言葉使い師への勧誘電話

 早く仕事が終わって、珍しく夕方部屋で過ごしていたら電話が鳴った。はてな、誰だろう。

「はじめまして。トライアック・ジャパンと申します。このたびは、大西様に素晴らしいキャンペーンのご紹介をさせていただいておりまして」

 あいたたた。出るんじゃなかった。

 こんなに型通りの勧誘も珍しいと思ったが、ここまで類型的でなくても、受話器を取って、相手の第一声を聞いた瞬間に、勧誘電話だということはわかるものである。あとはそれをいかに断るかということに、さんざん頭を悩ませることになる。もちろん、こちらはいつでも受話器を置くことができる。「いま忙しいのです」と嘘をついて相手の言葉をさえぎってもいい。お好みなら、もっと乱暴な言葉を投げつけてもいい。「ばーか」と言って切っても、本当は構わないのだ。向こうはそれだけ無礼なことをしている、と考えることだってできるのだから。

 しかし、それはやはり敗北ではないかと思うのである。あなたはどうだろうか。そういう勧誘に対して、冷淡な言葉のみで断固とした手段を取れるだろうか。私に関して言えば、そうすることもできるのだが、後でなんだか嫌な後味が残ってしまう。電話をかけてきた相手に感情移入して、同情する必要などないのだが、弱い心の持ち主である私は、つい相手の話の腰を折ることができないのだ。電話の向こうが誰だかは知らないが、無用の敵を作ってしまうことにならないかという恐怖心もある。
 暴漢に襲い掛かられたときの撃退法を研究する護身術は、自分がいかに傷つかないかということを主目的として構築される。襲ってきた敵を倒したところで、こちらには一文の得もないのである。そういう場合の体術は、いかに自分が傷つかずに効率的に相手の攻撃をかわして無力化するかということに主眼が置かれるわけだ。この勧誘電話とのやり取りも、よく考えてみればそういう戦略が要求される。勧誘にひっかからなくて当たり前。いかに嫌な気分にならずに済ますかということを考えるべきなのだ。

 相づちをうつ私に勢いを得て、相手はまだしゃべり続けている。
「このたび、こちらの沿線にスポーツクラブを開業することになりまして、会員になっていただけますとこの利用料や、提携する各地のスキー場などが大変お得な価格でご利用いただけることになっております」
 いよいよ、怪しい話以外の何物でもない。だまされる人、いるのだろうか。いるのだろうな。

 以前、駅で電車を待っていたら、宗教の勧誘らしきものに誘われたことがあった。「素晴らしい教えを聞きに行きませんか」というようなことを言われた。気分が滅入っているときにこのようなことを言われると、本当に嫌な気持ちになる。断るために神経をすり減らすのがかなわない気がするのだ。考えてみれば、相手は本当に善意で私に薦めてくれているに違いないのである。
 正直に「いいです」とだけ言うのは辛い。かといって冗談めかして「私、物理学の徒でありまして、この魂は宇宙の真理と科学の進歩に既に捧げられております」などと言えるものではない。捧げてないし。ただ、この時は、たまたまなんだか気分が浮かれていたので、恐ろしくも「仏教を信じておりますから、異教の神を信じることはできません」と言って断った。宗教論争が始まったらどうするつもりだったのだ私は。なにしろこっちは本当は信じていないのだから、勝てないぞ、きっと。

「大西様はなにかスポーツをやっておられますか」
 と、電話の向こうから聞こえてくる声が、質問になった。飛ばしていた意識をハッと取り戻した私は、慌てて言う。
「え、や、そうですね、ジョギングをしてます」
 道具もいらない、お金もかからない、ジョギングです。芸のないことだ。私はまた少し、自己嫌悪に陥った。
「そうですか、私どものスポーツクラブの説明をさせていただきますと」

 そうか、相手を勧誘の人だと思うからいけないのだな。と、相手の長広舌を聞きながら、ふと私は気づいた。なにも、どこで断ろうかとか、何といって断ろうか、とばかり考えて悩む必要は無かったのだ。要するに人と人との関係なのだから、自分にとって納得できるものかどうか、確かめるつもりで受け答えをすればいいのだ。そして私は、実はそういうのなら、得意なのだ。

「というわけで、一度説明会にお越し願えませんでしょうか、本日これからなのですが、池袋の会場の方で説明会を開催する予定になっております」
「ちょっとお待ちください」
 と、私は初めて相手の言葉を遮った。
「はい」
「その前に、なにか資料のようなものを郵送ででもいただけないでしょうか、検討いたしますので」
 ちょっとした賭けではあった。相手が、そういたしますから住所を教えてください、ときたら、窮地に陥ってしまうのである。
「え、ですから、説明会会場の方にいらしていただければ」
 この瞬間、主導権を相手から奪った、と私は感じた。あとは、自分でも驚くほど、すらすらと言葉が出てきた。まるで言葉を自在に操る「言葉使い師」のように。
「いえ、やはりこういうことは、現地に出かける前に、比較検討を行いたいと考えておりますから、ぜひ資料か、またはパンフレットのようなものでいいのですが、ご送付願えれば恐縮です」
「…説明会の方に来ていただければご説明いたしますのですが」
「はあ、それでは、現状ではあまりにこちらの方で、情報が少なすぎまして、私の判断としましてはお断りするほかありません。誠に申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」
「いえ、その私どもは決して怪しいものではありませんで」
 相手の言葉をふたたび遮ると、畳み込むように、私は言った。
「はい、存じ上げておりますが、ただこちらといたしましては、電話の向こうのあなたが、本当に信頼できるものかどうか、それを判断する材料が少なすぎて、いかんとも考えかねます。ですから、残念ですが、お断りするほかありませんと申し上げているのです」
「あ…。その、失礼いたします」
「はい。では」

 どうにかうまく行った。勧誘電話とそれを断る私、ではなく、交渉する相手と私、という幻想を保ったまま電話を切ることができた。今回のところは、勝った。


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