喜びは分かち合えるか

「スケールメリット」という言葉を、日本語で言い換えるとどうなるのだろう。同じことを大規模にやると効率が上昇するという前提で、規模の大きさの利点を指すことばである。もちろんこれと反対に、小さくすることによって見えてくる良い点もあると思うが、こっちを指してはあまり言わない気がする。つまり、荒っぽく言えば「長持ち枕にならず」よりは「大は小を兼ねる」、「スモールイズビューティフル」よりは「大きいことはいいことだ」というような意味になるわけである。

 これを一言で表す日本語として、どうも私にはうまいことばが思いつかない。「規模効用」とかなんとか、適当に作ればつくれるけれども、このレベルの言葉を作ってみてもしかたがないような気もする。要するに、たとえばある品物十個を輸送するためにかかるコストは、同じ品物一つだけを輸送するのにかかるコストの十倍ではない、という、コレのことだ。

 実際、規模が大きくなると効率がよくなる。常識的に、パソコンだろうが新巻鮭だろうが一つ買うよりも十個買う方がお買得なのであって、単純に十倍した値段から一円も負からないと損したような気分になる。これは「お得意さまは偉い」効果以外に、十個売る手間と一個売る手間はそんなに変わらないので、たくさん買ってくれた方が店の方も手間が省けて助かる、という現実的な理由があるのだと思う。買う方の「十個も買ったんだから」という気分ともマッチしていて、素直にうなずける。

 さて、少し前に「宝くじの共同購入」というニュースを見た。そういう行為をネットのどこかで行っているのだそうである。ルールは簡単で、多数の人から購入資金を募り、全額で宝くじを買う。当たったお金を、あとで出資金に応じて全員に分配する。これもまた、単純には「スケールメリット」の利点を引き出そうとする行動である。一人が出すお金はそのままで、たくさん人を集めることでたくさんのくじが買える。生協も同じ共同購入のメリットを利用した組織だが、くじの共同購入にはどういういいことがあるのだろうか。

 今ここで、大雑把に三百円のくじを十枚買って、三億円が当たる確率が百万分の一という、そういうルールのくじを仮定しよう(前後賞のようなものはなし。一枚だけ当たりであとは全部外れ)。この単純化したくじを、三千円分買うのと、共同購入するのとではどう違うか。以下記してみる。

 一人で買っている場合は、当たる確率は百万分の一。当たったらもらえるお金は三億円(一人当たり。以下同じ)。
 十人で買っている場合は、当たる確率は十万分の一。当たったらもらえるお金は三千万円。
 百人で買っている場合は、当たる確率は一万分の一。当たったらもらえるお金は三百万円。
 千人で買っている場合は、当たる確率は千分の一。当たったらもらえるお金は三十万円。

 まず注意すべきは、期待値としては特に変わらないということである。当たる確率と、もらえる金額をかけたものは、常に「三百円」で変わらない(たとえば三億の百万分の一は三百)。これだけを取り出せば「共同購入しても当たりやすさは変わらない」ともいえる。しかし、だから自分一人で買っているのと同じかというと、そんなことはない。「高額の賞金を低い確率でもらえる」がいいか「低額の賞金を高い確率でもらえる」がいいかという価値観の問題になるのである。

 しかし、上に列記した各ケースからかいま見えるのは、どうも共同購入が素敵だという話ではない。むしろ、しょぼい話である。百万分の一の確率で三億円、の迫力と比べ、千分の一で三十万円という額はどうだろう。せっかく仲間を集めても、当たる確率があまり増えない割に、もらえる額はどんどん減っていくように見えるのだ。さらに、一万人で共同購入すると、たった三万円(出したお金の十倍)をもらえる、その確率はわずか百分の一でしかない。ここまで来ると、はっきり割に合わない気がする。極端な話、百万人で買うと、絶対に当たるが、そのときの当籤金は三百円になってしまう。自動的にお金が十分の一になって戻ってくるわけだが、そんなくじを買いたいとは、普通は思わないものである。

 どうもこれは、宝くじの期待値がもともと低いということを、再確認するシステムに過ぎないように思う。普段は「すごく高額のお金がごく低い確率で当たる」ということでそれ以上深くは考えないのだが、まさにそこのところ、言葉は悪いけれども「ごまかし」がはっきりしてくるのではないか。私が見た記事では、ネット上の共同購入があまり人気がない理由として、三億円当たったらそのことを秘密にしておきたい心情と、企画者(みんなのお金をまとめて宝くじを買い、換金して配る人)の信頼性が挙げられていたが、上の話のしょぼさ加減も不人気の理由ではないかと思うのである。

 ところで、この手法のスケールメリットとして、もう一つほかに「共同購入の場合、同じ番号が重複しないように買える」があるだろう。サイコロの一と二と三に百円ずつ賭けるほうが、一に百円賭けるのを三回するよりも「少なくとも一回当たる確率」は高い。これも期待値は同じなのだが、宝くじの場合一回当たればそれで勝利なので(まあ、当籤金分け前が三万円ということでなければ)、一応の説得力がある。

 ただ、これも逆説的ではある。同じ番号ばかり十枚買う、ということは現実にはできないが、もしできたとする。確かにこれも期待値ということでは変わらない。

 違う番号ばかり十枚の場合は、当たる確率は百万分の一。当たったらもらえるお金は三億円。
 同じ番号ばかり十枚の場合は、当たる確率は千万分の一。当たったらもらえるお金は三十億円。

どうだろう。なんだか後者の方が魅力的に見えないだろうか。もともと少なかった確率がさらに減ったところでどうということはないように思えるし、当たればなにしろ三十億である。三十億。九十歳まで生きるつもりで人生残り六十年として、年収五千万というのは、凄い。銀行に預けた場合、利子が〇・一パーセントでも年三百万の収入だ。なにしろ豪華だ。

 というわけで、ここで一つ、共同購入に新たな価値が見出せたかもしれない。共同購入の主催者は、万難を排して日本各地を回り、同じ組、番号のくじを発見し、買い集めるべきである。十枚セットの同一番号のくじを買い集めれば十人分、百枚セットで買えば百人分の「同一番号ばかり十枚のくじ」ができる。これを「当たれば三十億のくじ」として他人に売るのだ。現実的には同番号のくじの発見はかなり困難だろうし(売り場ごとに一万分の一くらいだろうか?)、もともと発行枚数がそんなに多くないと思うし、さらに宝くじの転売は何かの法律で禁じられていたような気もする。しかし、ではあるが、これこそが、スケールメリットというものではないか。繰り返すがなにしろ三十億だ。夢のスケールが違うのである。


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