ジョセフる

 新聞でちょくちょく見かける習慣だが「DRAM」に括弧付きで意味を付け加える書き方、あれはよしたほうがいいのではないかと思う。たとえば「東芝がDRAM(記憶保持動作が必要な随時書き込み読み出しメモリー)事業から撤退」などという記述だが、どうだろうか。この場合「記憶保持動作」の有無は本質的な問題ではないし、RAMを「随時書き出し読み出しメモリー」と書いたところでちっとも明確にはなっていない(なんで「メモリー」は翻訳しなくていいのだ)。書くなら逐語訳よりも「パソコン等で現在主流の一時記憶素子」とか、そんな感じの説明のほうがいいんではないか。

 ということとは関係なく、今回の主題である。君は「ジョセフ・ジョースター」を知っているか。

「知っている」という方には説明するもおこがましいが、彼は荒木飛呂彦氏の代表作「ジョジョの奇妙な冒険」第二部の主人公である。生まれつきある種の波動エネルギーである「波紋」を操る能力を持ち、それ以上に、クレバーで抜け目のない喧嘩の達人であるジョセフ(あるいはジョジョ)は、その鋭い頭脳を生かしたある特技を持っている。戦っている敵の、次のセリフが何であるかが、わかってしまうのだ。こんなふうに。
「おまえの次のセリフは『なんでわかったんだ』という」
「なんでわかったんだっ。…はっ」
 敵はその通り、言ってしまってから愕然とする。なにしろ、次に何と喋るかのレベルで予測されてしまうということは、行動なんかもう掌を指すように読まれているに決まっているのである。ケレン味たっぷりの、鮮やかな逆転の表現であり、登場人物たちと読者はジョジョが窮地を脱したことを知るのだ。この長く、多数の「ジョジョ」たちが登場する物語において、この魅力のあふれるジョセフが主人公として登場するのは八八年前後の数年間のことだが、八八年といえば私は高校生だったことになる。シビれたものである。

 ただ、憧れはあこがれとして、格好いいので自分でもやってみようと思うと、これが一筋縄では行かない。いや、むしろ不可能である。理由しては「人は喧嘩の最中にそうそうおしゃべりをしたりしない」というくだらないものもあるが、それ以上に、この一連のやりとりが、普通の会話として考えるとまったく尺が合わないのである。「おまえは…と言う」のくだりが、口に出して言うととにかく長すぎる。

 実は、日常生活で相手の次の言葉が読めることはないではない。ところが、そのリードタイムはほとんどの場合、ほんの一瞬である。とても「次におまえは『あなたのために祈らせてください』と言う」などと言っている時間はないし、無理に相手の言葉をさえぎってまで宣言したとすると、相手がまずこちらの言葉を聞くことになるので、次の言葉はこれへの返事になってしまう(「え、なんだって?」とか)。予言が現実を変化させてしまうのだ。

 要するに、これは漫画ならではの「時間の圧縮」なくしては成り立たない技なのだろう。もしこのくだりを舞台かテレビのドラマにするとしたら、ジョジョ側がかなりの早口になってしまうか、それとも「…と言う」とジョジョのセリフを確かに聞いたにも関わらずおめおめそう言ってしまう敵側が、いくらなんでも大馬鹿統領に見えてしまうのではないかと思う。寒風吹きすさぶ現実に生きる我々はジョジョの華麗な台詞廻しを指をくわえて見ているしかない。とても残念なのである。

 しかし、人生何事もあきらめてはいけない。あれから十二支もひとめぐりして、二一世紀にもなり、まさか「ジョジョの奇妙な冒険」の連載が続いているとは思わなかったが、不肖この私もまた歳を得てたくましい雑文書きに成長した(「たくましい」と「雑文」のあたりが矛盾しているような気もするが)。そしてついにこの技が生かされる時がやってきたのだ。

「次のニュースです。今日、衆議院予算会議の代表質問で…」
「おまえは『混乱は避けられません』という」
「…としており、国会の混乱は避けられません」

 これである。テレビが相手なら、思う存分「ジョセフぶり」を発揮できるのだ。まずもってテレビのニュースなどには決まり文句が多い。なにしろ、内部の事情に詳しい者が殴る蹴るの暴行を加えたうえ五千人の足が乱れたのである。さらに、平安時代から続く伝統行事に舌鼓を打って一足早い春の訪れを感じていたのである。加えて、訴状を見ていないのでコメントできないのである。タイミング的にけっこう厳しいのは同じでも、なにしろ相手はこっちの言うことなんか聞いちゃいないのであり、大丈夫ちょっとくらいカブっても予言の威力は変わらない。

「…こしらえるほかないだろ、見てご覧よ聖子ちゃん可哀想に」
「次のセリフは『口挟むんじゃないよ』だ」
「かあちゃんは口挟むんじゃないよ、これは幸楽弁当の」

 ドラマにも応用できるのである。いいのか橋田。

 ともかく、このふやけたテレビ界に極私的にカツを入れる「ジョセフる」、あなたもぜひ、試して欲しいと思う。まずはコマーシャルあたりからはじめて、天気予報とか「首位とのゲーム差を三としました」あたりに入ってゆくといいんではないかと思ったりする。なお、バラエティの場合は「衝撃の結末はコマーシャルの後というっ」などとコマーシャルにゆくタイミングを当てることができるが、これは本文の話題とはちょっと違う気がする。

 そういえば今思い出したのだが、私の父が、テレビで洋画を見ながら、よく言っていたアレ。あれこそはこの「ジョセフ」のナチュラルな形ではないのだろうか。こんな感じである。
「おい、あれ、見とってみ、あのトレーラー崖から落ちるぞ…」
 (がたがたがた、どかーん。ぼわーん。ずごーん)
「…ほら、そないなったやろがい、言うた通りやろ」
「あれは、ロープが切れるんやな。…」
 (ぴぴぴ、ぷちぷちぷち)
「…切れてった切れてった…」
 (ぶちぶちぶち、ぶちいっ)
「…な。先は大体読めてまうねやがい、アホな映画やのう」
 そう考えてみると、なんだか、思ったほど、そんなには格好よくないのかもという気が、そこはかとなく漂って来たところで、ここで終わるのである。えーと、おまえの次のセリフは「時間の無駄だったか」だっ。


トップページへ
▽前を読む][研究内容一覧へ][△次を読む