ルートはどこへゆく

 どうしてこうなってしまったのか、そうならないですむ方法は何かあったのではないかと思うのだが、現状、普通のパソコン上においては、数式の扱いが難しいことになっている。こうしてウェブ上に書く場合もいろいろ制限があるのだが、テキストファイルの状態では、べき乗や行列はおろか、小学校で習う分数すらまともには書けず、2/3のようにごまかして書かねばならない。

 しかし、個人的意見になるが、これは「パソコンは駄目だ」とか「HTMLはけしからん」というような話ではなくて、どちらかといえば、数学のほうが好き勝手やりすぎた結果ではないかという気がする。平面上を自由に使わないととても表現できない類の数学的概念があるので、これはしかたがないことだとは思うのだが、もしも人間の科学史においてまずコンピュータが発明され、その後に数学体系が生まれたとしたら(そんなことは絶対にありえない気もするが)、いくらなんでもここまでは行かなかったのではないか、こうはしなかったのではないかという、そういう記号があるのは確かである。

 たとえば「積分記号」だ。おそらくは「S」をびょーんと伸ばしたのであろう専用の記号を使って、その右側に「積分される式」を書く。次に積分する文字にdをつけて、たとえば「dx」のようにして末尾に付け足す。さらに、定積分の場合は積分記号の右肩と右下に小さく積分範囲を書く。高校で習ったときにはなんとも思わなかったが、大学生のとき、普通のドローソフトで積分の式をちまちま作っていて、なんでこんなんかなあ、と思った。マイクロソフトの「equation editor」のような専用のアプリケーションを使うか、そのへんを得意分野としているテフ(TeX)を使うなどすればよいのだが、ソフトウェアを作る側に立ってみると、普通のワープロにこういう例外処理をいちいち要求されるとしたら、確かにこれは大変だろう。

 しかし積分記号の文字は用意されている。「∫」だ。∫と書いておけばほかの種類のパソコンでも積分記号に見える(と思う。見えてますよね?)。とはいえ、コンピュータ側の苦悩に一定の理解をするとして、だからといって、これはどうなのか。これがあれば積分が不自由なく表せる、というわけではない。さっき書いたように、積分記号は「∫」をもっと、こう、縦にびょーんと伸ばした形であって、∫ではいかにも寸足らずなのである。ためしに書いてみよう。

∫x2+x+1 dx=x3/3+x2/2+x+D

 なんとか大丈夫意味はわかる。わかるし、ないと困るときもあるだろうし、あって邪魔になるものでもない。しかし、良心に照らして、上式はやっぱりなんだかぼちょくはないか。ぼちょくても書けるだけマシというのはその通りだが、定積分となるとどうにもならないのだから、中途半端である。まして、前回「あたりまえ記号」に使った「∬」など、本来の用途にはどう使っていいかわからない。同様のぼちょさがあるし、どうせ三重積分は表せないんだから、∫∫でいいと思う。

 いやいや待てまて。そうやって、他人の業績に対して文句を言うのは簡単である。ここで我々がなすべきことは、不備について嘆くのではなく、現状をいかに楽しむかではないか。こは一つ「あたりまえ記号」のように別の使い道を考えてみるというのが建設的かもしれない。「顔文字に使う」とか、そういうことではなく、独自に意味をあたえ、数学の文脈以外に活路を見出すのである。以下、いくつか例を挙げておこう。

∂:偏微分の記号である。dの一種なのだと思う。∂/∂xなどという形で使えるけれども、主として分数がテキストファイルにはちゃんと書けないという理由でもって、なかなか使い道がない。dなので、たとえばこれは「ダメ」の記号にしよう。
「さっき食べたばかりなのにもうお腹が空いたよ∂」
「ああ、よりによって阿部に打たれるなんて∂」
「顔文字とどこが違うんだ∂」
そこはかとなく絶望感に襲われるが、ここで言いたい「数学以外の文脈」とはつまりこういうことなのでしかたがない。負けずにどんどん行こう。

∀:「さかさにしたA」なのだと思う(数学者は、好き勝手にやっていると思う)。すべての〜について、という記号である。少し前のアニメにこういうタイトルのがあった気がする。本来の意味にも使えるけれども、ここでは「愛想です」の意味に使うとする。
「素晴らしい色使いですね∀」
「ナイスショットです社長∀」
「ぜひ遊びにいらしてください∀」
この調子だ。

∃:「さかさにしたE」なのだと思う(数学者は、本当に好き勝手やっていると思う)。〜が存在する、という記号である。しかし、これは使いにくい。日本語の文章においてこれを文末に使うと、ややこしくってしかたがないと思うのだ∃。

√:言わずもがなの平方根記号である。「r」を図案化したものらしいが、これもパソコンで表しにくい。「√2」と書くとなにかぼちょいし、立方根の記号には応用が効かない。これに他の意味を与えるとすれば、たとえば「りょーかい」とか「りょーしょー」ではどうか。
「今晩はカレーですよ」
「√」
つまり、カレーのルーと。

≡:合同、という記号である。これはもう、境界をしめす記号にするのだ。でもって、表札に「マイ国≡」と書いて「マイ国」の境界にするのである。

 なんだかわからなくなったが、幸いにして数学記号はまだまだある。ユニコードになって増えた分を含めると、前途は揚々である。こんな前途は不必要かもしれないが、これが普段使われていない数学記号に人々が親しむきっかけになればと思うのだ∃。


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