お勧めの本

 以前「SFマガジン」か何かを読んでいて、古傷を触るというか、抜いた歯が痛いというか、とにかくたいへん心に痛い文章に出会ったことがある。どうしてSFファンというのはこんなに少なくなってしまったのだろう、他人にSFを勧めるにはどうすればいいか、というような文脈で、クラスの女の子にハインラインの「夏への扉」を貸して面白がってもらえたのを勘違いして、その後ギブスンだのディックなどを持っていってすっかり嫌われてしまう、という話だったのだ。これだけ聞くとなんでもない笑い話のようだが、自分の経験にこうも近いととても笑ってはいられない。そう、私にもあるのだ。クラスの女の子に、そのものずばり「夏への扉」を貸した経験が。

 打ち明けて言うが、高校生の私は、その子のことがちょっと好きで、しかも私が本を貸したきっかけは、その子の方から「その、猫の出てくる話が読みたいんだけど、あなただったら持っている、と思って」などと話しかけてきた、というものだった。今になって思うが、もう少し努力をして、たとえば嫌われてもいいからイチかバチか、こんな本もあるんだけどどう、と、あと何冊か貸しに行ってもよかったのではないかと思う。もしも今の私が、その頃の私にアドバイスすることができるなら、二冊目は「アルジャーノンに花束を」あたりにしておけと言うところであるが、たぶん、その頃の私はまだ「アルジャーノン」を読んでいなかったような気がする。そのころはまだ、ばか高いハードカバーでしか出版されていなかったのだ。

 よく思うのだが、一般に、自分の勧める本を相手に読んでもらおうと思った場合、確実な方法は二つしかない。一つは、相手に自分のことを非常に好きにさせて、何でもいいから話題を共有したい、とまで思わせること。もう一つは、自分が相手に尊敬されていて「あの人の選ぶ本なら大丈夫」と思わせるだけの実績を積み重ねておくことである。なんだか「本を紹介してそれをきっかけに仲よくなりたい」という手段にはあまり役に立たない二つの道ではあるのだが、逆に言うと、それほどにも「本を貸して口説く」という手段は迂遠なものなのだ。自分で書いた文章を読んでもらって気に入ってもらう、というほうが、難しいことは難しいが、まだましかもしれない。なにしろ、こっちのほうは二例も、実例を知っている。

 ちょっと余談になるが、あまり本を推薦したりされたりしたことがない、大西の言うことは全部タワゴトだ、と思う人は、身近なところでウェブサイトの「リンクページ」を考えてみればよくわかるのではないだろうか。その人がどんなページを推薦し、自分のサイトからリンクしているかを知りたい、という欲求は、まずそのサイトが非常に面白くないと、なかなか湧いてこないものではないかと私は思う。

 繰り返して言うが、他人に本を勧めるというのはなにしろ難しいものなのだ。教科書やハウツー本の類ならまだしも、エンタテイメントとなると本当にむずかしい。思い出してみればいい。あなたは、周囲の人が推薦していた本を読んで、面白かったことがどれくらいあるだろうか。私に関して言うと「友人のおすすめ本」の打率は、三割を大きく超えることはなかったように思う。「君ならこういうのは好きだと思った」と、相手がわざわざ私のために選んでくれた本なら、確かにかなり「そのとおり私こんなの大好き」ということは多いのだが、より一般的なセレクション、他人が自分の好みに合わせて選んだマイベストの類は、これはもう見事なほど、自分の好みと重なる部分がないのである。

 これは、一つには、言うまでもなく人の好みは千差万別であって、しかもその千差万別さは家族学校職場で知りあう、せいぜい数百人の人間ではおいそれと同じ傾向の人が見つかったりしないほど千差万別なのだ、ということ。それから、結局のところ私は「活字中毒」でも何でもなく、かなりえり好みして本を読む人間であるということだろう。「これは面白いから読んでみな」と貸された本が全く面白くなくてコメントに困る、ということを繰り返すにつれて、私はますます、次に読む本を自分の経験と勘に頼って選ぶようになってしまった。

 それどころか、困るのが、他人に本を借りたのに、それがついに最後まで読み通せなかった場合である。面白くなかったらすぐに相手に突き返せるのかというと、普通は、いや、少なくとも私のあたまは、そういう風には働かない。体調によっては面白くなるかもしれない、電車の中に持ち込んだら面白く読めるかもしれない、この本を読み終わったら次に読もう、などと考えているうちに、返せないまま、数年経ってしまった本があったりするのである。むしろ、すぐに相手に返したくなるのは、一晩で読み終わってしまって、ぜひともこの面白さを誰かと共有したくなる場合のような気がする。本を借りたまま返せない人には本当に申し訳なく思っているのだが、私にも貸したまま帰ってこない本はたくさんあって、そっちの方が多いのだから、まあおあいこである。人に本を貸すというのはそういうことだと思ってどうか、諦めて欲しいのである(ただし、貸した人と借りた人は違う。やっぱり申し訳ない)。

 それでも、時折友人から何気なく借りた本が、私の好みにジャストフィットして長く長く心に残るということはやっぱりある。以前、高校生くらいのときに読んだ本をふと再読したくなり、本棚をひっくり返して探したのだが、探索一日、ついに見つからず挫折したことがある。あらためて記憶をつらつらと辿ってみるに、どうも、この本、友人に借りて読んだものらしいのである。その後自分で買わなかったのはどういうわけかわからないが、とにかく今はもう出版から十五年近くが経過しており、手に入れるのは不可能に近い。ダグラス・アダムズの「銀河ヒッチハイク・ガイド」という本である。新潮文庫で、定価四〇〇円で、絶版している。どうしてこんな情報がすらすらと出てくるのかというと、既にインターネット上含め、あちこちで調べてもらったのである。残念ながら、完全に絶版、流通在庫もなく、どこも注文を断ってきた。あとは古本屋を探すしかないらしい。

 えー、ごほん。そこで、ジャッキー大西、二年間このサイトをやってまいりましたが、初めて「大西科学」を私用に使わせていただきます。「銀河ヒッチハイク・ガイド」もし廉価で譲って下さる方がいらっしゃいましたら、ご連絡をいただけませんでしょうか。何卒どうかおねがいいたします(※)。


※と、書いておりましたら、さっそく缶生さんが、古本屋で見つけて下さいまして、無事手に入れることができました。缶生さん、そして他の、私の文章を読んで、そういう目で行きつけの古本屋の棚をちょっとでも見ていただいた全ての方々に、満腔の感謝を捧げたいと思います。ありがとうございました。私は、本当に幸せです。
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