スペインの雨は平野に降る

 先週のことである。いつものように本屋を訪れた私は、買い物を済ませて店を出た。冷たい雨が降ったり止んだり、という天気の日で、その時も雨が降っていた。濡れた傘を書店の玄関の傘立てに置いて新刊を漁っていたのだが、出口のところまでやってきた私は、傘立てのところで自分の傘を探している先客がいたのでひさしのところで立ち止まった。先客は、二〇代最初くらいの男で、その日のちょっと肌寒い気温にもかかわらず、黒いタンクトップにジーパンという恰好だった。

 彼は私に背を向けているからか、私には気がついていないようで、それにしても傘立てには四、五本しか傘がないのに、妙に時間がかかっていることは確かだった。私としては早く彼が傘立てを明け渡してくれないと自分の傘が探せないのだが、まあ、声をかけて彼をせかすほどのこともない。実際、それ以上じりじりするほどの間もなく、彼は傘立ての傘の一本を抜き取ると、去ってゆこうとした。
「ちょっと、ちょっと待って」
 と、私は思わず彼に声をかけていた。
「それ、私の傘じゃないかと思うんですが」
 振り返った男が持っているのは、確かに私の傘だった。握りのところにちょっとした印が付けてあるのでそれと分かるのだ。

 今は解散したバンド、ユニコーンに「自転車泥棒」という歌があるが、実際身の回りにある悪事のうち、傘泥棒と並んでもっとも身近なものの一つが自転車泥棒だろう。いったい、自転車の盗まれ率というのはどれほどあるのだろうか。たとえば、自分のアパートに泥棒に入られたことのある人は今時そうあるものではないが、これに比べて自転車は私の友人に話を限っても盗難に遭った話を聞くことは多い。かく言う私も、自分の自転車を盗まれたことがある。

 前にここで書いたことがあるが、私は高校生のとき、かなり過酷な自転車通学をしていた。このとき使っていた自転車は、三年間でおおよそ二万キロ以上の距離、千時間以上という時間を共にしたのだが、あちこちの部品を交換しながら、大学生になってもまだ使っていた。ところが、大学生になって重労働から解放されたところで、その最初の夏に、この自転車が大学の自転車置き場から盗まれてしまった。まるで、やっと戦争が終わって国に帰ったら交通事故であっさりと死んでしまったベテラン兵士のようである。それにしてもこの自転車は、あまりに私の体の一部となっていたので、口笛を吹いて呼んだら帰ってくるのではないかと思うほどだったが、もちろん機械の悲しさ、そんなこともないのだった。物への愛は、かようにむなしい。

 自転車でも傘でも、自分のものが盗まれるというのはひどいダメージがあるものである。それからほどなく、同じ大学に通う友人の一人が、やはり同じように学校で自転車を盗まれた。私が生協で昼ご飯を食べていたら、その友人が殺気立ってやってきて、さっき自転車を盗まれたのだが、こんな自転車を見なかったか、と話し掛けられたのだ。ぎらぎらした目で「探す。探してやる。そんでもって、盗んだ奴見つけてぶち殺す」などと言っていた。実際、その後、獣の目をしながら、大学の近くの商店街をうろうろしていたらしい。「絶対見つける。殴り殺す」などとつぶやきながら肩をいからせて去っていった友人を見るにつけ私は、どんなことがあっても彼だけは怒らしてはいかん、と心に誓ったのだった。

 とはいえ、やはり自転車を盗まれたばかりの私に関して言えば、もしも自分の自転車に乗っている人を見つけたとして、走って追いかけ、飛び掛かって取り押さえ、一発二発と殴り付けられるかというと、それはかなり非現実的な情景に思えてならない。確かに私も、自転車を盗まれてしばらくは、他人が乗っている自転車や、駅前に並んでいる自転車に注意がいってならなかった。しかし、それで自分の自転車に乗っている人を見つけたら殴り掛かって捕まえられるというのはまったく別の話なのである。

「あ、いや、その、私の傘が持ってゆかれたみたいで」
と、私の傘を、今まさに持ってゆこうとしていた男は、言った。
 いかにも慌てていたのだろう。これでは、他人の傘を盗もうとしていた、と白状してしまったようなものである。「そうですか、間違えました」のように、ミスであって盗みではないと言い張るか、あるいは「なにを言ってるんですか、これは私のです」と「逆ギレ」するのが多分上策になるのだろうが、とっさのことで、正直に現状を告白してしまったらしい。
「そうですか」
と、私は言って手を出した。とにかく私としては、自分の傘を返してもらうことがなにより大事なことだった。大した傘ではないが、無くなると濡れて帰らなければならない。私がさほど怒っていないことがわかったのか、その男は私に傘を手渡すと、
「私の傘を盗んだ奴がいるんですよ、ひどいですよねえ」
と勝手なことを言った。もちろん私が「お前もな」と言えたかというと、そうではなかった。私は「へえ、それはお気の毒」と言ってその場を離れたのである。その男が、その傘立てから他の傘を持っていったかどうかさえ知らない。

 大変残念ながら、私の正義感と言ったら今やこんなありさまなのである。思えば、私の盗まれた自転車は、ついに発見されることはなかったが、それで良かったのかもしれない。犯人を見つけて現場を押さえたところでこの弱腰である。もし相手に居直られたら、ええどうぞ、乗っていってください、すいませんでした、なんて言ってしまったかもしれない。のみならず、言いがかりをつけてスイマセンでしたとなけなしの生活費までカツアゲされてしまったりするかも知れないではないか。かの友人と違って、あまりにも草食動物的な、事なかれ主義の私は、なんとか盗まれずに済んだ傘を広げると、そんなことを思いながら空を見上げた。冷たい雨は、あくまで降り続いているのだった。


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