うるう年に吠えろ

 一ヶ月ほど前の話である。弟にもらったiMacを、落として壊してしまった。

 そもそも、接地面積が小さく重心が上にある、不安定な形ではあった。私はこれをキッチンの、冷蔵庫の上に設置して、洗濯したり料理している間のBGM演奏に使っていたのだが、キーボードを冷蔵庫の縁から垂れ下がらせるように、ギリギリの面積で配置していたのが良くなかったのだろうか、落っことしてしまったのである。冷蔵庫のドアをすこし強く閉めた震動で、実にあっけなく、真っ逆さまに床に落ちた。

 …といっても、同情には及ばない。この「iMac」はアップル社が出しているパソコンではなくて、アレの相似形に作られた、高さ一〇センチほどのFMラジオなのだ。アップルの許諾はどうも受けてないっぽいのだが、スクリーンは液晶で、キーボード操作で電卓にもなる。マウスはラジオのチューニングボタンになっている。冷蔵庫から落ちて、ケースが割れ、中身が出てきているこれを、こわごわ調べてみると、恐ろしいことに液晶が真っ二つに割れている。電卓関連の機能は使い物にならなくなってしまった。

 どうにかラジオ機能は無事だったので、性懲りもなく元の場所に戻してそのまま使っているのだが、それで困ったことが先週起きた。突如として来年のカレンダーが必要になったのだ。前回の「タイムピース」を読んでいただいた方にはどうしてだかわかると思う。来年の今日が何曜日になるかをどうしても知りたくなったのである。
 実はこの「iMac型ラジオ」には万年カレンダーの機能もついていて、月送りボタンをぽんぽんと押してゆけばどの年のどの月のカレンダーも簡単に見ることができる。もちろん、液晶が割れていなければ、だ。私は液晶の割れたiMac型ラジオの前までわざわざやってきて、身もだえした。こんなに間が悪い故障も珍しい。

 そんなわけで、来年の今日が何曜日なのか、頭で考えて算出せざるを得なくなった。どうしたことか、昔から私はこの手の計算が苦手である。確か一日ずれるんだけど、どっちだっけ、というような、いわばデジタルな計算にあたると、とたんに間違いやすくなる。紙と鉛筆を使って落ち着いて考えないかぎり、必ず反対方向に答えを出してしまうのである。
 私は真剣に考えた。まず、うるう年の影響はない。今年はそういえば四〇〇年に一度の例外処理を行う例の年なのだが、来年の二月は二八日までしかないのだから、来年の六月三〇日は、今年の六月三〇日から数えて、平年通り、三六五日目である。三六五日は五二週間と一日。曜日に関して言うと、五二週間と一日も、三週間と一日も、〇週間と一日も同じことである。今年は金曜日だから、一日後は土曜日だ。はあ。

 これが来年だからなんとかなったが、十年後、二十年後となるとなかなか厄介な問題になることは確かである。だいたい四年に一度、二月二九日などという変な位置にうるう日があるばっかりに、たとえば自分の生まれた曜日を素早く計算することが難しくなっているのだ。
 そもそもどうしてうるう年などというものを作らねばならないのかというと、地球が太陽の回りを一周するのにかかる時間と、地球が一回自転するのにかかる時間が、単純な整数比になっていないからである。みなさんご存知であろう、一年の長さを一日の長さで割ると365.2422で、この端数、0.2422の四倍はだいたい1になる。これが(ほぼ)四年に一度、うるう年がやってくる原因である。

 この一日と一年の比は、一般にどんな天体でも単純な比にはならないので、地球だけが特に運悪くややこしい暦を押し付けられているわけではない。たとえば火星だとどうか、と調べてみた。火星の一年は、668.550火星日である。一年は668日として、20年につき11年の割合でうるう年を入れればだいたい正確な暦ができる。うるう年の入れ方は、たとえば、年が偶数の時と、年を20で割って余りが1のときにうるう年である、ということにでもなるだろうか(いや、むしろ二〇年につき九年、平年より一日少ない年がある、というべきかもしれない)。太陽系の他の惑星では、と計算をしたくなるが、残念ながら太陽系内で他に、独自の暦を作るほうがよさそうな惑星や衛星はないようである。もしもそこに将来人類が生活するようになったとしても、地球の時間と暦を、うるう年まで入れて使うほうが、面倒がなくていいだろうと思う。

 うるう年をどのように配置するかという計算は、畢竟一年を一日で割ったときの余りを、いかに単純な分数で表すか、という問題である。簡単なプログラムを書けば、ある小数を分数で近似するにはどのような分母と分子を選べばよいかが計算できる。火星のうるう年の計算をするために作ってみてわかったのだが、実は、地球の暦を作るうえで、四百年に九七回という今の方法は、必ずしもベストな方法ではない。余り0.2422日を分数で表した場合、97/400よりもいい近似になる分数が、分母が100以下だけでも五つあるのだ。このうちもっとも簡単なものは、三三年に八回、ということになる。

 「三三年に八回」方式のいいとろは、四〇〇年に九七回よりもより正確に0.2422を近似できる、長い間修正なしに使える、という点だけではない。周期が一回りして、暦が地球の運行に合うまでの時間が一二分の一以下に減少するのである。具体的には、暦の中の春分の位置が、現行方式では二日から、ことによったら三日もずれることがあるのだが、三三年に八回方式では最大でも一日ほどに収まる。あまり指摘する人を見たことがないのだが、「例年より二日早く梅雨入りしました」というような表現には、本来この季節と暦のずれを考えに入れなければならないので、この周期が短く、ずれが小さいというのは結構な利点になる。「三三年に八回」方式は、周期が長すぎる弊害と、0.2422の余りをうまく分数で表示する命題の妥協点として、非常に優れた暦なのだ。

 もっとも、問題もある。「今年がうるう年かどうか」の判定がやけに複雑になるということである。三三年に八回ということは、普通の四年に一度のうるう年が七周期続いて、次に一回、五年に一度という周期があることになる。たとえば、今の西暦年を三三で割って、あまりが四の倍数のときうるう年、とすればいいだろうか。法則としては「もしナントカだったらカントカで割ってみてさらにアレの場合は」といった例外処理がいっさい必要なくてむしろ単純なのだが、まずもって三三で割るというのが、計算機ならぬ我々にはかなり面倒なことは確かである。

 これは、もちろん我々が十進数を使っているからであって、百や四百を使う現行の方式が優れているように見えるのも、結局我々が「1900」なり「2000」なりを「きっちりした数」と考えやすいという、思い込みがあるからなのである。もしも我々が、十進数のかわりにたとえば八進数を使っていたら、逆に百で割って余りがゼロ、などという処理はややこしくてしかたがない。

 あえてこう言おう。この惑星に進化した我々は、三三進数を使うべきであった。そうしておいて、下一桁が四で割り切れるときはうるう年、とすればよかったのである。三三進法には、さらに、「日」が数字一つで書けるという余禄もある。十進数などという中途半端な数を採用してしまった、私たちの祖先が恨めしくなってこないだろうか。ちなみに、今年の年号を三三進数で表すと1RK(1,27,20)である。うるう年であるようだ。


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