ニュー・ホライズン

 私が生まれ、少年時代を過ごした町は、町を北東から南西に向けて流れる川の両岸に広がる集落からなっていて、やや大げさな表現ながら「山間部」ということになる。町のどこでもいい、ちょっとした広場に立って周囲をぐるりと見回すと、川の流れと直角の方向、北西と南東は必ず周囲の山並みが比較的近くでスカイラインを作っている。ちょうど雨どいの中に住んでいるようなもので、川の下流方向をのぞき、隣町に出かけるためには必ずどこかで峠を越えなければならない。

 そんな町に生まれたから、というわけでもないとは思うが、本に出てくる「地平線」という言葉に長らく、憧れのようなものを持っていた。なるほど、海水浴に行けば水平線というものが存在してこれには圧倒される思いはしたものの、地平線が見えるほど平野が広がっている場所には、今に至るまでついに行ったことがない。考えてみれば地平線とは「周囲に何もないことをもって見えるもの」であり「地平線が見たい」というのは「何もないものを見たい」ということなので深く考えると変な望みではあるのだが、どこまでも広がる平野に、自分と空と地面だけ、という状態がどんなものか、知りたいとも思うのである。

 日本の場合、平野部ということは誰か人が住んでいるのであり、したがってビルが建っていない「何もない平野」というものがなかなか存在しないだろうことは簡単に想像がつくが、では、地平線を見るためにどれくらい平野が広がっていればいいのだろうか。地平線までの距離がいかほどかは、中学生程度の数学の知識があれば簡単に計算することができる。ここでは結果だけを書くことにするが、今、自分が「L」の高さに立って周りを見回しているとして、見通せる最大の距離は(地球の半径より十分Lが小さければ、Lがせいぜい山の高さ程度であれば)、Lに地球の半径6400kmを掛けて、二倍して、その平方根を取ればよい。

 実際に計算してみよう。目の高さをたとえば1.6mだとすれば、1.6×6,400,000×2の平方根で、およそ四・五キロメートルになる。四・五キロというと、梅田(大阪駅)からちょうど「なんば」までくらいの距離である。北に伸ばすと淀川を飛び越え、新大阪のちょっと向こうで神崎川に近い。阪急宝塚線なら三国駅、環状線なら弁天町で天王寺にはちょっと届かない。…って、今なんだか東京の人から「わからん」という感想が出そうな気がしたので、ええと、たとえば新宿駅を中心に半径四・五キロの円を描くと(※)、池袋、高円寺、恵比寿、皇居をかすめて飯田橋、といったあたりを結んで、JR山手線とほぼ同じくらいの面積を囲うことになる。田舎で五キロというと大した距離ではない気がするのだが、こうして都会で考えてみると、半径四・五キロの円はなかなかバカにしたものではない。たぶん、この円内に百万人くらい住んでいるのではないだろうか。

 ただ、この話は身長が一六五センチくらいの人が地面にまっすぐ立てば、ということなのであって、高いところに立てば遠くまで見えることと同様に、地面に這って見回せばかなり地平線は近くなる。望みが「地面に立って地平線を見たい」ということではなくて単に「地平線が見たい」ということなら、わざわざ都心の土地を二千万坪も買って更地にしたりしなくてもいいのだ。いま、寝ころんで耳を地面につけたとすると、目の高さは地上から十センチくらいのものだろうか。これなら、地平線は1キロメートルくらいの近さになる。つまり、皇居ほどの広さの平地があれば、地平線は見える(寝ころべば)。二キロ四方くらいの平地というと、都会で考えるとやっぱり突拍子もない話になってしまうが、田舎、特に北海道あたりではそんなに珍しい話ではないような気がする。

 しかし、ここで注意したいのだが、では四・五キロなり、一キロなりの範囲内が真っ平らな平野であれば地平線が見えるのかというと、確かに哲学的には地平線が見えるといってもいいのだが、それが視野の半分が空という幸福な状態なのか、地平線はあくまでまっすぐに空と地上を分割しているのか、というと、そんなことはないのである。この円の外側にビルや山があってそれなりの高さを持っている場合、もっと遠くにあってもそれが見えてしまう。高い物体は地平線よりある程度遠くにあっても、地平線の上に顔を出してしまうのだ。

 たとえば富士山である。高さ3,776メートルのこの孤峰は、「富士見」という地名が各地に残っているように日本のかなり広い範囲からその姿を見ることができる。さきほどの式にこの富士山の高さをあてはめて「富士山頂から地平線までの距離」を計算すると、逆にどのくらい遠い場所から富士山のてっぺんを見ることができるか、という話になる。やってみよう。3,776×6,400,000×2の平方根は、二二〇キロメートル。これは関東平野をすっぽり覆って、茨城県の日立市、新潟県の長岡、富山市、金沢市から琵琶湖にわずかに届かず、三重の津市の手前から伊勢湾までといった距離になる。神津島も三宅島もこの円に入ってしまう。要するに、関東と中部地方、中京地区のほとんどを覆うこの円内では、いかに広い土地を購入して平らにならせたとしても、富士山そのものを削らないかぎり、視界にかならず富士山が入ってくるということになるのである。自分のまわりを一周する地平線は、見ることができない。

 本当に、日本のどこかに、そういう高山が近くに存在しない場所はあるものだろうか。この「富士山円」から外れた東北地方は福島の磐梯山(1,819、以下同様に山の標高をメートルで書く)と岩手県の岩手山(2,038)を中心とした磐梯山円と岩手山円を描けばほぼカバーされてしまい、これに八甲田山か恐山を加えれば東北地方に山が見えない土地はない。期待の星、北海道は大雪山(2290)が北海道中央部のほとんどをまず覆い、これに時計回りに利尻山(1,721)、斜里岳(1,545)、幌尻岳(2,052)、羊蹄山(1,898)といった高峰が散らばっていて意外なことにどこからでも山は見える(ちなみに北方四島は山がちで、もっと望みがない)。本州に戻ってくると、北陸地方には新潟の妙高山(2,454)、石川県の白山(2,702)があって佐渡から能登半島までを担当し、これに奈良の大峰山(八剣山、1,915)あたりのサービスエリアを加えるだけで近畿地方は埋め尽くされてしまう。中国・四国地方は愛媛の石鎚山(1,982)、徳島の剣山(1,955)と鳥取県の大山(1,729)を加えれば残っているのは山口の下関くらいになってしまい、それも、大分の久住山(1,791)のエリア内である。さらに阿蘇山(1,592)と屋久島の宮ノ浦岳(1,935)といったあたりを考えると、桜島や雲仙岳を持ちだすまでもなく九州は山姿でいっぱいになる。要するに、日本にいて、どこかしらに山が見えない土地など、どこにもないのである。

 ただ、もしかしたら、沖縄はどこかに、地平線が見えそうな場所があるのかもしれない。最高峰の与那覇(ヨナハ)岳は高さが503メートルと低く、沖縄本島の南側、那覇に辛うじて届くものの、島全部から見えるに至っていないのである。私の地図がおおざっぱ過ぎて他の山が載っていないせいだとは思うものの、もしそうなら、これはちょっと面白いことだと思う。とまれ、いずれにしてもこういうことはできる。地平線は、遥かに遠いようである。


※丸ビルや都庁の展望台から見ればそこが地平線である、ということではなくて、梅田や新宿のビル群を取っ払ってしまって、地上の高さに立って周りを見ればどこまで見えるか、ということ。
○本篇を書くにあたり、山の高さ、位置などについて昭文社エリアマップ「GLOBAL ACCESS世界・日本地図帳」を参考にいたしました。
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