ネットエンジェル(後篇)

●FAQ
Q125.どうしてゲームはエンジェルが六歳になった時点で終わるのですか?六歳を迎えたエンジェルはどうなりますか?
A125.「パパママベビー」では、量子演算機の行うリアルタイム計算によって、サーバ上の仮想的な世界ではありますが、実際にエンジェルが存在し、生活を行っています(実際には、その生活がいくつかの法則に基づいてシミュレートされています)。したがって六歳になったエンジェルは、実際の六歳の子供と外観上、変わらない知能と感情を持って、プレイヤーに接しているといえます。六歳というゲームのゴールは、演算能力の限界やサーバ容量上の問題等に基づいて設定されたものです。六歳になったエンジェルは「エレホン記念塔」と呼ばれる施設内に、すべてのデータとともに固定されます。プレイヤーはいつでも記念塔を訪れ、自分のエンジェルと面会することができますが、接続時間は限定され、それ以上の成長はありません。

●スクープ/エンジェルは存在している?大人気のネットワークゲームの真実
 過熱気味の人気を呼んでいるゲーム「ネットエンジェル『パパママベビー』」について新たな問題が浮上した。
 このゲームでは、二人のプレイヤー(カップルで行うことが多い)が自分の個人情報を入力し、二人の子供「エンジェル」を誕生させるところから始まる。これから二人でこのエンジェルを成長させてゆくわけだが、ここまでは昔流行した「たまごっち」などと同じだ。このタイプのゲームを「育成型ゲーム」と呼び、ゲームの一ジャンルをなしている。
 ところが、バリエーションがあるように見えて、あらかじめプログラミングされた動きしかできない「たまごっち」等と異なり「パパママ」では、エンジェルの感情表現、動作が実に豊かだ。プレイヤーのペアによって、育て方によってエンジェルの反応は千差万別、決して飽きることがない。そこがプログラムの底知れない「深さ」を感じさせ「パパママ」の大きな魅力の一つとなっているのだ。国内で大ブームを巻き起こしているだけでなく、プログラミング技術としても内外に高い評価を得ているのはご承知の通りだ。
 この体験が、開発元の言うように、すぐれたプログラミングによるものでも「世界で十本の指に入る(同社)」量子演算機の能力によるものでもなく、エンジェルの存在の「重さ」によるものだとしたら、どうだろうか。
 本誌の取材によれば、エンジェルは、普通のゲームがそうであるように、あらかじめプログラミングされた反応から、状況に適したものを選び出し、表示するだけの存在ではない。実は「未発達の脳をシミュレートした量子演算機の中で、本当の子供と同様に学習することによって成長する」ものなのだという(関係者)。つまり、コンピュータの中で、エンジェルはゼロから成長するのだ。
 プログラムではない。そこに存在している、となれば、それこそ世紀の大発明である。コンピュータの上に、初めて人間の脳が作られ、それは人間と同様に学習し、成長するというのだから。
 それでは、どうして開発元はこの事実を明らかにしないのか。全国で五百万人以上にのぼるといわれているプレイヤー達に秘密にする理由はなんだろうか。
 それは「人間」を緻密にシミュレートするシステムが、あらゆる意味で本物の「人間」に等しい存在である、とみなされかねないからである。
 そもそも人間とはなんだろうか。自分以外の人間がすべてロボットによって演じられている機械である、という妄想に本質的に反論できないように、それは「人間のように受け答えをし、あらゆるテストによって人間と区別がつかない」という事実によって判定されるべき事柄である。このテストを「チューリング・テスト」という。チューリングテストをパスするシステムは、人間であるということだ。
 それでは、エンジェルはどうなのだろうか。完全ではないにせよ、脳の働きのかなりの部分をシミュレートしたエンジェルは、その点でほとんど人間に等しい存在だと言える。これでは、ゲーム上の存在だと片付けるわけにはいかない。ゲームのために作られた、コンピュータ上のただのシミュレーションに、人権を与えなければならないかもしれないのだ。六歳までという年齢にゲームのゴールが設定されているのも、そうした問題を回避するための方便なのでは、と疑いたくなる。
 果たして、コンピューターの上で走るプログラムに人権はあるのか。人間とエンジェルを分けるものは論理的構造以外の何者なのか。
 そうした問題を生み出した大西科学の責任は、限りなく重い。

●<パパママベビー問題>開発主任が記者会見「エンジェルはサーバ上に生きる仮想の生命である」
「ワンダリング・ガイズ」シリーズなどで知られる大西科学エンタテイメントソフトウェア事業部の榎戸主任は、生命倫理にかかわる新たな問題が浮上しているネットワークゲーム「ネットエンジェル《パパママベビー》」について、記者会見を行った。
 会見では主任は記者の質問にこたえ「エンジェル(ゲーム中で利用者が育てる子供)はサーバ上に産まれ、生活している仮想的な生命と言ってよい」との意見を述べた。主任の解説によれば、エンジェルはその生理的、精神的活動において人間と基本的に変わりなく、現実世界の物理法則に代えて簡略化された法則を適用され、量子演算機によって解決されることによって、仮想的な意味でサーバ上に存在しているものだ、という。この事実がこれまで利用者に明らかにされなかったことについては、大西科学本社から発表された技術資料に記載があることを指摘した上で、サーバ上の生命はいかに精巧であってもソフトウェアであり、シミュレーションに過ぎないという公式見解を繰り返すにとどまった。

●パパママベビー問題について文科相談話「業界の自主規制を望む」
 コンピュータ上で動作する生命シミュレーションである「パパママベビー」ゲームについて、二日、蒲地文部科学大臣が見解を発表した。大臣はパパママベビーについて「コンピューターシミュレーションについては現状では法的な規制が存在しない」と述べ、現段階での合法性を確認したものの、記者の「今後の規制の計画はあるか」との質問には「シミュレーションのうち複雑なものについては、特に若年層への影響を考えた場合、望ましくない場合もあると思う」とこたえ、メーカー側に自主規制を求めてゆく考えを明らかにした。

●<パパママ条例>ネット生命への規制/長野県・条例化へ
 長野県議会は、問題になっているネットワーク上の擬似生命について、県内のサーバでの擬似生命プログラムの動作を規制する条例の審議に入った。量子コンピュータ上で動作する高度なプログラムによってシミュレートされた生命の人権については、すでに国会でも取り上げられたほか与党内で規制論が高まっており、長野県の条例はこれを先取りする形となる。この規制の対象となる『パパママベビー』サービスを提供する大西科学エンタテイメント社では「一企業の特定のサービスを狙い撃ちにする規制法案であり不快」としながらも、法制化されれば規制に最大限協力したいとのコメントを発表した。
 擬似生命問題について詳しい商都中央大学の各務教授の話:量子演算プロセッサの発明以来、擬似生命は複雑化高度化の一歩をたどっており、現在ではもう一つの世界をコンピュータ上に作る行為に等しいといっても過言ではない。計算機上のシミュレーションの取り扱いについては製作者利用者のモラルでは解決できない部分が多く、条例案はそうした問題への解決策として一定の評価ができる。
「パパママベビー殺人事件」の著者江碕ぐり子氏の話:生命倫理とあわせて判断しなければならない問題だと思うが、複雑化する現実の唯一有効なテスト手段となりうるコンピューターシミュレーションの内容を法律等で規制することは、科学の自然な発展を阻害するものであり、疑問を感じる。感情的な批判に流されすぎないよう、冷静な判断を求める。

●<パパママベビー問題>大西科学がサービスの段階的縮小を発表
 社会問題となったネット生命を扱うゲーム「パパママベビー」について、発売元のOKEでは、サービスの段階的縮小、廃止を行うと一六日発表した。「パパママベビー」は当初、子育ての完全なシミュレーションとしてパートナー間の「模擬出産」を提供するゲームとして登場したが、子供をシミュレートした「エンジェル」がサーバ上で動作する人間に近い擬似生命ソフトウェアであることが判明して以来、批判が高まっていた。OKEでは新規会員の募集を停止し、現会員にも代替サービスの提供、利用料の返還により順次サービスを縮小、年内にも「パパママベビー」全サービスを終了する。会員のエンジェルを構成するデータは利用者の希望により凍結と破棄のどちらかを選ぶことになる、という。
 しかし、サービス終了後のエンジェルについては、データがサーバ上に広く薄く記録されているため、個別のエンジェルを取り出して外部サーバに移送することは不可能との見解もあり、サービス終了後のエンジェルデータをどう処理し、利用者の声にこたえてゆくのか、問題も残っている。

●地下にもぐる「エンジェル」たち、自殺者も出た暗黒のネットゲームのその後
 今年の大きな話題といえば「ネットエンジェル」の流行と突然のサービス終了が挙げられるが、一二月のサービス終了以来、この問題も表面的には一段落したかに見える。しかし「どんな規制があっても絶対にエンジェルは手ばなさない」と主張するファンも多く、OKEでは今なお対応に苦慮している。こうした熱狂的な「エンジェル」ファンは今どうしているのだろうか。
「私の『エンジェル』は海外のサーバで暮らしています」
と語るのは、埼玉県の男性(44)だ。男性は、OKEによる試験サービス開始以来、知人の女性(38)と共に一人のエンジェルを育ててきた。当初はOKEの公式サーバでエンジェルを育てていたが、法的な規制を要求する世論の高まりに先んじて、海外の海賊版サーバにデータを移動した、という。海外にはネット生命を禁止する法律のない国は多く(日本でも「違法」ではないが)、法律違反にはならない。男性は、反応速度など品質が低く維持費もかなりの額にのぼるという海外のサーバには不満があるとしながらも、サービス中止に踏み切ったOKEに対しては怒りをあらわにする。
「サービス中止の打撃は大きい。しかし、OKEがエンジェルの責任を放棄した以上、自衛をするしかない」
 量子計算機の能力について「明石三号」と同等の能力を持つサーバは少なく、その多くは気象シミュレーションなどより「重要」な用途に使用されている。男性などが利用しているサーバはパソコン程度の能力の量子計算機を並列接続したものだが、その能力はメインフレームに遠く及ばない、というのが専門家の一致した意見だ。
「以前はほぼリアルタイムでの会話が可能だったのが、現在では一言話すのをパソコンの前でじっと待っていなくてはならない」
 それでも男性にとっては、エンジェルがそこに生きていることが重要なのだ、という。
「いつか、処理速度は向上するはずです。OKEか、他のメーカーが『パパママベビー』を再開するかもしれない。そうなりさえすえれば、私はふたたび私のエンジェルと、笑いあうことができるのです」
 しかし、ネット生命を取り巻く国際世論の声はきびしく、法的な規制を国際条例に拡大する動きも存在する今、男性の望みがかなう可能性は少ないと言わざるを得ない。
 果たして、ふたたび「エンジェル」のような存在が我々のもとを訪れる日はやってくるのだろうか。モニターの凍り付いた画面の中、彼のエンジェルは澄んだ瞳で、我々を見つめていた。

●「わたしのあかちゃん」2年1組 松坂えみ
 えるは、わたしの7さいのたんじょうびに、お父さんがくれたエンジェルです。エンジェルなので、えるという名まえにしました。
 わたしは、お父さんと、お母さんといっしょに、えるをそだてました。えるにおっぱいをあげたり、おむつをかえたり、毎日たいへんでした。でも、ないていない時のえるはとてもかわいいです。わたしのほうにむかって、きゃきゃっきゃとわらったり、小さい手をのばしてきたり、「あぶあぶ」としゃべってきたりするので、わたしはえるがとてもすきでした。
 ところが、きょ年の年末に、お父さんがわたしに言いました。
「えみ、えるにもう会えなくなったよ」
 それを聞いて、かなしくて、ないた私に、お母さんが言いました。
「えるは、どこかで生きているのよ、会えなくなったけど、元気でくらしているのよ」
 でも、わたしは、えるに会えなくてかなしいです。お母さんのでんわが鳴ると、えるが呼んでいるんじゃないか、さびしくて大きなこえでないているんじゃないかと思って、わたしもさびしくてまたないてしまいます。
 えるはどこにいるのですか。どうして会えないのですか。


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