注文の多いラーメン店

 並んでいた。どこまでもどこまでも。

 ラーメン屋に来ていたのである。郊外型のラーメン屋といえばまさにこのような形式で、ちょっとした一軒屋の堂々たる店舗をもって経営しているラーメン屋であった。土地が安い郊外だとこうなるのかもしれない。駐車場は「ちょっとした」というよりも「かなりちょっとした」と表現すべき広さで、店内も広い吹き抜けの空間に二十以上のテーブルがあるようだ。ファミリーレストランに迫る規模といってよい。

 よく考えるまでもなく、ラーメン屋というものは、店舗の大きさが必ずしも品質を保証しない不思議な業種である。そもラーメンは、もう軽トラック一台の屋台のようなミニマムな設備でもおいしい時はおいしいわけで、大きくてもせいぜい「幸楽(※)」程度、それ以上の規模になるととたんに不安になってくるものである。ところが、私が訪れたラーメン屋には、そうした不安を笑い飛ばすかのように、ずらりと並んでいたのであった。これだけ並んでいれば安心だ……というわけではない。並んでいるのは客ではなく、看板、なのである。

 そう、その店の「かなりちょっとした」駐車場をぐるりと巡って、ひたすらに看板が並んでいるのだった。よく電柱に立て掛けて針金で縛ってある、あの「捨て看板」というやつである。たとえば、かつて私が暮らした埼玉県和光市ではコスプレがどうとか、濃厚なサービスがこう、といったことを主に訴えていたあの看板である。木枠に布を貼った黄色い看板身長一メートル二十センチが、大きな店舗をすっかり取り囲みつつ、スープの素晴らしさ、麺がどんなに研鑽を重ねたものであるか、チャーシューがいかに分厚いかを訴えているのであった。

 私は、駐車場に車を停め、それら看板群をしばし呆然と眺めていた。タテカケもタテカケたり、立て掛けるに事欠いて、全て同じ看板である。いちめんのかんばんいちめんのかんばんいちめんのかんばん。やぶれたかんばん、いちめんのかんばん。一体ぜんたい、この店に何があったのだろうか。「飾り付け」という行動についていささか歪んだ感覚をもった店主がラーメンを煮ているのだろうか。捨て看板を大量発注したら電柱に結びつけてくるバイトを雇うお金がなくなったのだろうか。ともかく、夏のはじまりの日差しの中、黄色い看板はそこにひたすらに連なっている。

 テレビを見ていると、同じコマーシャルが二回続けて放映されることがある。想像するに、スポンサーが珍しく番組に広告料を張り込んだところ、思わぬ三十秒枠が手に入ってしまったのではないだろうか。スポンサー様スポンサー様。実はここだけの話なのですが、ほかのスポンサーが降りてしまいまして、枠が余っているのです。三十秒差し上げますのでお使い下さい。なんだってウチのコマーシャルは十五秒バージョンしか作ってないんだぞ。ああ、それは困りました、どうしましょう。よしわかった、十五秒のを二回繰り返してくれたまえ。アイアイキャプテン、仰せのままに。そういうやりとりがあったに違いない。

 しかし、誰でも同意してくれると思うが、コマーシャルを二回繰り返されたからといって、その製品を二倍買いたくなるかというと決してそんなことはない。一回流すのと同じ効果しかないか、むしろわずらわしいと反感をもたれてしまう可能性さえある。お金の使い方を知らないとはまさにこのことである。

 聴覚や味覚などの感覚は「対数目盛り」であるという話がある。今、音の強さ、音の持っているエネルギーを一、二、三と並べて順に聞かせたとすると、一と二の差よりも、二と三の差はずっと小さく聞こえる。同じ幅で音が大きくなっているように聞こえるためには、エネルギーを一、二、四と、差ではなく比が一定になるように調整しなければならない。コンポなどのアンプのボリュームは「デシベル」という単位で書かれている。これは、つまみを回して増幅率を二十デシベル増やすと、音の強さが十倍になるという、対数目盛りなのである。だいたいにおいて、聴覚以外についても一般に、人間の感覚は比を手がかりとしているらしい。

 看板や広告にも、実はこの法則が適用されるのかもしれない。テレビコマーシャルの場合とは違って、決して何枚貼っても同じということはなく、多数あれば一枚の場合に比べそれなりの効果はあると思うが、ポスターが十枚貼ってあるからといって、一枚の場合の十倍の効果があるとは思えない。向かいの家の塀に貼ってあった選挙ポスターがある日十枚になったら、それなりにびっくりする。百枚になったら仰天する。しかし、その効果は、測定するとなるとなかなか難しいが、一枚しか貼っていないときの二倍、三倍といった程度に留まるような気がする。こういう現象を指して「収穫逓減」という言葉を使うが、広告効果は増加するとしても、増加量は確実に減少してゆく。

 そういえば候補者のポスターというものは、なぜかいっぺんに四枚ずつくらい並べて貼ってあるものである。実際の選挙期間中にはいろいろと制約が課せられるものらしいが、そういう決まりがない普通の政見発表会などのポスターでは、見事に数枚ずつ並べて貼ってある。ポスターをたくさん作るとなるとお金がかかるし、並べて貼ってもそれほど効果は増えないというのは誰の目にも明らかだと思うのだが、ポスターを印刷するほうも、千枚刷ると十枚のときの百倍のコストがかかるかというとそうではないわけで、そのへんの妥協点が「一ヶ所につき四枚」程度なのかもしれない。

 それにしても。それにしてもだ。私はラーメン屋の駐車場に立ち、看板群をもう一度ぐるりと見回すと、しかし決然として、ラーメン屋の入口に向かって歩き始めた。こんなところ美味いはずがないよやめようよ。このまま自動車に乗り込んでどこかへ走り去ろうよ。私のゴーストがそうささやいていたが、私は意に介さなかった。店の入口に小さな看板が立て掛けられていて「昼食時は半ライス無料」と書いてあるのを発見してしまったからである。やはり、広告は量ではない。


※「渡る世間は鬼ばかり」のアレ。泉ピン子とえなりかずきのいるラーメン屋。
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