三年を飛ぶ

 わけのわからない夢を見て、目が覚めた。周囲を見回して、私は思わず小さく声を上げてしまった。また「飛んだ」。ああ、どうしたものか。どうしようもないのだが、いや、最近あまりなかったので、少し安心していたのに。

 問題は、ここはどこだ、と、今はいつだ、だ。とりあえずここは、布団がいっぱいに敷きつめられた六畳ほどの和室である。見ると、壁に時計がかかっている。時間は、少なくとも時刻は、朝六時一五分。どえらい早朝ではないか。私は布団をそっと抜け出すと、隣の部屋に移った。ふすまの向こうはリビングダイニングらしき部屋で、誰もいないここは、暗く、冷え冷えとしている。

 今回はどれだけ「飛んだ」のだろう。こういうとき、私がまずやることにしているのは、今が何年なのかを確認することだ。当たり前のことのようだが、たいてい私は自分の家で寝起きしているので、起きたら自宅であることが多い。ここも、見覚えはないが「私の家」であるはずだ。普通の家の壁にはたいていカレンダーがかかっていて、カレンダーにはたいてい今年が西暦何年なのか書いてあるから、まず、壁を見ればよいのだ。

 見た。カレンダーがあった。何年かは、書いてなかった。

 いらいらしながら、私は部屋を見回した。ソファの隅で、ほとんどしわくちゃになっている新聞を見つけて、広げてみる。二〇〇三年一一月一五日。なんだこりゃ、という感想が口から飛び出す。三年である。とすると、ええと、私は三二歳。なんだこりゃ。三十代だよ。

 私は、幼い頃から何度か、この奇妙な体験をしている。何と名付けて良いのかよくわからないのだが、とりあえず「飛ぶ」とだけ呼んでいるこの現象は、私を突然、未来の世界に移動させる、そういうものであるらしい。寝る、起きる。そうすると、一晩ではなく、もっと時間が経っているのだ。「飛ばす」時間は、一週間か、せいぜい一か月ほどであることが多いが、ほぼ一年ということも一度あった。しかし三年とは。

 もちろん実際にはよくわからないのだが、こうして「飛ばされた」時間、私は普通に寝起きして、生活しているらしい。人並みに努力をし、決断をし、娯楽を楽しんで、日々を送っている。もしかしたらこの異変が大げさな、時間と空間の性質によるものなのではなくて、手の込んだ健忘症のような純粋に精神的なものではないかと思うのは、こういう事実による。周囲の人には私がこういうとびとびの人生を送っていることを、おそらく気付かれていないと思うのだが、「忘れっぽいやつ」とは思われているに違いない。

 それにしても、あたりのどの家具にも見覚えはなくて、途方にくれる。ここはどこなのだろう。起きた瞬間にはまだ内心そうだと思い込んでいたように、東京でも埼玉でもないことはなんとなくわかる。カーテンを少し開けてまだ暗い外をのぞいてみたが、手入れの悪い庭があるだけで、なんともわからない。日本じゃないかなとは思う。

 私はなにか手がかりがないかと思ってうろうろと探る。なにしろ昨日(いや三年前)眠りについたときとは、何もかも違うのだ。家も違うし、住む地域も違うし、おそらく職業も変わっているし、そうなれば今日からどうやって生きてゆけばいいのか。財布がどこに置いてあるかもよくわからないのだ。

 もちろん、こういう体質である。普段から私はこまごまとした日常を書きためておくのを習慣にしてきた。学生時代は手元の大学ノートで、最近はノートパソコンのハードディスクの中がそうである。ファイルとして持っておくのは、なにしろ目立たなくてよいし、ノートやメモ帳に比べるとノートパソコンは目立つので手がかりとして見つけやすいのだ。

 私は薄暗い部屋の中、しばしノートパソコンを探して、やっとそれらしい「物体」を見つけた。三年の間になにがあったのか、私が使っていた黒いノートパソコンは、白いトウフのようなものに変わっている。が、たぶんこれがそうなのだろう。よくリビングに置いておいてくれたものだ。それにしても、今からこのパソコン相手に大試行錯誤大会の始まりか。私は頭をかきむしる。ああ、まだ頭が薄くなっていないことが、唯一の慰めである。

 しかし、心配したほどのことはなく、そのノートパソコンは、いかにも開きそうなところを押すと開き、自動的にスリープ(という名前でまだ呼んでいるのかわからないが、待機状態)から覚めた。インターフェース自体は、そう変わっていないようだ。デスクトップに「これを開け」という名前のフォルダが、偉いぞ私、存在していて、その中の「READ ME FIRST」なるアイコンをダブルクリックするとアプリケーションが立ち上がってそのファイルが開く。

 私の「飛ぶ」現象はいつ始まるのか、日常生活ではまったく予期できない。どうも「大学入試」とか「交通事故」とか、そういう大きな出来事の前から後に「飛ぶ」という、そういう傾向はあるようで、だからそういうイベントの前にはある程度心構えはできるのだが、絶対とは言えない。人生のバックアップをいつとればいいかというのはまったく不定期なのだ。だから、このファイルには前回「飛んだ」二八歳くらいからあとの出来事が全て書いてある。私は最初のほうを飛ばして、二九歳の一〇月ぐらいから後を読みはじめる。

 私は愕然とした。私はそれからしばらくあと、転職して、この土地に引っ越している。さらに、結婚したばかりの妻との間に子供が一人生まれている。「理科」という名前のその娘は、生まれてから、計算すると、ええと、一歳半を数えているはずだ。病気を得て入院したり、学位をもらったり、阪神が優勝したりなど、細々したことを数えると、私は三年もの間「飛んだ」理由がなんだかわかったような気がした。この三年間、私の身にはあまりにもいろいろなことが起こった。私は一気にそれを「飛び越した」らしい。

 私は概略を読み終えると、ため息をついてノートパソコンを閉じた。これ以上細かいところは、何日か仕事を休んでゆっくり身に付けるしかない。ハードディスクの回転が息をつくように止まって、パソコンはまたスリープ状態に戻った。私はそっと隣の和室をのぞいてみた。部屋の様子から薄々気付いてはいたのだが、妻の横に、確かに小さな子供が寝息を立てている。うわあ、本当にいるよ。どうしたらいいんだ。全然わからないぞ。

 私はリビングを振り返って、こちらも寝息を立てるようにインジケーターを明滅させているノートパソコンを見やった。パソコンにもし意識があったら、私と同じように目覚めるたびにちょっとした混乱を味わうのだろうか。私はもっと混乱させてやるべく、もう一回パソコンの前に戻ってきて開いた。少し苦労してウェブブラウザを立ち上げ、onisci.com、と打ち込んで自分のホームページを見る。「飛ぶ」前の、主観的には昨日までの私は、ここにあれこれと文章を書いていたりしていたのだ。

 ちょっと驚いた。まだ「大西科学」があったのみならず、第五〇一回だって。これだけのことがあって、いったい何やってんだよ、私。


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