星虹はるかに

 お手紙を、ありがとうございました。わたしがどんなにお手紙を嬉しく読んだか、あなたにどうすれば伝わるのかわかりません。なつかしいあなたから、お手紙をいただくなんて夢のようです。ほんとうに、いただいたお手紙を読んで涙が出てしまいました。私は、元気です。なかなかお返事を差し上げられなくてごめんなさい(いそいで書いた、いいかげんなお返事を差し上げたくなかったのです)。きょうやっとおちついて返事を書けます。

 あなたが見たという虹の話、ふるさとの景色の中から立ち上がった幻のような虹。目に浮かぶようでした。わたしも、最近よく、その頃のことを思い出します。子供の頃、あなたの家の庭からよくそうやって虹を見ましたね。夢のように奇麗だった雪山を背景に、くっきりと浮かび上がった、虹。どこにも切れ目がなく、どこにも薄くなったところがなく、雪山を、雲を、田んぼや森や小学校の建物を、七色に染めていたあの虹。

 子供の頃は、よく虹を見ていました。たぶん、外で遊ぶことがおおかったせいでしょう。高台の中学校の、教室の窓から、ときどき東の空に、はんぶんだけの虹が見えたことをよく覚えています。それがいつのまにか、東京に出てきて大学に通い、そのあと訓練施設に入って競争に勝ち抜き、準備をしているうちに、虹はわたしにとって「ときどきやってくるきれいなもの」から「めったにみられないきれいなもの」へ、そして「むかしみたことがあるきれいなもの」へとすこしずつ変わっていったような気がするのです。

 星虹、の話でしたね。あなたを失望させるのは本当に申し訳ないのですけれども、ほんとうのことを書きます。私のところからは星虹は見えません。星虹は、むかし、人間がまだ準光速宇宙船を作っていなかったころに、そういうものが見えるだろう、と想像したものなのです。あなたが読まれた本は、とても古い、古い本なんだと思うのです。でも、打ち明けていいますが、わたしも、そういう本は大好きです。もし、興味がおありでしたら、わたしもおかあさんに手紙を書いておきますから、わたしの本棚をのぞいてみて下さい。あのころの本が、まだたくさんあります。

 星虹というのは「スターボウ」という英語を訳したものです。starbowです。rainbowというのが虹のことなのですが、じゃあ、この「レインボウ」という言葉ができたときには、もう雨が、rainが虹をつくっているんだって、分かっていたことになりますね。bowというのは弓、弓矢の「弓」で、弧を描いているということなのでしょう。星からできた虹だから、starbow。うん、きれいな言葉だと思いませんか。

 星虹は、光に近い速さでとぶ宇宙船から見える、と言われていた虹です。これを説明するには、ドップラーシフトと光行差、それから(来ますよ、来ますよ、ほら)相対性理論、が必要になってしまいます。でも、あなたも、このお手紙で退屈な科学の話を聞きたくはないでしょう? いえ、どうなのでしょう。ううん、ここは、そうですね。ここは、難しいところをぜんぶ飛ばして、いちばんはしょった説明をしようと思います。

 救急車が前の道をとおりすぎるとき、音が変わる、あれがドップラーシフトです。音のみなもとが近づいてくるときは、その音は高くなります。遠ざかっているときは、その音は低くなります。音のみなもとが止まっていて、こっちが動いているときも同じです。音に近づくように動くと音が高く、遠ざかるように動くと低く聞こえるのです。
 音は高くなったり低くなったりするのですが、光になると、これは青くなったり、赤くなったりということになります。それで、光のもとに、遠くの星に近づいてゆくと、光は青く見えることになります。遠ざかってゆく、後ろの星は赤く。その中間の星は、その光がやってくる方向に応じて、その中間に見えます。宇宙船から星を見ると、前の星から後ろの星まで、紫から青、緑から黄色、そしてオレンジ、赤へと。これが星虹です。音よりも光の方がずいぶん速いので、自動車に乗っても星虹は見えません。光のドップラーシフトが目に見えるくらい大きいのは、準光速宇宙船に乗ったときだけなのです。

 じゃあ、どうして星虹が見えないんだ、ということになるわけですけど、ご存知でしょうか。人間の耳は、いちばん低い音から、いちばん高い音まで、耳のいい人で10オクターブくらい聞き取れます。でも、人間の目が見ることができるのは、赤から紫まで、たった1オクターブだけ。その外側の広い部分は、そこにあるのに、目に見えないのです。
 だから、光が青く、赤く見えるといっても、それは、星が白く人間の目に見える光だけを出している場合だけ。本当は星はその外側にわたって、広く光を出しています。そう、虹の内側と、外側にある、あの何も見えないところにも、光はあるのです。どんなに光が赤く移ろっても、白の外からつぎつぎに新しい青い光がやってきます。だから、宇宙船から見ても、星はいままでと同じように光っているだけなのです。宇宙にある虹は、私の記憶の中にあるものだけ。

 ああ、ほんとうに、あなたと一緒にその虹を見られたら、と思ってしまいます。こうして、地球から遠く離れて、あなたへの手紙も、圧縮された通信をレーザーでときおり、やり取りできるだけ。人類の科学の最高の到達点である量子駆動型星間準光速宇宙船に乗れることが、不満なはずはありません。でも、ときどき思うのです。わたしは本当にこんなところに来たかったのだろうか、と思うのです。あの故郷の、はるかにかすんで輝く虹を思うのです。あそこから、こんなにも遠くにきてしまったと思うのです。どうしてだろう、本当にここに来たかったのだろうか、と。

 すっかり、お手紙が長くなってしまいました。このあたりでやめておかないと、またチーフに文句をいわれてしまいます。量子駆動がわたしの船を前に進めるかぎり、あなたとわたしの間の距離はますます遠く、通信用レーザーもますます弱くかすかになってしまいますので、この次の手紙を書けるかどうか、わたしにはわかりません。それに(準備はいいですか、言ってしまいますよ、ほら)相対性理論が、わたしの時間を狂わせますから。ああ、今これを書いている間にも、ますますあなたは、とおくなってしまいます。だから、これが最後の手紙になっても、どうか、心配しないで下さい。

 もう一度、お手紙ありがとうございました。さようなら。どうか、いつまでもお元気で。UNSS「レグルス3」にて。はるかなるあなたへ。


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