三つの袋

 日系植民惑星「あさひ」、新都インペリアルホテル「朱鷺の間」芦田・S・飛猿/花咲・K・近湖結婚披露宴スピーチ
 話者:新都大学人文学部史学研究科名誉教授・新都文化大学特別講師、真崎・F・豊国
 日時:朝日二六七年夏七三日第一四刻

 えー、ごほん。ごほん。いや、こういう場は話しづらいものであります。ごほん。私はしゃべるのが仕事みたいなものなのですが。え。ごほん。
 え、ご紹介にあずかりました、真崎でございます。花咲君の大学時代の指導教官であるということで、二人の門出にお話をせよと、そういうことでお時間をいただいております。昨年新都大学のほうを定年になりまして、今は新都文化大のほうで講師を、あ、いや、そういう話はどうでもよいですね。ともかく、私はかつて新都大学で花咲君を指導と申しますか、いえ大した指導も行った記憶はありませんで、花咲君のほうで勝手に研究して勝手に論文を書かれて学位をひっさらっていかれたような、そんな優秀な学生でありましたが、彼女が新都新聞社に入社され、仕事のほうも恋のほうもおさおさ怠りなく、七年目にして今日の良き日を迎えられましたことは誠におめでたいことであると、花咲君芦田君ならびに両家の皆様にまずお祝いを申し上げます次第でございます。

 こういう場で長々とお話しをいたしますのはルール違反であると、こう言われておりますが、え、折角でございますので、しばしお時間をいただきまして、私どもの研究から一つ話題を引きまして、お祝いの言葉とさせてゆこうと思っております。

 何を申し上げればよろしいのか、いろいろ考えましたのですが、我々が母なる地球を離れ、この惑星「あさひ」へと移住いたしまして、永い年月が経っております。途中、幾たびかの不幸な戦争によってかつての文化が断片的にしか残されていないこともありまして、我々はまるで一人自分たちで文化を作り上げてきたような、昨今ではそんな気になっております。しかし「昔の人はいいことを言う」ということわざもありますし、文化的な「へその緒」は細くはなりましたけれども、切れてしまったわけではございません。私の専門はちょうどその辺りでありますから、いいことを言っている古い言葉を引きまして、お祝いの言葉に代えればよいのではないかと。いや学者馬鹿でどうしようもないところでありますが、そこは私のようなものにスピーチを頼んだ花咲君が悪いのでありますから、こうなったらひとつ私の講義を聞いて帰っていただきたいと、ええ、そういうことであります。ごほん。

 さて。こういう場合に、よく引きあいに出されるのは「人生に必要なものは三つの袋である」というたとえであります。これもまた実に古い言葉であるようですが、古典としてご自分やご家族の結婚披露宴などで聞かれた方は多いのではないでしょうか。一つ、堪忍袋、一つ、給料袋、あと一つは忘れましたが、ええ、何かそういったことにこじつけて、いや言い方が悪いのですが、そういうふうに言いまして、これからの二人の生活について何事かを述べようというものでありますね。

 問題は袋ではありません。この「三つ」のほうであります。どうして三つなのでしょう。いえ、二つではいけません。四つでは多すぎます。そういうことで三つなのでしょうけれども、昔から我々人類はさまざまな三つのナニかということで話を作ってまいりました。三名園ですとか、三英傑ですとか、三大テノールですとか、言葉だけは残っておりましてそれぞれの内容がなんだということは伝わっておりませんが、とにかくこういうものは三でなくてはならないようであります。三種の神器などというものもありましたですね。冷蔵庫、洗濯機、テレビでありますが、このうち一つは源平の合戦のときに失われたとされております。源平がなんだかはわかっておりませんが。

 そういうことでもう一つ例を挙げますが、古い文学には「三つの願い」というモチーフがしばしば登場いたします。時代にほとんど関係なく、一定の頻度で出てまいりますのですが、悪魔や魔人、猿の手というアイテムの場合もございましたが、とにかく何か超自然的な存在がなんでも願いをかなえてくれる、しかしその回数はたった三回である、というのが一つのパターンになっておるようですね。三回の願いで「若さ、健康、金」というふうに願えばいいようなものですが、そこはそれ、物語でありますから、ここにさまざまなアイデアが注ぎ込まれ、さまざまなお話が作られております。

……なんですか、はい、はいはい、そうですね。「あと百回願いをかなえて欲しい」。はは、え、実はそれは一つの、かなり使い古されたアイデアになっております。それはさすがにルール違反、あるいは陳腐すぎてそのアイデアで物語を作ったりはできない、とされておることが多いようです。数学の、何といいましたか「自分自身を要素として含む集合」というような話であるようですね。確かゲーデルとか。

 それはさておき、仮に我々が三つの願いをかなえてもらう幸運にあずかったとして、どう幸福になるか、というのはなかなか難しい問題であります。秘儀を尽くし、悪魔を呼び出します。悪魔は、あなたの「魂」と引き換えに三つの願いをかなえようと申し出ます。魂というのはかなりの代償であるとされておるのですが、まず現世的には万能であります悪魔にできないことはありません。何を頼めばよいでしょうか。「若さ」はやがて老いが訪れることでありましょう。「健康」もですが、事故で死んでしまっては何もなりません。「お金」もいつかは尽きます。絶世の美女だか美男だか、そういうものにも飽きが来るときがあるかも知れません。欲を捨てて、世界の平和やそういったものを願ってもかまいませんが、それは個人の幸福とはまた別であるかも知れませんね。

 そんななかで、最近発見されました過去の物語の中に、たいへんエレガントな解答を提示しているものがございました。ご紹介いたしましょう。それは「愛」であります。すなわち、呼び出した悪魔に願うわけであります。「私を愛せよ」と。

 これは、なにしろ悪魔でありますから、愛されるということがどういうことかわからない。あるいは相手が魔法使いでも魔人でもなく「猿の手」だったりしたらどうしようもないことでありますが、お話としては「あと百回の願い」よりもずいぶん面白くなりそうなのは確かであります。まこと、昔の人はいいことを考えるものであります。万能の相手に愛してもらえれば、確かに不幸になることはありそうにありません。愛とは相手の幸福を願うことでありますから。

 花咲君、芦田君、つまり私の申し上げたいのはそういうことであります。お二人にはどうかこの「愛」を大切にしていただきたい。お話としては三つの願いはなくてはなりませんが、二人の間にはこの一つだけ大切に持ってゆけばよいはずであります。お二人がお互いのことを思いやり、愛を持って家庭を築き上げて行かれるのなら、こんなによいことはありません。「愛」こそが、ほかの全ての願いに勝る幸福の素なのです。そうすれば、三つなどというケチなことは申しません。幾百幾千の楽しい願いがお互いの間で叶い続けることにもなりましょう。

 というところで、はなはだ簡単ではございますが、え、いま失笑が聞こえてまいりましたが、以上でございます。お二人の「愛」が強靱でなにものにも負けないものでありますよう、お祈りをしております。それでは皆さま、ご機嫌よう。


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