挙げた拳をどうすれば

「人間原理」という考え方がある。宇宙のあり方、物理法則などがどうして他ならぬこの形式でなければならないかという問に対して、「この形式でなければ宇宙なり物理法則なりを観測する人間が生まれなかったはずだから」と答えるものである。

 確かに物理法則はこうでないといけなかったわけではない、かもしれない。ほかにもたくさんの形式のたくさんの宇宙があってもいいようなものだが、そういうのがあったとして、そういうイイカゲンな宇宙では人間は生まれることができなかった。人間は生まれなかったから「どうして宇宙はこうなんだろう」という質問も生まれなかった。と、要するにこういうことである。ほかにも、我々の惑星、地球はどうして太陽系唯一の水の惑星なのかという問いには。水の惑星でなければ生物は生まれなかったからだ、と答える。なんだかちょっと本末転倒というべきか、詐欺的な、どこか不安にさせられる考え方だと思うのだが、なるほどその通りで、間違ってはいない。

 これと似たような話だと思う。「物語原理」というものを考えた。小説でも漫画でもドラマでもいいが、どうしてこの主人公の身にこのような偶然が降り掛かるのか、ありえない話じゃないか、という問いに対して「そういう特別な人を描くのが物語だからだ」と答えるわけである。その世界におけるほかの誰を描いても良かったが、やはり特別な経験をする人を中心に物語が作られる。だから彼は、特別な偶然に見舞われるのである。気が付いたら目の前に乗組員のいない人型の巨大兵器が横たわっていたり、偶然身の回りで殺人事件が頻発したり、そういうアレだ。

 そういう、主人公ならではのありえない偶然の一つに「伝説の聖剣を手に入れる」というのがあると思う。上のモビルスーツもそういえばそういうところがあるが、たった一つしかない伝説の武器、滅んだ高度文明最高の遺産、究極の魔法大空中戦艦を掘り出すのは主人公なのである。もちろんこれは「物語原理」からしてそうでないといけないのであって、そこに疑問を抱く人はあまりいないと思う。

 しかし、実はここには一つではなく、二段がまえの偶然が隠されている。
(1)かつて存在した高度な文明が、凄い武器を後世に残した。
(2)それを主人公が掘り出した。
後者は単純な「物語原理」で、上に書いたようにここに文句を言っても始まらない。しかし、前者はそうではないのである。隠された伝説の武器、そんなものがあるということ自体、おそるべき偶然、いや、ありえないことではないだろうか。
(1)ー1.かつて存在した文明は、滅んでしまった。
(1)ー2.その技術は念入りに失われてしまって、今はもう同じものは作れない。
(1)ー3.しかしあとで使えるようにその精華が保存されていて、使われるときを待っている。
率直に言って、考えてみるとどうも怪しいことばかりである。

 現実世界においては、幸いあまり過去の技術が失われるということはないと思うが、「埋蔵金」について考えるとこれに近いのではないかと思う。埋蔵金は、あまり見つからないものだ。まず、埋蔵金が残るためには過去に高度に栄えた社会ないし個人がいないといけないが、そんなものはそもそもあまりない。徳川幕府やナチスドイツ、旧日本軍やフセイン政権あたりにはその資格があるだろうが、いずれにしても、使うためには誰かが貯蓄しなければいけなくて、当たり前の話、これは容易ではないのである。

 次に、その社会や人が何らかの原因で滅んだうえ、遺産の一部を使わないで置いておこうと決意しなければいけない。世の中ある程度のお金があればたいていの問題はなんとかなるので、滅ばないように最後の一円、最後の金の一粒まで使わなかった理由が何かなければいけない。「なんでも鑑定団」的な、古いものに現在の観点から大きな価値が出る、というものならいいのだが、そうではない場合「困窮して餓死した人の家に、百万円がぽんと置いてあった」というような話になってしまうのである。たとえば「再起を賭けて一時隠した」というのはありそうなシナリオだが、この場合「そのまま忘れた」という偶然がもう一つ上に載らなければいけない。

 要するに、こういうことだ。「伝説の聖剣を主人公が取り戻す」という話には、二段構えの偶然が隠されていて、普通の物語レベルよりもさらに一段、現実にはあり得ない話である。たとえば「クラスメートに一人お金持ちがいる」に「そのお金持ちは世界的な大富豪の御曹子である」を重ねるようなものである。

 いや、いろいろ書いたが、もちろん物語は物語なのであって、以上の理由にもかかわらず文句をつけるべきことではない。上のありえない偶然、さまざまな困難を、せめて読者が読んでいる間だけでもごまかしきることができたら、それこそが名作である。ただ、そういう偶然の上に成り立っている話なので、現実に、本で読んだ通りのことが自分の身に起きる確率というのは、普通の虚構のそれよりももっとずっと低い、ということには注意する価値があるかもしれない。定量的な話にならなくて申し訳ないのだが、埋蔵金をほかならぬ自分が掘り当てるというのは、他人ではなく自分でなければならない上に、まず埋蔵金が存在しなければいけないので、相当大変だ、ということである。

 ところで、現実世界で埋蔵金と似たものをもう一つ見つけた。「巨大な陰謀」である。陰謀を暴くためには、まず陰謀が存在しなければならず、陰謀というのはこれが結構、思ったより容易ではない。さまざまな偶然に支配されている現実を思いどおりに導く超越的な洞察力のほか、自分の企て、最終目的、黒幕の正体といったものをうまく隠し通すというのは、陰謀が巨大になればなるほど難しくなる。ライバルを蹴落とす程度のものでもなかなか難しいと思うが、国家を巻き込んだ巨大な陰謀となると、もう普通の人間には無理と言ってもいいのではないか。だいたい、普通の企業を普通に運営していくのさえ難しいのに、陰謀だけそんなに簡単なわけがないではないか。しかも他人の目から隠さないといけないのである。

 しかし、物語の中では立派に陰謀が存在し、しかもそれが主人公により暴かれる。これも「物語原理」を超えた「ありえないこと」が作用しているのだが、物語でよく読んでいるせいで「陰謀」が普通に存在していて、十分鋭い自分にはそれを暴くことができる、と勘違いしているふうはないだろうか。

 そう、実は前回の文章を書いたときの私こそ、上のような錯覚の中にあったのではないかと思うのである。詳しくはこのページの一番下の「▽前を読む」をクリックして読み返してほしいのだが、マイクロソフトの陰謀を強く臭わせる文章を書いておいて、そのあと、インターネットエクスプローラを何度も立ち上げたり終了したりしていると、あるときから、くだんの、自分をデフォルトにしますかと聞いてくるおせっかいなダイアログが、どうしたことか、ぴたりと出なくなってしまったのである。どういうことですか先生。私がああ書いた以上、頑としてダイアログってくれないと困るじゃないですか。

 人生は物語のようではない。しかも二重に、そうではないと思うのである。許してくれるよね、マイクロソフト。


トップページへ
▽前を読む][研究内容一覧ヘ][△次を読む