蹉跌(前篇)

 大上段に、こういうふうに言い切ってしまってええんかどうかようわからんのですが、人間と機械との違いというと、何やと思われますか。あ、いやいや、人間だって機械の一種である、と言えば言える、それは分かっとります。たぶん、人間自体も突き詰めて言えばある種の機械、物理的に見てそんな特殊な機能は備わっておるわけやないでしょう。我々だってそのうち人間並みの機械を作れるようにならんとも限らんです。や、要するに、今ここで言わんとするのは、現状、そこらにあるパソコンやらなんやらと比較して、人間はどういう特徴なり違いをもったシステムか、ということなんです。え、もちろん答えはいろいろあって、ここですべてを私が網羅して申し上げられる、ということでもない。そういうこととは、ちゃいます。でも、大きな一つとして「並列性」やということは言えるんやないかと。

 並列性、つまり、多重性ですわね。片肺でも、ツバサ半分を失っても飛びつづけられるかどうか。大事なものは必ず二つづつ備えてあって、両方がいっぺんにやられないと使用不可能にはならない。人間はおおむねそういうふうにできとります。聞いた話ですけど、脳みそが事故でかなり失われても、記憶がごそっとなくなったりはせんのやそうです。一つの記憶、たとえば二次方程式の解の公式やとか、ラ行変格活用のしかたやとか、そういうものは、脳みそのある一部で覚えているわけやないと、全体にわたって薄く薄うく書いてあるので、脳の一部がなくなっても思い出せるんやと。そういうもんなんやということです。パソコンやとそうは行きません。ハードディスクの一部が事故で消えたら、そこに書いてあったことがちゃんと、しっかりと消える。

 あ、え、前置きが長うなりました。今年の正月のことについて話そうとしとったんでした。ええ、でも、ここまで話しましたんで、お許しを願ってもう一つだけ前置きさせてもらいます。正月に神社や仏閣に行きますというと「厄年の表」というのかなんと言うのか、とにかく今年あなたは厄年です、という歳の表が貼ってありますわな。あれがもう、ご存知の方はご存知のとおり、実にいろんな年代が今年厄年やと書いてあります。男やったら二五歳と、四二歳と、六一歳と、それぞれに前後賞よろしく前厄後厄。そのほかにもいろんな流儀でいろんな厄があるそうで、そういうのが全部載って表が出とりますから、これはもう、むしろ厄年、厄年の合間に飛びとびに普通の人生がある感じやないんか、一生厄払い厄払いで生きて行かんといかんのではないか、というくらいの表になっとります。まあ、ヒトの一生はそんなもんかといえばそうかもしれませんけんども。

 いや、そうではない。私に関して言うと、これが今年はどの厄にも引っかかってないんです。やや、天網恢恢疎にして漏らさず、ちょっと違いますが、こんなこともあるんやなあ、と、で、むしろ私のそういうところがあかんかったんやないかと思うんです。この神社、正月元旦にお参りに行きましたらば、なにやら嫌に混んでおりまして、二時間か、三時間くらい並んでお参りをした感じやと思うんですが、今年の茨城の正月がまた寒くて、ちょっと頭が痛いなあ、と思っとったわけです。カキ氷を一気に食べるとなりますな、ああいう痛みです。あとから思うと、舌がちょっとぴりぴりシビれた感じは、このころからあったかもわかりません。

 そうしたら。二日になり、三日になりすると、妙に顔が腫れぼったい感じやと。どうしたことやと。いや、この二日間も、なにしろネが暇人でオチョウシモンですから、あちこちに行ってはぞろ寒い思いをしとったわけです。二日は駅からデパートまで一時間も歩いて買い物に行っては、福袋も買わずに本を三冊だけ買ってきたりやとか、三日ははるばるつくばまで出かけて行って筑波山にも登らずに「わんわんランド」なんちゃらというところに行ったりやとか、いや、このワン公が、寒かったですな。犬は一年に三日しか寒い日は無いてなことを申しますが、そのとおり犬は確かにタマラン元気でしたが私のほうが元気がない。それでも犬の縄跳びなんぞというものを喜んで見て帰ってきてなんか夜になって口がうまく開かんわけです、大きな、そう、豚まんあんまんの類に大口をあけてかぶりつくということができなくなっている。や、それがまた、こういうことは経験がないではなくて、昔ちょくちょく唇が腫れる、なんてことがありまして原因不明のまま治ったりしておったもんですから、いや、まあ今回もそれかと思っておったと。

 で、四日です。なんだか目が乾く。それも右目だけなんですが、うまくマバタキができない感じである、おかしなあおかしやなあ、と思って鏡を見て、わかりました。右眉がぜんぜん上がらなくなっておるわけです。鏡を見て、こう「なんやあんたびっくりするがな」という感じで眉を上げると、どんならん、左側しか上がらんと。わあ、ミスタースポックや、とか古ういことを言いながら、最初に思たのは、ああ、病院行かなならんな、ということでした。面倒なことになったと。そのときはまだ完全に動かないわけやなくて、眉もちょいとは動いとりましたし、口のあたりはまあまあ自由になっておったんですが、四日っちゅうのはまだ正月です。病院がどっこもやってない。いちおう電話すると五日からや、てなことを言うわけですな。それでその日はもうどこにも行かず酒も飲まずモチも食べずに、おとなしゅうしておったわけですが、これが寝て起きたら、もう顔の右側がぜんぜん動かんようになっとりました。

 いやあ、その四日から五日、病院に行くまでというのが、今から思えば一番悄然としておりましたな。あ、や、しょんぼりしておったということです。なんにしろ、顔の半分が麻痺した、というのは穏やかでありません。医学の心得のない悲しさ、確かな情報はないんであって、もう一生このままかもしれん。眉を上げたら片眉しか上がらん、口を「いーっ」とやると左側ばっかりが引っ張られるもんですから、なんというか、あんまり詳しくは描写しないですが、思っても見なかったような表情ができてしまう。目をぎゅっと閉じても右目だけは「たるん」としていて、それでかどうか、やたらに目が乾いて本も読んでられない。

 つまり、顔の右半分の運動が、自分の思い通りにならんようになった、ということです。麻痺というのとはちょっと違う、顔の右半分、触ってもひねってもちゃんとわかる。舌はちょっとしびれたような感じはするんですが、味はわかる。それなのに動かそうとすると、凍りついたように動かんわけです。はあ、こういう状態で、意気揚々とした人がいたら会ってみたい。

 いやいや、そうはいいつつも、別にどこかが痛いわけではないので、動かないだけなんであって、まあ、おおむね困り顔で笑ってはおったわけなんですが、いちばん情けなかったのはしゃべるときと飯を食べるときでした。「ぷ」とか「ぱ」とかいう音、破裂音なんてことを申しますが、これは、私知らんかったんですが、左右の口の筋肉がちゃんと備わっていて初めて出る音らしい。プと言おうと思うと、息がもれてなんや、情けなーいプーになるわけです。扇風機が「せんふーき」乾布摩擦が「かんふまはつ」になるわけです。は、いや、扇風機も乾布も本件にこれ以上関係せんのですが。

 で、飯はめしで、困ったもんであったわけです。なにしろ食べにくうてならんのです。口が開かんだけやない、食べたらたべたで、飯粒が全部右側の、頬の内側と歯茎との間にたまってゆくという。いや、汚い話ですんませんのですが、しかたがない。咀嚼しておりますと、こう外側にこぼれるヤツがおるんですが、これを「いー」と言うか「あいー」というか「うおあえいーあ」というか、こうもぞもぞやって、セルフサービスでもってのかき出しがうまくできんわけです。箸やら指やらで外圧的にそういう迷い飯を口の中にもどしてやらないといけない。ちょうど歯医者で麻酔を打ってもらったらこんな感じになるわけですが、不思議なことに感覚はある。それだけに、ああ、それだけに、唇を前歯で噛みやすいというのが、辛くて辛くて。ほら、口腔の中に空間が作れないもんですから、麻酔のかかったときと同じで、下唇のちょっと下の、右側のはしっちょのほうを、ガリと噛んでまうわけですガリと。つまり、動かないんやけど、痛いことはいたい。いやもう、なんやらかやら、あれこれ考え合わせて一言で言って、情けないことこの上なかった。

 それで、やっとのことで五日朝九時、近所の病院に行ったわけです。あ、えー、ところで、まだ長うなります。もしあなたがまだ私の、この話を聞いてくれると、そないおっしゃるんでしたら、そろそろ休憩を入れたほうがええかも知れません。は、お茶でも呼ばれましょ。はい。いっぷくいっぷく。


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