研之助がゆく

 七里研之助という、幕末の剣客がいる。上州馬庭で荒木流居合を修め、武州八王子に流れて甲源一刀流比留間道場の食客となった。剣の腕もさることながら、酔うと周囲に曲芸まがいの居合術を演じてみせる、剽軽なところもあったらしい。師範代として多くの門人を集め、道場の威大きく上がったが、のちに刃傷沙汰があり、道場を追われた。

 その後、京にのぼる。

 京では、長州に多少の関係があったらしく、河原町の長州屋敷に出入りした。当時の京といえば毎日のように尊攘浪士が跳梁し、天誅と称して開国論者の血の雨を降らせた無法地帯の感がある。七里もその乱世に巻き込まれるようにして、人を斬った。その腕は、人斬り研之助と異名を取るほどで、新選組や見廻組とも何度か斬りあったらしい。ついに、その中の、名もない戦闘で落命している。

 というのは、実は架空の設定である。

 七里という人物は、司馬遼太郎がつくった。
 新選組副長土方歳三の生涯を描いた小説「燃えよ剣」に登場する剣客で、歳三の敵役として、多摩編から京都編にかけて幾度か登場する。上下巻にわかれた文庫版ではおよそ上巻のすべてと、下巻のごくはじめの部分で活躍することになる。

 このような、架空の人物を、
「歴史小説」
に登場させることについては、異論があるところである。確かに七里のくだり、読んでいてもいかにも平板な感想がある。この作品における瑕瑾、乱暴にいえば、
(無駄だ)
とおもわざるをえない。

 作劇上の利点はあきらかで、おそらくは、作者としても史実を追う上で、史実に縛られない架空の人物を一人入れておくと、さまざまに融通が利くに違いない。この七里は下巻開始直後で物語から退場することになるけれども、ほぼそれと入れ替わるように、もう一人の重要な架空のキャラクターである、
「お雪」
が登場している。
 登場シーンも、歳三が七里の一味に浅手を追い、逃げ込んだ長屋の部屋の主がお雪である、という登場のしかたである。物語の構造として、わかりやすいといえる。

 今年「燃えよ剣」を再読したのは、今年のNHKの大河ドラマが「新選組」を題材としたものであったからだ。このドラマ「新選組!」にも「滝本捨助」という架空の人物が登場し、存在感を持っている。

 この時代は、現在と地続きである。筆者(大西)は、今年「新選組!」に関連して、あちらこちらの史跡を訪ねる機会を得た。局長芹沢鴨の生地である茨城県玉造町を皮切りに、京都壬生の八木邸跡、旧前川邸、東京日野の土方歳三資料館(歳三の生家跡)、そして会津。我ながらお調子者だと思うが、わずかとはいえ、史跡を自らの足で尋ね歩いたことにより、一種の印象がそこから得られたことは否定しがたい。

 もちろん、筆者のような凡俗に得られる
「地続き」
の印象といえば、
「盛夏に訪れた八木邸の濡れ縁の隅で、隠れて娘のおむつを換えた」
であるとか、
「土方歳三資料館で娘が退屈を持て余すので、説明を聞く間、外で受付の女の人に遊んでもらっていた」
そうしたら、その女の人というのが土方家の娘さんであった、というくらいのことであるが。

 しかし、ともかくも、幕末という時代が、意外に近しいものとして、感じられたことは収穫であった。以上、余談。

 七里研之助は、歴史上の歳三にとって、いわば員数外の敵役である。物語上、七里が重要な役割を果たすわけではない(司馬遼太郎の「燃えよ剣」においてはどうかわからないが、少なくとも史実の土方歳三には)とは、読者にもわかっている。

 そこが、おそらくは七里の不幸ということになるのだろう。土方歳三資料館においても、神妙な顔で歳三の愛刀「和泉守兼定」を眺める司馬遼太郎の写真を見ながら、
「大河ドラマでは『捨助が好き』という方も多くいらっしゃって、そんなときはどういう顔をしてよいか困る」
というような話を聞いた。七里については、なおさらであろう。

 自然、かれが登場するシーンは、いわば外伝的性格を持つ。進行中のテレビアニメの、映画版のようなものである。探していたドラゴンボールが、ドクロストンが見つかることはない。仲間がいなくなったり、新たに加わることもない。主人公は決して深手を負わない。

 架空の、敵役は難しい。

 幸いにして、お雪はそうではない。
 下巻の歳三は、鳥羽伏見の戦い、甲州勝沼、流山、会津、そして函館と、ひたすらの負け戦を戦わねばならない。
 その中で、歳三の、
「大事なひと」
である、お雪の存在が、どれだけの救いになることか。七里ではなく、お雪があとに登場することによって「燃えよ剣」は名作たり得たと、いうことさえできよう。

 あるいは、架空の人物をそこに登場させることが、筆者の一部をその時代に投影する作業であるのかもしれない。

 「新選組!」の捨助はどうなるか。
 明夜「新選組!」の最終回が放映される。筆者は、固唾を飲んでそれを見守るつもりである。


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