グルグルグルメ

 はじめに断っておこう。今回の内容はかなりの割合で嘘が混ざっているので、くれぐれも簡単には信用しないように。

 東京の北部、池袋から北西に向かって走る東武東上線に「成増」という駅がある。ゆうきまさみの「究極超人あ〜る」という有名な漫画に「成原博士」というキャラクターが登場するが、この「成原」というのが一説によれば「成増の原人」の略であるそうだ。そんな成増であるが、東武線の駅の、改札を出て左に少し進むと、よく注意してみないと分からないのだが、警備員の詰め所のようなところがある。電話ボックス二つ分くらいのスペースに出入りするための、ドアと小さな窓があるきりだが、そこに交番にあるようなホワイトボードがかかっていて、こんなことが書かれている。

今年 一九三九人
今週   三六人
昨日    七人
今日    二人

 それだけで、なにも説明がついていない。不審に思った私は、ある日、たまたまその警備員詰め所の前に立っていた警備員さんをつかまえて、尋ねてみた。このボード、なんの数字なんですか。答えはこうだった。
「『成増になります』というシャレを言った人の数です」

 このように、人や場所の名前をネタにした駄洒落を思い付いたときには、我々は口にする前に、それが面白いものかオリジナリティは十分かと常に自問する必要があるだろう。言ったほうは今思い付いた斬新なネタであっても、言われたほうは長い間その名前と付き合っているわけで、すっかりおなじみになっているのかもしれないからである。私の古い友人に「いもかわ」くんという人がいて、小中学校通じてクラスメートだった私はなんとも思わなかったのだが、よく考えてみるとかなり珍しくて、かつたいへんネタになりやすい名前である。彼が、高校で、あるいはその後の人生で、出会う人出会う人にどんなふうに名前で遊ばれたかと考えると、可哀想でならない。新しい友人と、キャンプなどでジャガイモ料理を共にするたびになにかそれに関する発言があるのではないか。

 さて、ジャガイモつながりで、私の母のことを話そう。私の母親の得意料理の一つが「肉ジャガ」であった。得意料理であるうえに、その構成要素のほとんどが、自家の畑で収穫できるので、我が家においては余計に登場機会の多いメニューだったのかもしれない。なにしろ肉と、糸コンニャク(これはなくてもいい)を買ってきさえすれば作ることができるのだ。味はと言うと、大人となった今になって考えると、あれはかなりおいしいものではなかったかと思うのだが、子供にしてみれば「おかずパワー」の低い肉ジャガはやはり少し好感度の落ちる料理であるのはやむを得ない。

 ここで、話が少々脇にそれるのだが「おかずパワー」について解説しておかねばなるまい。おかずパワーというのは、その料理が無理なくどれだけのご飯を一緒に食べることができるかを表す数値である。一般に塩辛い、あるいは味の濃いものは大きなおかずパワーを持っている。辛子明太子、味付け海苔、のりたまなどが例として適当であろう。一方、それそのもののおいしさまずさとは無関係に、ご飯を一緒に食べにくいものはおしなべて貧しいおかずパワーしか持たない。卵焼き、豆腐、砂糖で味付けをしたほうれん草のおひたしなどはおかずパワーが低いわけだ。他にも、すいか、甘納豆、パン、ざるそば、コーヒー牛乳やチョコレートなどが低おかずパワー食品である(うっぷ)。

 もちろんおかずパワーは人によって、地域によって違う。有名な例に、お好み焼きの持つおかずパワーの東西での違いというものがある。関西にある私の生家では一ヶ月に数回の割合で「今晩のおかずはお好み焼き」ということがあってなおかつ私たち子供は結構楽しみにしていたりしたのだが、これを言うと仰天されることがままあるというのは悲しい現実である。人と人とはこういうギリギリのところでついにわかりあうことはできないのだろうか。

 おかずパワーの単位は「ロベルト」である。1ロベルトは、一人分のおかずでご飯が一膳食べられることを示す。MKSA単位としては、おかず1キログラムあたりご飯が何キログラム食べられるかを表す「グラハム」もあるが、便利さからまだ広くロベルトが使われている。おかずパワーと子供の好みとの間に高い相関があるという仮説は、異論も多いのだが、素人目には、トンカツ、ハンバーグ、トリの唐揚げといった子供に好かれるおかずが例外なく2.5から4ロベルトを越えるおかずパワーと持っていることでまずまず納得できるところだろう。

 さて、肉ジャガであるが、残念ながら肉ジャガの持つおかずパワーは、あるデータによればだいたい0.5ロベルトに過ぎない。2.8ゴメスという、シオカラ並の高いビールパワーを誇る肉ジャガであるが、主としてジャガイモによって構成されているという構造的な不利からか、同じジャガイモ系のコロッケなどに比べてもおかずパワーは高くないのである。肉の質によってはこの数字は多少上下するが、いかんせんたかだか1ロベルトでは子供の支持が得られるはずもない。

 要するに肉ジャガは子供の私にとってあまり好ましいおかずではなかったのである。母がそのことをどう思っていたのか、よくわからない。栄養素においてさほど違いがあるとも思えないカレーばっかり作ってくれればと思ったものだが、そこは子供の好みばかりに合わせるわけにもいかないのだろう。
 そうした、数多い肉ジャガの日には、ちょっとしたドラマがあった。小学生の私が、学校から帰って、やがて母親が夕飯の支度を始める。母の後ろから材料を見ただけでは、ジャガイモ、ニンジン、ばら肉、タマネギという構成は、実はカレーやシチューのそれと同じなので、私にとって好ましいカレーなのか、その他の何なのかわからない。やがて、我慢しきれなくなって、私は母に聞く。今晩のご飯、なに。そして、母の答えはきまってこうだった。
「肉ジャガじゃが?」
 私は、これも嘘だったらなあ、と心から思うのだが、これだけは本当のことなのであった。


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