いに行くのはいいが、いったいこういう物はどこに売っているのだろうか。ちょっと悩むところである。日曜大工用品なんかを売っているところなら確実にあるのだろうが、私の住んでいるあたりにはそういう店は見かけない。他の買い物のついでなどにのぞいてみたが、駅前のIY堂にはとりあえず無く、昔ビデオデッキを買った電気屋もそういうものは置いていないとのことだった。なんと情けない街か和光市は。たったこれしきのことで休日に東京まで出なければならないのだろうか。情けないが、しかたがない。私の中でトホ問題は未解決のまま、日常に埋没しつあった。

「これからぁ、はじまるぅっ。あたらしーいほにゃららー」
 そんなある日、鼻歌を歌いながら自転車に乗っていた私は、ふと、見慣れない看板を見つけた。街道沿いに、大きなスーパーマーケットがある。看板はその店のものである。いや、これまでもこの店は目に入っていたはずなのだが、あまりに古ぼけていて、看板を照らす照明がうす暗く、かつ看板の塗装がはげかかっていたため、目にとまらなかったものらしい。店の名は、ここではイニシャルだけ記す事にするが「ディスカウントスーパー・J」と書かれている。ディスカウント。なるほど。
 そういえば、これはスーパーだったのだ。もうかなり遅い時間にもかかわらず、まだ営業しているらしい。私はちょっとした気まぐれで、自転車を止めると、入り口をくぐった。

 まず、入り口から中をのぞき込んだ瞬間に後悔しかかる。そこに積まれていたオレンジの買い物かごが、一つ残らず黒ずんでいたからだ。汚いというのではないが、古臭いのである。近くにはいきなり缶コーヒーの段ボールが積み重ねられ、よく「価格破壊の自動販売機」で見かける得体の知れないメーカーの清涼飲料水がずらりと並べてられている。一缶六五円というような値段で販売しているようだ。確かにディスカウントであるが、まっとうな店なのか、それとも一瞬だけこういう商売をしてすぐ店をたたむ、バッタ屋のようなところなのか、判断に苦しむ。そういえば、自転車を停めた駐車場も、舗装などまったくしていない、ただの空き地だった。

 だいたい、通路が狭い。かごを持った二人がすれ違うことができない所もある。通路を見渡して、人がいたら、そこには入らない方がいいのである。またあるところでは、棚からトイレットペーパーの山が崩れて通行不能になっていたりする。さながら魔境探検のごとしである。私はまるで外国の市場に迷い込んだような印象を受けた。普通はもう少し売り場に店員を配置するものだと思うが、全く無人の店内を一人さまよっているような感覚である。かくてもあられけるよ。なるほど、このようにしてもスーパーは営んでゆけるものなのだなあ。

 普通のスーパーとは全く違う商売のやり方に衝撃を受けながらも、中を歩き回るに連れて、だんだんと飲み込めてきた。販売以外のすべてのことに注ぐ力を省略して、安くしているということなのだろう。はげかかった看板や、雨が降ると泥田になりそうな駐車場も、それでうなずける。カゴが汚いのも、計算かもしれない。商品の並べかたは適当で、棚の最上部には段ボールが積み重ねられ、掃除はあまり熱心にはやっていないようで、棚自体どうしようもなく古ぼけている。いずこからか中古でもらってきたものだろうか。しかし、それもこれも、安く売るためだとすれば、理解できるというものである。商品は、生鮮食料から電気器具まで多岐に渡っている。展示法がそんなだから、商品もすべてなんとなく古ぼけているように見えるのだが、それはまちがいであって、いちおう新鮮なものが並んでいるようだった。ただ、恐ろしく古い展示冷蔵庫に入ったハムやソーセージにはやっぱり手が伸びなかったのは確かである。

 なにも買わずに出てゆく気になりかけていたのだが、ラジカセや洗濯機まで売っているのを見て、ふと、懸案のトホがないかと探してみる気になった。うろうろしてみる。トイレの水まわりの品、洗剤や掃除道具などが置いてある所がちゃんとあるのだが、そこを探すと、はたして、半分に切った段ボールの中にそれが積み上げられているのを発見した。私がそれを買ったら同じ物はもうないという怪しさであるが、とにかく目的の品だ。こうなっては、これ一つ買うというわけにはちょっといかない。食品を避けつつ、なるべくダメージが少なそうな、歯ブラシとかガラス用洗剤を選んでレジに持ってゆき、清算した。

 このまま買い物が終了していれば、怪しげな店としての印象しか残らなかったはずだが、予想を裏切られたのは、レジの女子高生っぽい女の子がひどく丁寧で、そこらの、端的に言って隣に建っているコンビニの店員なんかよりもよほどいい印象を受けたことである。寂しい人生を送っているからか、女性にちょっとやさしくされると凄くいい印象を受けてしまうのである。オスだなオレ。
 さらに、買い物の合計が千六百円。さすがに安い。やはり買い物は最後の印象がすべてを決定するもので、私はこのディスカウントショップにまた来ようと決意しつつ、店を出たのであった。

 と、ここまで書いて、買ってきたトホと取り替える作業に入って、しかも挫折したところである。ネジの位置が違うので、取り付けることができなかったのだ。設計ミスか。アパートの工事のミスか。ちゃんと確かめずに買ってきた私のせいなのだろうか。いや、誰のせいでもなく、運命だったのだろう。ともあれ、他のタイプを探すために、予想通りすぐまたこのディスカウントショップにゆくことになりそうである。トホホ(予想を裏切らないオチ)。


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