ありがとうを君に

 「世界の言葉」という一覧表があったりすると、最初に例文となるのはまず「ありがとう」という言葉である。サンキュー、メルシー、ダンケ、シェシェ、グラッチェ、グラシアス、スパシーボ。この手の言葉はやはり、世界中に普遍的にあるので、文化の横断面とするにふさわしい言葉ということなのだろう。他の言葉でよくあるのは「こんにちは」だが、挨拶は何でも共通というわけにはいかなくて、たとえば「いただきます」だの「ただいま」に相当する英語は特にないから、ここで日米を比較するわけにいかないのは明らかである。しかし、なぜだろう。どうして無いのか。「いただきます」がキリスト教を信じる家で登場する機会がないことはなんとなくわかるものの、アメリカの子供は学校から帰ってきたとき親に何と言って挨拶をするのだろう。黙って帰ってきたら不作法じゃないか。この疑問は本筋と関係ないので言うだけ言って捨て置いてしまうのだが、ともあれかうもあれ、まずもってお礼というのは挨拶に比べて大変必要性の高いものであって、やはり無意味な言葉が世界中にあるわけではないのである。

 さて、仮定の話で恐縮だが、あなたがスーパーで買い物をしたとして、レジのところに、奇妙な道具を見かけたとしよう。

 道具は、直径十センチほどの白くて丸いプラスチックの板に、長さ三十センチくらいの棒が付いたものだ。テレビでタレントが「七点」と点数を掲げる時に使うようなものである。これが、レジスターの横に、店員がいつでも手に取れるように置いてある。しばらくしてレジ打ちが済んで、支払いを済ませた後、ようやくあなたはそれが何であるか知る。店員が、こちらに向けてその道具を向けていて、そこには「ありがとうございました」と書いてあるのだ。

 というようなことがあれば、誰だって怒るか笑うかすると思う。もちろん、どっちになるかはその人の度量によるわけだが、つまりこういうことではないか、と私は思ったのである。まあちょっと聞いて欲しい。

 電車の駅の自動改札の、切符や定期券が帰ってくるスロットのところに、最近では小さなディスプレイが付いていることが多くなった。オレンジ一色に光る簡単なもので、乗り越し精算をして下さい、だとか、切符の磁気情報が壊れているから駅員さんに切符を見せて出て下さい、という意味の言葉が出て警告する目的のものである。入れた切符に何の問題もないときは「切符は回収されます」と出るので、ぼんやり生きている私は、よく、はっ、そういえばそうだ、と気づかされたりする。こういうのはいいのだが、鉄道会社によっては、ここに「ありがとうございました」と出ることがあるのだ。ご丁寧に、その下に「Thank you」と英訳が出ていたりする。

 これを見て怒るか笑うかする人はあまりいないとは思うが、これは、つまり「ありがとうフダ」と同じではないだろうか。利用者に対する感謝の気持ちを、そんなふうに機械化していいものかと思うのだ。
 英語の立て看板や貼り紙は、よく最後を「Thank you」で結んである。「飲み終わった後は、隣のクズカゴにお捨て下さい。Thank you」という具合である。「Thank you for your cooperation(ご協力感謝します)」と書いてあることも多いから、多分そういうことなのだと思うのだが、あらかじめ感謝を申し上げておきます、とか、ご静聴感謝します、という意味も含まれているのかもしれない。無機物がお礼を言ったとしても、こういうのは気にならないのだ。自動販売機やウェブサイトの自動応答システムなど最初から無人の商店が、からくり仕掛けの「ありがとう」を出すのも、しかたがない。しかし、駅の改札の場合は、それそこに、我々に感謝すべき駅員が控えているのではないか。

 利用者に対する感謝の気持ちといえば、コンビニやスーパーで、最後に「ありがとうございました」と店員がいうのも、いわば自動的な、機械に言わせているのと変わらない動作だと言ってもいいだろう。別に店員は、たまたまその店のオーナーがレジに立っているのでもない限り、客であるあなたにさほど感謝しているわけではないと思うのである。私のバイト歴では、接客業だけは経験がなくてわからないのだが、本当のところ、どうなのだろう。自動的にそう言っているうちになんとなく「真実の感謝の気持ち」がかもし出されてくるなんてことがあるのだろうか。

 とはいえ、虚礼だから廃止してしまえというわけではない。反対に、いざそういうお礼の言葉がないとすると、それはそれでおかしなものである。私がよく行くあるコンビニの店員は、そこでは社員教育でこういうことをうるさく言われないということなのだろう。「ありがとうございました、またお越し下さいませ」系統のセリフをほとんど言わないのである。一二五円のお返しです、などと言ってお釣りとレシートを渡して、あとは黙っている。一瞬、何とも言えない間が私と店員の間にあって、自分が締めくくりとしての「ありがとうございました」という言葉を待っているのだ、と気がついていつも、いわれない恥ずかしさを覚えてしまう。ないとやっぱり妙なのだ。もっとも、レジの、金額を表示するところにはちゃんと「ありがとうございました!/Thank you!」と出ているのだが。「!」じゃないよまったくもう。

 などと、駅員の無礼さを嘆くような文章を書いてしまったが、実は、大阪府の外縁部を走っている新交通システムである「大阪モノレール」の駅では、自動改札を抜けるときに、横で控えている駅員さんが「ありがとうございました」と挨拶してくれる。三人くらいで一遍に通ると「ありがとうございましたありがとうございましたありがとうございました」という調子である。十人で通ると。あ、いやもうやめます。しかし、これはこれで、とても、気恥ずかしいものである。やっぱりここのところは機械仕掛けでいいのかもしれない。

 とまれかうもあれ、このまとまらない文章を最後まで読んでくれてありがとうございました。


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