たとえばこんな女子中学生

 今朝、いつものように自転車で通勤していた私は、追い越した通学中の女子中学生達が、声を揃えて、
「まろんちゃーん」
と前を歩く友人を呼んだのですっかり驚いてしまった。ヱッ、マロンチャントイウノハ何ダ。残念ながら、速度の乗っていた私の自転車は、疑問を抱いた私とまろんちゃんを時速二十キロでたちまち引き離してしまったので、まろんちゃんがどんな子なのかという興味はついに満たされずに終わった。あだ名にせよ本名にせよ、とっぴな名前を付けるものである。

 人間のリズムというのは、だいたい自転車くらいの速度に合っているのかもしれない、自動車や電車などで通過するのに比べて、自転車に乗って街をゆくと景色の細かいところまでよく分かる、というエッセイをどこかで読んだことがある。これは、本当のことだが、嘘でもある。当たり前の話だが、自転車よりも徒歩の方がやっぱり物事はよく見えるのであって、自転車ほども速度が出ていると、見逃すことは思ったより多いのである。

 たとえばこんな話がある。私が高校生の時、自転車で通っていた街道沿いの商店に、看板があった。私は、自転車からその看板を見て、いつも「カレーの看板だ、ああ、腹減ったなあ」と思っていたのだが、ある日、自転車がパンクして、はじめてその近くで自転車を停めることになった。親に連絡を終えて、救援が来るのを待つ間、ふとその看板を見上げて、初めて私はその看板がカレーのものではないと気がついた。驚くべし、それは蚊取り線香の看板だったのである。ボンカレーと金鳥の看板は、確かに似ているが、違うものだ。それまでの思い込みがころっと覆されたのはまるで麦茶だと思って飲んだら蕎麦つゆだったような気持ちだった。まあ、私がボンクラであったというのもそのとおりなのだが、そのくらい、自転車から見た景色は当てにならないということではないだろうか。

 この高校生の時、なんでも同級生の一人が自転車で老人をはねてケガをさせたとかで、クラスぐるみで対人事故保険というものに入らされたことがあった。五十円くらいの掛け捨ての保険だったとは思うが、実際人とぶつかったことなど無かった私は、しかし、自分がいかにもボンクラな人間であって、いつ人にケガをさせるかわからないと信じていたので、これがたとえ千円でも、喜んで支払っていたことと思う。そして実際、以後の高校・自転車生活の中で、人に自転車をぶつけてしまったことが、一度、あったのだ。

 ある朝。私はいつものように自転車を駆って高校へと急いでいた。田園風景の中を走り抜けた私は、その速度を保ったまま高校のある町の中、狭い路地へと走り込む。このあたりの意識は自動車と同じである。車を運転して遠出すると、高速道路を長く走った後は、つい町中でもスピードを出してしまうものだ。今まで走っていた見通しの良い、なにしろ周りには水田しかない道に慣れた私は、意識を切り替えることもなく、ほとんど最高速度を出して、車がやっとすれ違えるくらいの狭さの街路を走っていたのである。

 自転車の事故というのはいつもそうだが、あっ、と思ったときにはもう遅かった。前からやってきた自転車の女子中学生が、急に進路を変え、私の自転車の未来位置に入り込んできたのだ。スピードが出ていたうえボーッとしていた私には彼女の自転車をかわすことができなかった。避けきれないと分かってからかなり減速をしたので、それほどひどくぶつかったわけではないが、斜めに、大きな音を立ててぶつかった私の自転車は、女の子ごと、相手の自転車を地面に押し倒してしまっていた。とんでもない面倒なことになったという意識が一瞬だけ頭にのぼったが、こうなっては是非もない。私は大慌てで起き上がると、その子のところに駆け寄った。
「大丈夫か、ごめん、ケガしてないか」
 幸い、見たところは大したケガもないようである。どこも折れていない血もでていない。その女子中学生は、驚きに目をぱちくりしながら、私に言った。
「え、はい、あの、あなたは」
 こういうとき、人は紋切り調のセリフしか言えないものかもしれない。気がつくと、私も紋切り調で言葉を継いでいた。
「いや、オレの方はなんてことない。本当に、どこも痛くないか」
 本当は、私に関して言えば、ハンドルかどこかで打ったらしく、わき腹がちょと痛んだのだが、とにかく相手にケガがないかどうかが心配でならなかった気持ちは、ほんとうである。立ち上がって自転車を起こした彼女を見て、どうやら大丈夫そうだ、と判断した私は、最後にこう言って、彼女と別れたのだった。
「そうか、それじゃ、本当にすまなかった」
 書いていて、まるで少女漫画の一幕のようであると恥ずかしくてならないが、さいわい、別にこれが恋のきっかけになったりはしなかった。何日か経つうちに、私はそのことをすっかり忘れて、これまで通りボンクラな高校生活を送っていた。

「あ、ヒーローだ」
 と、いう声が聞こえたのは、それから数週間後、私が放課後の優雅な時間を送っていた本屋の中だった。
「見て、あれ、ヒーロー」
 言い交わすひそかな声に、立ち読みしていた雑誌から視線を上げて見てみると、女子中学生がひとかたまり、私の方を見て何かささやきあっている。あたりを見回した私は、その指すところの人間が、私しかいないということを確認してから、何で私がヒーローなのかと考え込んで、はっ、と気がついた。あ、つまりあの子は。
「あっ」
 と目が合った彼女達と私。で、どうなったかというと、一瞬のち、その子たちは一目散に逃げ出して、本屋から煙のようにいなくなってしまっていた。ヒーローというのはいったい私のあだ名なのか、という遅れて出てきた疑問は、中ぶらりんになったまま、がらんとした本屋にいつまでもただよっていたのだった。

 まあ、一言で言ってしまえば、女子中学生というのは、今も昔も理解しがたいものには違いない。ええ、末筆になりましたが、私にぶつかられた彼女と、まろんちゃんのこれからの人生に幸多からんことをお祈りしております。


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