私のことをお父さんと呼ぶ君は誰だ

 ナニとかアレという言い方が嫌いである。

 これは、言いにくいことを「アレ」とか「ナニする」というふうにごまかす言い方のことではない。たとえば「妻にはうまくナニしとく」というのは「妻にバレないようにうまく嘘をつく」とはっきり言うとカドが立つから柔らかく言っているのであり、そうではなくて、ここでは言葉が出ないときに「アレ用意しといて、ええと、ほらナニだよ、ほら、ああ、ハイウェイカード」というときのアレでありナニである。

 これは、他人が言っていた場合も気になるといえばなるのだが、それよりも自分で使ってしまったときに、凄くいやな感じがする。特に、
「アレ用意しておいて」
とだけ言って、相手がアレがなんであるか推理して、提案してくれるのを待っている、そういうふうになるのが嫌でたまらない。なにしろ、自分で考えて思い出すべきなのに、その重荷を相手に負わせているのである。自分が散らかしたゴミを他人に片付けてもらっているようなものだと思う。

 いちおう、うまく「アレ」を使わないで乗り切ることは可能である。話し出して、あっ、言葉が出てこないぞと思ったら、どうするか。意地でもアレだのナニだのは口にしない。
「用意しといて、え、あ、ほら、んーと、ハイウェイカード」
 ところが、実はこれが、非常にうっとうしい。時と場合によっては、相手の方でも私が何を言いたいか分かっている状況があって、なるほど高速道路の出口が近くて「用意しておいて」とくればハイカに決まっているのであり、あ、ほら、んーとの辺りでもう相手が財布を開けてハイウェイカードを出してくれているのである。が、それではいけない。私が自分の好きな自分になるためには、話の流れ上意味がなくても断じてハイウェイカードと口にするのである。先に言われるまでは負けじゃない。

 こういう「何が欲しいかは分かっているのだがそれに対応する言葉が出てこない」という現象が起きるのは、けっこう、頭の中ではちゃんと言葉にして考えてない、ということになるのだろう。もうすぐ高速道路の出口だからハイウェイカードがいるな、と言語化するのではなくて、高速道路をA、ハイウェイカードをB等と置いて、AのCだからBをDしなければ、と考える。たぶん、このほうが思考が節約できるのだと思う。このことは、夢を記録しているとよくわかる。そこに「もやもや」が出てきて非常に怖かった、というような夢があって、この「もやもや」にはちゃんとした言葉が対応されないまま、夢のストーリーが進んでいったりする。AだのBだのを使う中間言語のようなものがあるらしい。

 ということで、つまりそういうわけではないか。最近、子供の名前を呼び間違えるのである。私は男ばかり三人兄弟で育ったので、父親が私たちの名前を呼び間違える場面によく出くわした。自分でつけた子供の名前をよく呼び間違えるなあと思ったのだが、近所の小父さん等によく「三人そっくりで誰がだれだかわからない」という評を受けてはいたので、それだけ三人が互いに似ているのだろうなと思っていたのである。

 そうではなかった。今、私の子供は二人いて、上が二歳の女の子、下が〇歳四ヶ月の男の子である。諸事情あってウェブ上の名前は「理科」と「科学」ということになっていてやけにややこしいが、もちろん本当の名前はここまで相似でない。それどころか、イメージ的にかなり異なる名前で、果物で言うと「りんご」と「みかん」よりは、「りんご」と「キーウィ」くらい違っている。字面だけでなく、存在自体も差異がある。「自分の子供」という意味では同じなのだが、結構ぺらぺらと会話が成立している上の子に対して、まだ寝返りもできない下の子がこちらに送ってくる情報量は、テレビに対する電報くらいの差がある、気がする。それだけ私にとっての「存在」は異なっているはずなのだ。

 ところが間違う。それはもう、ばりばり間違う。
「ちょっと待ちなっ、科学っ」
と呼びかけてから、相手が「理科」であることに気が付く。
「あらら、どうして泣くの、理科ちゃん」
と言ってしまってから、相手が「科学」であることに気が付く。ただ、後者の場合、二歳の子供に「あっ、いま間違えたね」という顔をしてこちらの顔を覗き込まれないだけ、ややダメージは少ない。

 どうしてこうなるのだろう。私の中で、二人が同じ引き出しに入っているということなのだろうか。そういえば、よく、小学校で先生のことを「お母さん」と間違えて呼んでしまって、あだ名が「お母さん」になる子というのがいるが、それに似ている。これと同じで、自分から見たベクトルが同じなのかもしれない。

 ただ。
「おかあさん、おかあさん、こっちであそぼ」
というふうに、子供(理科)のほうでもこちらをしょっちゅう呼び間違えるので、お互い様には違いない。間違えたままにしてはいけないような気がするので、じっとそちらを見てやると、
「…おとうさん」
と言い直す。間違っているということはわかっているらしくて、そのあたりは私と同じである。「保護者」というおおまかな中間言語で考えていて、ぱっと口に出すとお母さんのほうが先に出てくるとか、そういうことではないか。私のようにアレとかナニとか言う大人にならないよう、しっかり考えて発言する人になってほしいと思う。

 ところで、さっき。
「ちょっとそこのリモコンとって、理科ちゃん」
と、見上げた先が、妻だったので非常にバツの悪い思いをした。間違えたり言葉がでなくなったりしないように特訓をすべきか、これはもう人間のサガとして、いっそ、うまいごまかし方を考えた方がよいのか、悩むところである。


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