何かを探して

 人間には二種類ある。すぐ物をなくす人間と、なくしても気がつかない人間である。

 人間であるかぎり、身の回りのものを一つも紛失せずに生きてゆくことはできない。昨日ここに置いたはずのものが、もうない。そういうことは誰にでもあると思う。あまりに物をなくすことが多いので、昔の人はこれを妖怪の仕業だと思い「ものかくし」という妖怪を考えたほどである。私のアパートにも、この「ものかくし」は跳梁している。たとえば、私が消耗品以外で一番たくさん買うものというと本になるが、あの本、どこにやったっけな、と必要に迫られて探しはじめて、結局見つからないなどということがよくある。私は買ってきた本を、「超整理法」という本で読んだ方法、つまり買った順に段ボール箱に上から積み重ねると、新しいか古いかによって自動的に上下に整理されるという優れた整理法で片づけているのだが、なんというか、こう、うまく言えないが、なにか欠陥があるらしく、目的の本が見つかることはまれである。本で読んだ限りではなかなか便利そうなのだが、私の部屋では十分に機能していない気がする。そういえば、「超整理法」の本自体もどこにやってしまったのか。

 さて、以前から財布を落としたり、自転車の鍵をなくしたので錠前を分解したら警官に職務質問されたり、そういうエピソードには事欠かない私であるが、今年になってひどくつまらない、しかし重要なものをなくした。電気ヒゲ剃り機の、充電コードである。これがどこに失せてしまっものか、あるとき突然見つからなくなってしまったのである。ヒゲ剃り機の本体はなくしたわけではないのに、内蔵の充電池が切れたためにただの文鎮としての価値しかなくなってしまった。代りのコードを買ってこようにも、ちょっと特殊なコネクターになっているため、なかなか代替品が見つからない。このヒゲ剃り機は、奮発して2万円もする高級機を買ったものであって、さらに替え刃を買ってその切れ味に満足の笑みを浮かべたりしていた直後の出来事である。悔やんでも悔やみきれない。

 泣いていても仕方がない。とりあえず充電コードはまたいつかメーカーに注文すれば手に入るだろう。問題は、このザラザラに伸びたヒゲをどうやって剃り落とすか、ということである。もう一台電気ヒゲ剃り機を買ってくるという解決策は、私の中の何か「漢」とでもいうべき部分が許さない気がする。そこで私は昔ながらの剃刀によるヒゲ剃り生活に入ることにした。

 実のところ、私はこれまで剃刀を使ったことがないわけではない。しかし、貧乏で満足なヒゲ剃り機を買えなかった一時期をのぞき、可能ならばたいてい電気ヒゲ剃りを使ってきた。
 私が中学生の時だ。まだほとんどヒゲなんて生えちゃいなかったのだが、それでもちょろちょろと二、三本あごに出てきた頃の話である。私は、祖父の剃刀を使って自分のヒゲを剃った。ちゃんと泡を立てて、あごに塗り付けてから剃ったのだが、どういうことか、ざく、と刃が顎に突き立ったかと思うと、たちまち石鹸の白い泡がピンクから深紅に変わった。慌てて顔を洗ったが、恐ろしいことにこの時の傷跡はまだ私の顎の下にうっすらと残っている。散髪屋の使う剃刀は、それほどに怖い。みんなも気をつけよう。

 ファーストインプレッションとしてそんなことがあったので、電気でないヒゲ剃りは今一つ疑いの目で見てしまう癖がついているのだが、さすがに昨今のこの分野、電気ヒゲ剃りというライバルとの、さらには剃刀同士の際限のない競争が生んだ技術革新の末に、この剣呑な作業が、猫でもネコザメでもウミネコでもネコヤナギでもネコジャラシでもできるほど簡単なものになっているようだ。ベリー切れてない、というやつである。

 私はスーパーでこの剃刀と泡を買いこんでくると、早速この剃刀を試してみることにした。泡を顔に塗りつけると、深く息を吸う。剃刀を顎に添わせ、ずー、と引っ張ってみる。おお、剃れている剃れている。わはは。簡単だ。作業することしばし、たちまち顔がつるつるになった。よしよし。私は顎を撫で、つるつる感を楽しむ。つるつる。つるつる。ぬるぬる、おや。恐る恐る手を見てみる。うわ、赤い。真っ赤だ。やっぱり切れている。うああ。ベリー切れてないのじゃなかったのかこのマイク・ベルナルドめ。

 顎の下なので、鏡でうまく見えなかったのだ。ああ、ネコジャラシでもできる作業に失敗してしまった。傷は浅いが、広めに切ってしまったからか、血がなかなか止まらない。ぽたぽたと血が洗面台に垂れる。このまま、顔から血を流しだして出血多量で死んだらみんなに何と言われるだろう。それはないか。あああ、でも、まだ止まらない。

 いや待てよ。私は思いだした。魔法の薬品を買っておいたのだ。小林製薬の「薬用チピタ」。5グラム入りという、プラモを買ってくると付いてくる接着剤のような小さいチューブに入った薬だ。なんと、これを塗り付けると血がたちまち止まるらしい。血がたちまち止まるといえばガマの油だが、最近生産をやめたそうです。知ってましたか。っていうか、今まで売っていたのですか。あいや、そんなことはどうでもいい。今は「チピタ」だ。あまりといえばあまりの名前に感動して買っておいたのだが、いよいよ役に立つときが来た。あれがあればもういくら切れたって平気である。

 私は、傷口を押さえたまま、チピタを探しに洗面所を出た。ぐずぐずしていては私の生命の基なる大切な血が無駄にどんどん荒川右岸流域下水道終末処理場に流れていってしまう。「チピタ」、「チピタ」、と。以前買って、どこかにしまったはずだが、どこにいったのだろう。見つからない。

 血にまみれた手で引き出しを引っかき回しながら私は思った。ああ、つまり、私が、すぐ物をなくす人間なのである、というオチなのかこれは。


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