キーボードとおしゃもじ

 昨今はいろいろな環境があって、携帯情報端末や携帯電話、ヘタをすると家庭用ゲーム機でこのページを見ている方がいたりして、しかとはわからないのだが、それでも、今これをお読みのあなたの手元には、九割以上の確率でQWERTY型キーボードがあるはずである。キーボードの上から二番目の段がQWERTYUIOPと、なんだかデタラメに並んでいる配列のことだ。

 割合、人口に膾炙した話なので、もしかしたらご存じかと思うが、この、英米で広く使われているQWERTY配列は、元来、打ちやすさを考えてこうなっているわけではない。筆記用具としてタイプライターが一般的になった時代に、あまりタイピングが速くなると、文字を打ちだす活字のついた棒が、互いにからまってしまうことから、あえて決定した配列なのだそうである。つまり、わざと打鍵速度が上がらないように、打ちにくくしてあるのだ。キーボードがもはや電気的スイッチになってしまった現在では、理にかなった配列とはとうてい言えないわけである。

 ところが、以上の話は、嘘ではないが正確でもない。タイプライターの創成期にそういう障害があり、そのために配列を調整した、というのは本当なのだが、それは必ずしもタイプしにくく文字を配列する、ということと同じではないのである。タイプの速度を低下させなくとも、続けて打つ頻度が高いキーをたがいに離しておくだけである程度この「活字バーの絡み」は改善できるし、実際にされていることはそれである。これは結局、隣り合った指にかかる負荷を均等化することになって、理想のキー配列には、当たらずとも遠からず、といったものになっているらしい。

 たとえば、キーを完全にでたらめに並べたり、いっそ左上からABC順に並べたら、それはQWERTYよりも合理的かどうか、実際のタイプが速くなるかどうか、という実験がされている。実験は、初めてタイプを習う人がそれぞれのキーボードで熟練した上でその速度を比較することになるわけだが、デタラメ配列やABC順はQWERTYに比べて最終的に到達する速度がずっと遅くなるそうである。もちろん、QWERTYはこれで完全なものではなく、より合理的に並べられた「Dvorak」配列というものがある(別に左上からD、V、O、と並んでいるわけではない)。こちらは実際QWERTY配列よりもタイプ速度を改善するのだが、その差はあまり大きくはない(わずか10パーセント程度だそうである)。

 もしも、これが二倍なり、三倍なりの変化があれば、このキーボード合理化の波はもっと大きな潮流となってQWERTYを押し流してゆくと思うのだが、まず、この程度の改善率であれば、大勢に逆らってまで特異なキー配列にこだわる理由はあまりない。世の中を見回してみると、物事というのはだいたいそのように、小さな合理性よりもシェアを選ぶことが多いようである。ここでは深入りしないことにするが、ビデオテープのベータとVHSとか、マックとウィンドウズとか、NTTドコモとか、そういうやつのことだ。要するに、メリットがドラスティックに大きいわけではないと、時として移行コストの方が大きくなりすぎて魅力のないものになってしまうのである。最近だと、BSデジタル放送はしばらくこの状態が続くと思う。

 さて、このように一見便利なのだが、移行に伴う出費や置き場所まで含めたトータルなコストで比較するとメリットがないもの、といえば、身の回りでは何と言っても台所によくある「アイデア商品」のたぐいではないかと思う。東急ハンズとか百円ショップなどに行くとこの手の「なるほど便利そうだ」と思える品がさまざまあって、つい欲しくなるが、高価だったり、台所になかなか置き場所を見つけられなくて、二の足を踏むことが多い。

 たとえば、じゃがいもなどの皮むき器がある。ぱっと目には二枚刃のついた「剣呑なひげ剃り」という風情のものだが、これが使ってみると実に簡単に野菜の皮がむける。さほど高価なものでもない。だが、これがあったからといって包丁が要らなくなるわけではもちろんなく、台所に皮むき器のための置き場所が新たに必要になってくる。それは、じゃがいもの皮がむきたくなったときにすぐ取りだせる便利な場所でなくてはならず、そして、台所の中にそういう場所は多くはないのである。皮むき器の場合、非常に便利なので私も使っているが、この便利さがさほどでもない場合、便利さにもかかわらず普及しないかもしれない。

 例を挙げよう。ここに、同じような低価格のじゃがいも皮むき器がある。これは、刃物ではなく、洗剤をつけて洗うタワシのような格好のもので、これで皮をこすり落とそう、という意図のものである。機能としてはひげ剃り型皮むき器とさほど変わらない。刃を使わないので安全度が高いし、また芋の「身」はタワシではこすり落とせないので、身も容赦なく削ってしまうひげ剃り型より効率的かもしれない。が、タワシ型はたぶんじゃがいもにしか使えない。にんじん、リンゴなどある程度応用が効くひげ剃り型に比べて、じゃがいもだけに用途が限られるタワシ型の役立つ場面は限られているのだ。

 であるからして、身近な発明品で一山当てようと思った場合、それが台所の一角に置き場所を確保できるほどのものでなければ、なかなか売れない、ということではないかと思う。非常に便利で他のコストが霞んでしまうくらいならそれが一番いいことだが、なかなかそうはいかないわけで、小型で置き場所を取らないとか、いろいろな用途で頻繁に使用できる、というような付加価値が必要になってくるのではないだろうか。

 ところで、我が家における最新ヒットアイデア商品は、ごはんのくっつかないシャモジ「飯とったり」であった。一見普通のプラスチック製おシャモジで、駅前の露店販売で山積みになって売っていたりするのだが、ある日母親から届いた荷物にどういうわけかこのシャモジが入っていて、捨てるわけにも行かず使ってみた。ところが、これで炊いたご飯をすくうと、これが売り文句通り、見事なまでにご飯粒がシャモジにくっつかないのだ。まったく普通の材質に見える。ただ表面が健康サンダルのようにぶつぶつしているだけである。どういう原理だかさっぱりわからない。ご飯がしゃもじにくっつかないからといってものすごく便利であるとか、生活が劇的に改善されたなんてことは全くないのだが、なにしろ機能的には今まで使っていたしゃもじを完全に置換するものなので、置き場所にも困らない。違和感なく日々の生活に溶け込んでいると言っていい。発明とは、かくあるべきだと思う。

 そういえば、生活に違和感なく溶け込んでいる、と書いたが、一つだけ例外があった。おシャモジのことを「めしとったり」と呼ぶようになった。今や我が家ではご飯のたびに「メシトッタリ取ってくれる」「メシトッタリどこ行ったっけ」と呼びならわしている。私見だが、メシトッタリが広辞苑に載る日も近いと思う。


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