かなたの辞書

 生物の進化は、大多数の仲間から切り離された小さなグループで起こる、という説がある。これは一つには「どうして中くらいに首の長いキリンの化石が出ないのか」という疑問への答なのだが、たとえば大陸に住んでいる、非常に繁栄した生物があると、数が多いので、なかなか目立った進化の変化が生じにくい。少し有利な形質(たとえば「首が長い」とか)を持った個体が出てきても、すぐ他の血に埋もれてしまって生物全体を大きく変化させてゆくに至らないのだ。一方、山脈の向こうに小さなグループができると、そこではなにしろ数が少ないのであっというまに生物が変化してゆく。そうしてうんと首の長くなった集団が、あるとき、大陸全体のその生物にとってかわる。

 大陸の中央部にいて平穏をむさぼっている「伝統型」の生物にしてみると、こんな感じに見える。あるとき山脈の向こうから「進化型」の生き物がやってくるのだが、それは昔自分たちと同じ姿だったもので、しかし、もう自分たちとは混血できないくらい変わってしまっている。「進化型」はなにしろ性能がいいので、自分たちは圧倒されて、ついには滅ぼされてしまう。生態学的ニッチを明け渡すわけだ。中くらいの首の長さのキリンの化石は、山の向こうの狭い範囲で、短い時間に生きていただけなので、草原をいくら探しても出てこない。そもそも、動物の化石が残るのはかなりいろいろな条件が奇麗に揃う必要があるので、沢山いたわけではない動物の化石は現実にはほとんど出てこないのだ。首の短いキリンが、首の長いキリンにすぱっと切り替わったように見える。

 もちろんこれは一つの説であって、実際の進化においては他にもいろいろな形態がありえるのだと思う(だいたい、キリンが上記の過程に従って進化したかどうかも私は知らないのだ)。しかし、少なくとも、非常に納得できる、理にかなった説ではあると思う。アナロジーで生半可な理解をすることになるが、たとえばの話、文化における「言葉の変化」「新語の誕生」という過程について考えても、この説と同じように、他とあまり交流しない少数からなるグループで生じやすいと思うのである。

 というわけで、造語の話をしよう。どんなグループにも自分たちの言葉、自分たちだけに通じる言葉というものがある。かつて私が属していたグループ、今私が属しているグループにもいろいろと「新しい言葉」があった。グループの人数が少なく、ローカルであるほど、広い範囲にその言葉の必要性を納得させる必要なんてないほど、先鋭的で難解な新語が次々と生まれるものであるに違いない。

 しかし考えてみると、これだけでは、これは一種のローカル性というだけのことで、それがいつの日か大陸の中央部に戻って、伝統的なことばを圧倒できるかというと、そんなことはない。つまり「性能」が標準語と変わらない場合が多いので、それでは新語の意味はあまりないと思うのである。いや、別に自分たちだけで機嫌よく楽しんでいるのならそれでいいのであって、そこに文句をつけてもしようがないのだが、せっかくなのであえてランクを付けてみるとしたらどうだろうか。仲間内の隠語や造語で、偉いのはどういうもので、偉くないのはどういうものか。

 まずは一つ。
「他の言葉を単に置き換えるだけのものは偉くない」
と言えるだろう。いやなに、偉そうに書いてはいるが、これは私が今この場でひねりだした評価軸であって、私自身来週も同じことを言っているかどうかはわからないのだが、とにかく一つ、こういう評価は考えられる。単に自分たちのグループ以外に通じなくするための、隠語としての造語はつまらない。「ホシ」じゃなくて犯人と言えばいいし、「シーメ」「デルモ」なんて今言っているひとはあんまりいないと思うがこれも「飯」「モデル」と言えばよい。「ナオン」に「女性」以上の新たな意味が出てくると面白いのだが、基本的にこれらの語の役割は暗号(コード)なのだ。新語とは言えないし、将来中原にもどってきて一般に使われている語をリプレースするものも、あんまりないだろう。

 さらに、
「新しいモノや概念を表すためだけの語も、あんまり偉くない」
とも言える。たとえば「ニュートリノ」という単語がある。これはある種の素粒子、弱い相互作用に伴って放出/吸収される電荷を持たない軽い粒子の一群に付けられた名前だが、こういう新しいモノに対して必要に応じて新語が作られるのは当たり前で、偉いのは新しいモノや概念であって言葉ではない。これがノーベル賞かなにかをきっかけに人口に膾炙するようになったとしても、もともとニュートリノに当たることばが標準語にあったわけではないので、何も置き換えはしないのである。いわば新種の生き物が新たなニッチを見つけ出したわけで、進化とは言えない。

 当然のことだが、これらに加えて「内輪ウケではいかん」ということがある。たとえば、私の大学時代に、実名を出して申し訳ないのだが、「みやける」という言葉があった。意味は『【文化】三宅君のような状態。三宅君のするようなことををすること。また、一般的に三宅君的な状態、趣味、環境、容姿をさしていう。おやじる。「またみやけっちまったよ」「みやけてたらだめだぞ」』なのだが、ふははは、何が面白いのか、わかるまい。三宅君がどういう人であるか、さすがに一般には知られていないわけで、こういうのはダメである。残念だなあ。面白いのになあ。

 というわけで、小さなグループから出たものではあるけれども、普遍的に通じる意味、普遍的に役に立つ意味を持ち、しかも既存の語で置き換えが効かない、そういう言葉が中央に揉まれて生き残る可能性を持った明日のキリンであると言えると思う。私のこれまでの人生で、そういうものがないか、考えてみた。いくつか挙げてみよう。

一次近似
(いちじ-きんじ)【数学】(1)あるデータから背後に隠れた法則を見つけるにあたって、直線(一次式)で近似を行うこと。よく使われる、多項式で近似する方法のうち、一次はもっとも簡単な近似法となる。ぶっちゃけた話、ばらついたデータの上にえいやと直線を引いてしまうことである。(2)転じて、いいかげんな推定。とりあえずは役に立つ推定。「払いは一人二千円です。一次近似ですが」「父親は一次近似で言うと、サービス業です」(※もっといいかげんなものは「零次近似」と呼ぶ)

律速
(りっそく)【工学】(1)「ボトルネック」の訳語に近い。流れ作業的ないくつかの段階がある作業で、もっとも処理に時間がかかり、全体の速度を決定する段階のこと。ここが少し遅れると全体が遅れるが、他の部分が少しくらい遅れてもどうせ一番遅い部分の前で部品がたまっているので、さして影響がないことから「速さを律する」と表現する。(2)広く、効率や所要時間が依存している項目。「予算に律速されている」「先生の機嫌に律速されている」

縮退
(しゅくたい)【物理】(1)量子力学において、二つ以上の状態が同じエネルギーを取るため、区別できなくなること。(2)難しい説明に踏み込まないでこのニュアンスを伝えるのは難しいが、これをどんな風に使うかというと、こうである。「わし、関西生まれやから東北の県ぜんぶ縮退してもとるねん」「田中君は君の一年後輩か、いや、縮退してるなあ」

借りパチ
(かり-ぱち)【文化】借りる+パチる(=盗む)から。友人などに借りたまま、返さないこと。あるいは、最初からパチるつもりで「貸してね」と言いながら持ってくること。「うちにも『みんゴル2』あったんやけど、弟に借りパチされてもてん」

 こんな感じであるが、どうだろうか。書いてから思ったが、やっぱりこの語が中央を制することは、あまりないような気がする。考えてみれば、キリンの背後には何十種何百種、いやもしかしたら何万種もの「中央に出られなかったキリン(のようなもの)」「中央からやってきた原種に逆に駆逐されてしまったキリン(のようなもの)」がいたに違いないのである。たいへんに悲しいことだ。「ノッケー」も流行しなかったしなあ。


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