敵は百万ありとても

 NHKに不満があって受信料不払いを決め込むなら、まずその分をどこかに寄付するべきである。文句を言うにしても、自分が得する方法で文句を言うのは間違っている。

 などという妙な正論を軽々しく文章にしてはいけない。だいいち偉そうである。ごめんなさい私はそんな偉い人ではないです。びょーん。みょーん。にょにょーん。

 と、ラクになったところで、テレビといえば、テレビ朝日系の番組で「TVのチカラ」というものがある。殺人や行方不明などの未解決事件について、番組による独自の調査のほか、広く視聴者から情報を募ることで解決を図ろうというものだ(確か海外に、もとになった番組があるのだったと思う)。調査の中でなにかと「超能力探偵」に頼りたがる所など、非科学税でも課してやるべき番組なのだが、それはともかく、実際問題としてこのやや傲慢にも思える番組名は真実か、つまりテレビにはチカラがあるのかないのかといえば、確かに「ある」のだと思う。

 なにしろ一説には視聴率1%につき百万人の視聴者がいるということである。視聴率自体のあやふやさ、見かたの濃淡はあるので、これを額面どおり受け取ることはできないけれども、話を十分の一、あるいは百分の一にしても、恐るべき数の視聴者がいるのは確かである。実際、番組中にかなり鋭い情報が寄せられることもあって、これは広く見られている証拠のようなものである。

 自分には直接関係ない、このようなことをなぜ考えるのかというと、私がここにさまざまに文章を書くにあたって、よく「これは通じるか」と悩むことがあるからである。たとえば、なんでもいいが「どうのつるぎ」。「どうのつるぎ」と書きたいとする。それも説明抜きで「アイポッドシャッフルというのはどうのつるぎに相当する機種で」というふうに書きたい。いやこれはあんまり正鵠を射たたとえでもないが、ええと、とにかくそういった場合に、どれくらい多くの人に分かってもらえるのかは、元となった、この場合は「ドラゴンクエスト」というゲームがどれだけ知られているかによる。

 かつては、みんなファミコンで遊んでいた。一般名詞の、家庭用テレビゲーム機の総称としての「ファミコン」ではなくて、任天堂のファミリーコンピューターという一種類のゲーム機で遊んでいた。もちろん今のマック対ウィンドウズのように常に少数派はいたけれども、この頃に少年少女だった人々にファミコンのゲームソフトの知識を前提とした話をして、それが通じる確率は、かなり高い。私の妻でさえ、ドラゴンクエストはやっていた。知らない人がいたとしても、まあ、しかたないと感じてもらえるのではないか。できるだけ多くの人に通じねばならないか、通じた方がよいか、というのはまたべつの話だけれども。

 その後の年月、ゲーム業界は繁栄し続けてはいるけれども、その繁栄は必ずしも万人のものではなくなった気がする。これは、一つには「ポストファミコン」「ポストポストファミコン」「ポストポストポストファミコン」を狙う、さまざまなゲーム機の規格が乱立して「みんなが遊んだことがあるゲーム」というのがなくなったせいではないかと考えたりもする。テレビも漫画もゲームも「みんなが知っていること」による楽しさというものが、あると思うのだ。そうでないとしても、説明抜きに使える知識は、間違いなく少なくなっていて、これは「雑文を書く」という、ごく狭い観点での感想だけれども、悲しいことだ。

 テレビのほうも、多チャンネル時代を迎え、うちと隣で見ている番組が違うということも、ますます起こりやすくなってくるだろう。もしかしていまは、歴史的に見て、テレビにチカラがあった最後の時代と呼ばれる時代なのかもしれない。ただ、その代わりに何か出てくるのかというと、特になにもない気がする。今なお、たとえばNHK紅白歌合戦と同等以上の伝達力を持つメディアはない。インターネットは、これはもう多チャンネルの極致のようなものである。その意味で、やってくるのは、つまらない時代なのかも。

 妙にペシミスティックになってしまったが、私のサイトはどうだろう。たいしたメディアでないことは承知の上だが、どのくらい「たいしたことないメディア」なのか。トップページに置いてあるアクセスカウンターはそろそろ百万という大台に乗るところなのだが、これはまあ、長い間続けてきた、というだけのことで、私のページの現在の「メディア」としての実力を測っているわけではない。

 カウント数の上がり方や、その他いくつかの証拠から、現在(2005年1月)のところ、このページには「更新ごとに新しい文章を読んでくださる方」の数として、1000人強の人数を期待してもいいと思っている。それに加えて、更新ごとではないけれども定期的に読んでいただいている人が同じくらいいて、普段の文章は、まず2000人くらいに読まれると思っていいだろう。粗い推定だし、これまでの七年間に一度でも訪問してどこかのページを読んだことがある、という人を数えるなら、おそらく一万人かひょっとして二万人にも達するかもしれない。しかし、スポンサーがいるわけでなし、ここは少なく見積もって「読者数1500人」と公称しておけば、まあ、恥をかくことはないはずである。

 1500人というのがどういう数字か。テレビラジオ新聞コミック雑誌のどれにも比べるべくもない、頼りない数字だけれども、これは日本の人口八万人につき一人くらいの割合と考えることもできる。地方による偏りは、モノがインターネットだけにおそらくあまり多くはないとしても、年齢性別による偏りは多そうである(それに、海外にもいくらか読んで下さる方はいらっしゃるだろう)。が、このへんをオミットして、単純に考えて、水戸市は人口二五万人なので、私以外に二人くらい読んでもらえている。と、こんなふうに考えるのは楽しい。

 もっと挙げてみよう。東京都下に一五〇人、大阪市に三三人。埼玉スタジアムを一杯にした観客の中にたぶん一人。一日に七五万人が利用する新宿駅では、見ていると九人の「私のサイトを毎週見てくださっている方」が通り(延べ人数で)、島根県にも同じくらいお住まいになっている(こちらは延べ人数ではない)。「八万人に一人」というのはこういう数字である。

 開設して、七年経って、今の私のサイトのチカラはたぶんこんなところである。少ないような、多いような、微妙なところだけれども、身の丈にあった、ちょうどよいところかも知れないとも思う。あなたと、あなたが街でたまたま会った相手が「大西科学」を知っていて、その話で盛り上がれる、などということはほとんどないとは思いますが、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。


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