お茶の間スーパーコンピューター

「こんにちはあ」
 と、他人行儀な声をあげて、弟が田舎から上京してきた。就職活動で東京の企業の試験を受けに行くため、兄のアパートに一泊しにきたのだ。
「おう、よう来たなあ。まあ入れ入れ。どや、麦茶でも。ビールもあるぞ」
 兄も国の言葉が出る。普段は『せやかてわい、江戸っ子やし』などと笑いをとるときしか使わない関西の言葉である。
「んん、ほなビールもらおかなあ。荷物、ここに置いてもええか。あ、これ、お土産」
「お。マグロか。酒のあてにええやっちゃな」
 別に故郷の特産品というわけではない。途中の駅で買ったのだろうが、こういう心遣いは嬉しいところである。

「うぁ、兄貴、えらいもん買うとるなあ」
 と、居間に入った途端、弟が目を丸くした。透明とちょっとメタリックがかかった黒のツートンカラー、「座布団」と一部で酷評されたデザイン。タワー型の巨大なパソコンが、部屋の事務机の上をどんと占領していたのだ。
「ふふうふ。パワーマックG4。発売ほやほや、や。でや。うらやましやろ」
 兄は、半分照れ隠しのようにそういうことを言う。自慢したい気持ちもあり、こんなことにお金をむだ遣いしたというのが恥ずかしくもあり、といったところだ。
「別にうらやましいことは、せやなあ。あるなあ。最新型やもんなあ。ああ、俺も欲し」
 弟もマックを使っているのだった。ただし、彼の持っているのは、貧乏な学生時代にバイト代で買ったLC630という、五年前の機種である。買った当時から一〇万円だったから、いずれ大した性能を持っていたわけではないが、五年使う間に周囲の世界の進歩は、CPUの動作クロック周波数で十倍を越えるまでになっている。
「前のはどうしたんや。青いやつ」
 そう、兄は一世代前のパワーマックG3も確か持っていたはずなのだった。
「あー、あれはな。売った」
「売るんやったら、くれや」
 と、弟は少し腹を立てて言う。弟には昔から兄の、ちょっとそういう、なんというか、情が薄いところが気に入らないのだった。弟は、一度パソコンを買ったら、壊れるまで使い続け、しかも強化し続けるべきである、と考える人間なのだ。現に彼のLC630は、メモリから始まって増設ハードディスク、ビデオカードにアクセラレーターと、こつこつとたゆまぬ強化がされており、最初の投資の、もう二倍以上をつぎ込むに至っている。
「すまん。どうしてもな。この黒いのがな」
 その気持ちはわからないでもないが。

「それで兄貴、このパソコン、何に使ことるんや」
 ビールが入って、ひとしきり近況を報告しあった後、弟の関心は再び兄のパソコンに戻ってきた。モニターは切られているものの、パソコン本体には電源が入りっぱなしである。ときどき、こりこりという、ディスクアクセスの音もしていた。
「んー。まずインターネットやろ」
「インターネット」
「それから写真を取り込んだりしている。あとはワープロと、年賀状の印刷やな」
 弟は、ビールの半分くらい入ったコップを口につけたまま、しばらくパソコンの方を見ていたが、
「それて、パワーマックG4である必要が、あるんか」
 と思い切ったように言った。だってそうではないか。ブラウザや電子メールソフトを使ったり、文章を入力するくらいなら、G4どころか、彼の改造LC630でも十分すぎるくらいなのだった。それは大げさにしても、速度でそれほど遜色は無いはずのG3から、わざわざ新しいG4に買い替える必要はないような気がする。
「まあ、せやけどな。あ、あとほら」
 兄は、席を立ってパソコンの前に腰掛けなおすと、モニタの電源を入れた。ぼうっと明るくなった画面に、やがて色とりどりのグラフが現れた。
「あ、SETI@home」
「せや」

 SETI@home(セチ・アット・ホーム)とは、アメリカのカリフォルニア大バークレー校というところがやっている、異星人探査プロジェクトである。SETIというのは「Search for ExtraTerrestrial Intelligence」、地球外知性の探査、の略だ。外宇宙から来る電波の中には、異星人のテレビやラジオの放送とか、彼方の同胞を探しての呼びかけが含まれている可能性がある。それは、地上にある電波望遠鏡(要するにアンテナ)で観測できているのかもしれない。厄介なことには、異星人はなにしろ異星人なので、どの方向から、どの周波数帯で呼びかけているのか全くわからない。例えて言うなら、ドラゴンクエストで、マップのどこかに宝物が隠されているから一歩ずつ歩いて「しらべる」で見つけよ、というようなものである。実際にはさらに、相手の言葉や通信手順もわからないので、「マップのどこかで隠しコマンドを入れる」というような、雲をつかむような仕事にならざるを得ない。

「確かに、速いなあ」
 と、弟は画面に表示されてゆく棒グラフを見て言った。
「うん、九時間くらいでひとコマ計算を終わるみたいや」
 そこで、計画されたのが、SETI@home計画である。これはぶっちゃけて言えば、インターネットによって結ばれた、全世界の暇なパソコンで、データを解析させてもらおう、という計画である。雑音のような電波の中から、意味のありそうな信号をより分ける膨大な計算(これは、観測された電波の生データに「フーリエ変換」という処理を行うことで判定される)を、データを細かく分割して分配して、それぞれのパソコンが計算することによって、天空の広い領域からの、広い周波数帯の電波を一気に解析してしまおう、ということなのである。データーは、スクリーンセーバー代わりに立ち上がるプログラムによって解析され、インターネットを通じて親コンピューターに送られる。現実、数カ月前にこのプロジェクトが実働をはじめてから、どんなスーパーコンピューターもかなわない速度で、世界中のパソコンから解析結果が寄せられつつあるということだ。

 しかし、これはまた、普段計算能力を持て余している暇なパソコンがある程度多くないと、またそういう暇なパソコンの持ち主が好意でその計算時間を分け与えてくれないと成り立たない計画でもある。目的が「異星人を探す」ということであるから計画に賛同する人も多かったろうが、これが「超重元素合成時の原子核反応の多体問題を解く」というような課題だと、とうてい他人のCPUパワーを貸してくれなどとは言えなかったことだろう。たとえこの問題が、人類のエネルギー問題を恒久的に解決するものであったとしてもである。もし、将来こういうプロジェクトが複数平行に走っている状態になったら、一般のユーザーがどの計画にスクリーンセーバー時間を割くかというのは、計画の表面的な興味深さによって支配されてしまうことにならないかと、少し弟は疑問に思っている。
「なあ、言うたら悪いけど、G4にした意味って、SETI@homeが速くなった、というだけとちゃうかなあ」
 と弟は、兄を見て言った。兄はばつが悪そうに頭を掻いて、ゲームにも使っている、とは言いにくくなったなあ、と思っている。
「それに、なあ兄貴」
 弟は、言葉を切って、コップのビールを飲み干す。
「なあ、もしかしたら、異星人なんていないんやないかな」


参考サイト:SETI@home
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