招く猫

 猫は利己的だ、と言われる。私もその通りだと思う。

 私は猫だ。人間にとっての名前はタック。当年とって一二歳になる。由緒ある日本猫の血筋に繋がる牡猫で、真っ白な毛並み、特に胸のところのそれが自分でも気に入っている。ところがあるとき「鏡」というものの存在を知り、あれやこれやの試行錯誤のあと、しばらくしてそこに映った姿が自分のものであることに気が付いて、驚いた。私の目の片方と、あと背中に一つ、茶色いところがあったのである。母が真っ白猫だったので、てっきり自分もそうだと思っていたのだが、見えなかったのでいっこうに気が付かなかった。どこの猫の骨ともわからない私の父からうけついだものだろうか。とにかくそれ以来、暇さえあればごしごしと前肢で顔を洗っているのだが、事態はいつかな好転の兆しを見せない。猫生はそんなものかもしれないと思う。

 幼いときから私は不器用だった。誰が兄やらだれがいもうとやら、順序もわからぬ我が兄弟姉妹の中でも一等に不器用だった。誇り高い野良猫だった母は、よく、痛めつけた鼠を捕ってきて、我々に下げ渡していたのだったが、私がその分け前にあずかったことは、ついに一度もなかった。はしっこい白黒ぶちの兄弟、しなやかな体を真っ白な毛皮に包んだ姉妹が、いつも私の獲物を横取りし、さんざん遊んでしっぽの一本も残さず、食べてしまっていたからである。不器用な私には一顧だに与えずだ。そう、このあたり、猫は利己的だ。母も、こんな私をちっとも助けようとはしなかったから、毎日生きてゆくだけで必死だった。

 だが、そんな生来の鈍さがかえって幸いしたのかもしれない。あるとき、私たち兄弟姉妹が住んでいた廃屋の裏庭に、突然人間がやってきた。ぱっと逃げ散る母や兄弟姉妹たち。身を低くして、その場に溶け込もうという、何やらつまらない動作を取った私は、わけもわからぬうちに大きな暖かいものにすくい取られ、気の遠くなる高さに持ち上げられた。そうして、震えているうちに着いたのが今の我が家だったのだ。

 この家には人間の夫婦者が住んでいて、どういう気まぐれやら、私との同居生活を始めることにしたのである。私は、最初は不可抗力で、それから消極的な自分の意志で、この家に住むことになった。自分一人では到底餌が取れない不器用な私に美味い餌をくれる夫婦者の存在はありがたかったし、何ならあの冷たい母のかわりに新たな母と思ってやっても良い、と思ったのだった。もとの母やら兄弟姉妹のことは、それきり考えもしなかった。猫は利己的である。私も例外ではないのだ。

 そんなこんなで何年も経った。私はひたすらに、飼い猫としての日々を明け暮らした。鼠や虫を捕る技術はちっとも上達せず、あの美味そうな蝶々はいつも私の前肢をすり抜けて空中に消えてゆくのだったが、私のつかんだ飼い猫としての幸せは、確固として動じないかに見えた。猫は利己的ではあるが情は移るもので、あの美味い餌をくれる、夫婦者の顔色を窺いながら生きているせいか、人間の何たるかについて徐々に私にも合点がゆくことも多かった。

 私の人間に詳しいことと言ったら、むしろ仲間の猫よりも人間に詳しいといってよいほどで、伴侶となる牝猫はちっとも見つからなかったが、人間が何を考えているか、私に餌をやる気分だかどうか、まず十中八九はわかるようになっていった。これはぶたれる、と思えばいつまでだって出てゆかないし、猫なで声で話しかけてくるときにはうまくすれば背中の痒いところを(ぶちのところが太陽に当たると、そこがたいへんに熱くなって、たまらないのである)掻いてくれるかもしれない。はなはだ利己的で悪しからずながら、そういう場合は背中を夫婦にゆだねるのもやぶさかではないのだった。

 そんなある夜のことだった。夜中の孤独を楽しんでいる私の目の前で、夫婦者の、男のほうが、いつものしまらぬ顔を、ぐいと引き締め、電話の向こうの何者かと話をしていた。記憶にあるかぎり、あの男がこんな表情を見せたことはなかった。さらに、似合わぬ深刻そうな顔で妻と話した男は、ふたり、夜中だというのにいそいそと着替え始めた。いけない。これはいけない。私はひとまず身を隠すことにした。利己的だといわば言え。

 だが、私の勘は、いつものように大外れであった。夫婦から逃れようとして慌てて潜り込んだ先は、男の自動車だったのだ。前にこれに乗せられたときは、なにやら薬臭い建物の中、痛いいたい注射を打たれることになった。なんと不器用なのかと思ったがもう遅い。夫婦は慌ただしげに乗り込んでくると、私を乗せたまま、車をいずこかへと走らせた。さらに悪いことに、うろたえて飛び出したところを妻に見つかった私は、シートの下から引きずり出されるという醜態を演じる羽目になった。猫として何かが欠ける私である。

 それから何がどうなったのか、あまりの動顛の余りいまだに記憶が曖昧である。車が止まり、息を切らせた妻に抱きかかえられて階段を上ったり降りたりどこかへ連れてゆかれたような気がするが、気が付くとそこは、例の薬臭い部屋のようだった。それは人間のための病室で、そこにいるのは男の叔母、死病に冒され瀕死の床にあった老女だったのだが、そのときの私の頭には、以前似たような部屋で打たれた注射のことしかなかった。私だって痛いのは嫌いである。力の限り暴れると、妻はやっと私を解放した。いや、妻の力が、そのときだけ緩んだような気がするのだが。

 そのときだった。私の目の前を、何か白い、得体のしれないものがふわりふわりと横切っていった。いかに動顛していようと、こういう場合に、ふむ、と見守るようであればそれは猫とは言えない。私だって猫は猫である。しばし、自分が逃亡の身であることも忘れ、それに飛びかかっていった。いつも庭の蝶々をおいかけていたように。

 なにかを掴めたような気はした。爪の先に何か感触を覚え、あわてて抱きかかえようともした。しかし、冷たい床の上に降りたって、歓喜の息をついた私の手の中にはもうその「なにものか」はなく、慌ててきょろきょろと見回した遥かな上方を、その白いものは登って、飛んで消えていった。周りが人間達の、知っている人間と知らない人間達の、悲痛な鳴き声で満たされていることに気が付いたのは、やっとその後のことだった。

 猫は利己的な上に複雑とは言えない生き物であって、不快な記憶を残しておくことはあまりない。私はそれなりに充実した毎日のなか、そんなことがあったことも、ほとんど忘れかけていた。ずっと後になって、初めてそのことを思い出したのは、妻が死んだときであった。

「その時」の訪れは、慌ただしかった。ある午後、いずこへか出かけた妻を見送って、外で蝶々を追ったり、甲羅干しをしたりしていた私のもとに、隣のご夫人がやってきて、家のチャイムをしきりと鳴らしはじめたのだった。不器用な私だが、人間には詳しい。私は、ぴんときた。ただならぬことが起きたのだ。私は、普段なら決してせぬことをした。ご夫人の前に姿を見せたのである。
「ああ、何をしているんだろう私。ご主人は会社に決まっているわ」
 何も答えぬチャイムを鳴らし続け、ふと、我に返ったように、そうひとりごちたご夫人は、私の姿を認めると、何を思ったのか、私をひょいと抱き上げた。
「連絡先は、どこだったかしら。ああ、どうしましょう」
 私はご夫人の有無を言わさぬ力で運ばれ、流されるまま運ばれた。ご夫人が男に連絡が取れたかどうかは私の知る所ではない。

 そうして、連れてゆかれた先は、あの薬臭い部屋だった。何か恐ろしい事故にあったのか、捕られてずいぶん経った鼠のように、おそろしく血を失ってそこに横たわった妻の元に、やがて男もやってきた。私にとっても大切な、餌をよくくれた妻は、それでも身動きもしない。医者がすまなそうに男に話しかけ、それを聞いているのか聞いていないのか、男は男でしきりに妻に話しかける。信じられないような静寂の一瞬のあと、妻がただ、ふ、と、最後の息を吐いた。そして。私が見たものは。

 あれだった。あの白いもの。そして、あの白いものは「妻」だった。私は、そのとき突然に全てを悟っていた。あれは、私がむかし捕まえそこねたあれは、「男の叔母そのもの」だったのだ、と。そして、これは「妻そのもの」だと。

 私は、夢中で跳んだ。空に向かって溶けて消えてゆこうとする白いものを捕まえようと、思い切って体を伸ばして、跳んだ。爪がぐいと食い込み、一瞬白いものがふらりと揺れる。あとは引き寄せて、掴んで、動けなくして、それから。

 だが、それまでだった。運動不足の私の、猫らしからぬ体をあざわらうように、前肢の間をするりと抜けたそれは、またもふっと、逃れ去る蝶々たちのように、私の元から去っていった。人間なら歯ぎしりをして悔しがったろうところ、私には、あきらめに似たうなり声をあげるほか、術はなかった。そんな私を、一瞬、恐ろしいものを見るような目で見た男は、医者に言われてようやく事態を悟り、妻の腕をかかえたまま、わっと泣き崩れた。

 もともと私のことを好きではなかった男は、何を思ったのか、それ以来、私を毛嫌いするようになった。私がいくら餌をねだって啼いても、頑として何もくれようとはしなくなったのである。私は男の食べ残しを盗み食いしたり、蛋白質自給自足体勢に切り替えるべく頑張ったりしてしのいでいたのだが、あるとき、男は私を無理やり篭に入れ、私を車で遠くまで連れていった。
「ひどいではないか。いくら私が不器用だといって、これはないだろうに」
 私はテも脚も出ない篭の中、そう男に訴えたが、男はきみわるそうに私を見るだけで、私を篭から出そうとも、餌をくれようともしなかった。しまいに、着いた川っぺりで男は私を篭から出した。男が、逃げるようにその場を離れるとき、ふとこちらを振り返った。私は、かなわぬと知りながらも、男に言った。
「本当に、あと少しだったのに」
 通じるはずはない。それでも、私は男に訴えようと、じっと男の目を見るしかなかった。ああ、男にせめてこの不器用な私なみの洞察力があれば。もう一回、チャンスをくれれば、きっとうまくいくのに。

 それ以来、私はどんなことがあっても、あの男のもとに帰るべく、不器用な自分の全てを捧げた。かすかな匂いと試行錯誤に支えられた方向感覚(つまり、あてずっぽう)、遠い山と海の香りのコンパス。見知らぬ人間にもらった餌、やっと捕まえた鼠での豪華な晩餐。飽きない前後脚の一歩ひたすら一歩。そうして我ながら奇跡としか思えぬ旅のあと、男の元に戻って、また追われても、もっと遠くに捨てられても、その繰り返しが幾度続いても。私は歩き続けた。なぜだかわかる、遠くはないその時。男の体を男そのものが離れるその時に、男の枕元にいるために。今度こそ。

 そう、今度こそ、と思うのだ。野生に近い生活に鍛えられた今の自分ならば。生を捨てようとしている「男そのもの」を捕まえて、引きずり戻せるのに。爪をひっかけて、前肢で捕まえて、たたき落として。生へと、生きる日々へと。また私の世話をしてくれる暖かな日々へと。その願いを叶えるために。

 たとえ、それが利己的な願いだとしても。


※この話については、ある経緯があります。こちらのリンク先をご覧下さい
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