空の下なるセルフの王に

 自家用車での通勤をはじめてもう四年になろうとしているが、少し前のこと、通勤途中にある、いつも使っているガソリンスタンドが、改装されて「セルフ」になってしまった。自動販売機みたいなのが置いてあって、自分で自分の車にガソリンを入れる代わりに少し普通より安い、という仕組みのガソリンスタンドである。

 このセルフ式ガソリンスタンドを、私は、十年ほど前にアメリカで初めて見かけて、ああアメリカは進んでいるなあそうだよこれが合理化というものだよやっぱアメリカ人は偉いよ、と感心したものだったが、こうして日本でもあちこちにセルフのスタンドができてみて自分でも使ってみると、そんなにいいものではない。理由はいくつかある。挙げてみると、

 一。安いといってもそんなに変わらない。ガソリンを入れて、(もし必要なら)窓を拭いてゴミを捨てて、というような作業をスタンド側が行わなくてよいぶん、人件費が節約され、その分安い。これはよくわかる話だ。ところが、その値引き幅が、思ったよりは大きくない。実際にはガソリン1リットルあたり1円か、せいぜい2円くらいの差しかないようである。もちろん、考えてみるとこれは道理、電動ポンプを使って自分の車にガソリンを入れる程度の、実質五分間くらいの労働をアルバイトとみなしたとき、これで千円も二千円も戴けたらそっちのほうがおかしいわけだが、支払い六千円に対してせいぜい百円くらいの割引、と思ってしまうと、率としていかにも少ない気がする。意外に、ガソリンというのはサービスの価格含有量が少ない商品であるらしい。

 二。その割に、寒かったり暑かったり雨に濡れたりガソリンは臭かったり、素人にはけっこう不快なタグイの労働である。このへんは、車を持っていなかったり車の整備は運転手の鈴木の仕事です、という人でも、ストーブに灯油を給油したことがあれば分かってもらえると思う(それも鈴木の仕事かもしれないが)。しかもモノがガソリンなのでそれに加え、静電気にも注意する必要がある。実際どのくらい事故例があるものかはわからないが、私はいつも火達磨になる危険を意識しながら給油している。揮発油は怖い。

 三。お釣りを出す方法が不満である。これはセルフならどこでもそうだとは限らないのだが、私がよく使うスタンドでは、まずお金を入れておいて、その後ガソリンを入れ、給油を終えると出てくるレシートを「精算機」という別の機械に読ませて、お釣りを受け取る仕組みになっている。迂遠なのだが、要するにここで、あと21円足してお釣りをちょうど四千円にする、ということができないのだ。わてロボットやさけわかりまへんすんまへん、という顔で、お釣り三千九百七十九円をザラザラと出してくる。給油するたびにポケットが小銭でじゃらじゃらになってしまう。

 と、いろいろ書いたが、まあその、どれも致命的な欠点ではなくて、通勤の通り道で便利なこのスタンドを捨て、他のガソリンスタンドに回るほどでもないのである。我慢してここで入れているのだが、少なくとも「三」については、当たり前の話だが、決して不可避の問題ではない。一つにはクレジットやプリペイドカードを使えばよいのだが、この自動ガソリン給油/現金収受システムには「満タン」のほか、ガソリンを定額分入れる、という機能があるのだ。

 繰り返しになるが、このスタンドにおいて「満タン」を現金で支払う場合、お釣りを避けることはできない。しかし、「定額」の場合はそうではなく、お金を入れると、そのぶんだけノズルからガソリンが出てくる単純な取り引きになる。お釣りはない。いや、ガソリンがタンクに入り切らないで余ってしまったら、その分はお釣りで返って来るのだろうと思うが、お金をちょっと少ない目に入れておけば問題ないわけである。どないよこれ。

 広く納得されなさそうな提案をしてしまったと今後悔しているが、もちろんデメリットは「次の給油までの間隔が短くなる」である。小銭と給油頻度、どっちの面倒さがより面倒か、という話になってしまうわけだが、幸い、セルフなので、普通の店員が給油してくれるガソリンスタンドと異なり「三千円分だけお願いします」と毎回頼むことで、なんだか貧乏くさい気分を味わうということだけはない。相手がキカイなのでやりたい放題。これはセルフのいいところである。どないよこれ。

 というようなことを考えて、実際に何度か定額で給油してみたりしたのだが、気が付いたことがある。満タンにしない、という方針は、いつかここで書いたことがある「ガソリンをいつも半分だけ給油することでデッドウェートを減らし燃費を押さえる」という効果が期待できるのだが、もう一つ、定額給油はたくまずして「ドル・コスト平均法」になっている、という可能性があるのだ。

「ドル・コスト平均法」というのは、こちらも以前にここで話題にしたことがある。なんだか再利用ばっかりで文章を作っているようで気がひけるが、もう一回説明すると、投資で、株をずっと買い足してゆくときに「毎月三株買う」のように株数で管理するよりも「毎月三万円ぶん買う」と額で管理するほうが、最終的に有利な投資ができる、という主張である。投資法はたいていそうだが、一見すると非常にうさんくさい感じがする。するのだが、どうやら計算上これで正しいようで、確かに株数管理よりも有利な投資法であるらしい。株の売買単位の都合で小数点以下の株数を買ったりできない、という現実の壁はあるものの、社員持株会のように「投資家からのお金を集めて運用する」という仕組みを使えば、この問題も解決できる。

 さて、では「三千円ずつ」という定額給油が満タンに比べてどう有利かというと、株の価格同様、ガソリンの価格も上下する、という事実に尽きる。ドルコスト法に従って投資をすると、株価が高いときは少なく、安いときには大量に株を買うことになるので、長い時間が経った後手元にある株を見ると「安く手に入れた株」のほうが相対的に多くなる。ガソリンも基本的にはこれと同様である。満タンではなく、常に一定額ぶん給油することで、ガソリンが高いときには少なく、安いときには多くガソリンを買うことになるので、長い時間を平均すると「安く買ったガソリンで走っている時間」が長くなるわけである。おおっ、素晴らしい。

 ただ、落ち着いて考えてみると、株とガソリンには異なる点もある。それは時間間隔で、投資は一定時間ごと行えばよいがガソリンはタンクが空になるとどうしても入れに行かねばならない。ドルコスト法においては投資は「毎月一定額」であるが、ガソリンはそうではないのだ。定額でガソリンを買っていると、ガソリンが高いときには一回の給油量が少なくなるため、次にガソリンを入れにゆくまでの可能走行距離が短くなる。よりにもよってガソリンが高い時期に、頻繁に給油に行かなければならないことになるわけである。

 以上二つの効果、どちらがより大きいかは、直感的には判断しづらい。相殺するような気もするがそうでもない気もする。こういうときは骨を惜しまず比べてみればよいわけで、ある程度事実に即した仮定を立てて、計算してみることにしよう。

 まず、私が通勤に使っている自家用車は、季節によっても異なるが、ガソリン1リットルあたり15キロメートルくらい走る。タンク容量は40リットルくらいで、実際には「満タン給油」のとき35リットルくらいガソリンが入るようである(つまり5リットルの余裕を残していつも給油しているということ)。通勤の運転距離は往復15キロなので、結局一日1リットル。毎月、ざっと20リットルのガソリンを消費すると考えればよい。

 一方ガソリンの値段だが、小売価格がずっと安定している場合は、満タン法だろうが定額法だろうが変わらないことはわかる。何か値動きを仮定しなければならないが、ここも事実に即して、石油情報センター(http://oil-info.ieej.or.jp/)が提供している、昭和62年から平成15年までの実際のレギュラーガソリン小売価格の値動きを使うことにした。この間、茨城県におけるガソリンは、一リットルあたり最高で136円まで上がり(平成2年8〜9月)、また最低で88円まで下がっている(平成10年頃)。

 いよいよ計算である。物語は昭和62年1月1日、タンクを空っぽにした二台の車から始まる。一台は常にタンクを満タンにし、35リットル使ったところで給油に行く。もう一台は、常に3000円ぶんガソリンを入れて(この値段にすると、上の値幅で最大で34リットルしか入らないことになるので、計算上都合がよい)入れた分を使い切ったところで給油に行く。どちらも月に20リットルぶんずつガソリンを使う。17年後の平成15年末が来た時、どちらがどれだけ支払っているのか。結果はこうだ。どん。

満タン車定額車
給油回数117147
給油ガソリン量合計(リットル)40954096.5
支払額合計(円)441 035441 000
平均ガソリン価格(円/リットル)107.70107.65

 支払額、平均ガソリン価格ともに確かに「3000円定額車」のほうが若干少なくて済んでいる。が、その差は粗末に少ない。ただここで「平成15年末にタンクの中に残っているガソリン」というものが若干あるので、その修正(残っているガソリンを当時の価格97円/リットルのレートで払い戻す)を入れて計算しなおすと、支払総額は439 580円対439 403円と、少しだけ差が大きくなる。とはいえ、17年間でガソリンに払った44万円のうち、給油方法による差は177円である。一年あたり、26 000円のうち10円。これをどう見るかで人間の性格のある側面が見えてくるように思うが、一般的なところを言えば、30回も多く給油した代償としては、いかにも少ない。

 正直言って、非常にがっかりする結果である。月あたりのガソリンの値動きが割合ゆっくりなのに対して給油頻度が高いので、ドルコスト法の利点が薄くなり、「高いときに頻繁に給油する」の効果が大きくなるのかもしれない。そう思って少し条件を変えて試してみたが、月消費量を多少いじったくらいでは一方が他方を圧倒するということはないようである。勝敗もときどき入れ替わって、わずかながら常に定額法が勝つ、というわけでもない。要するに「二つの効果は相殺して消えてしまう」ということを証明したようなものかもしれない。

 というわけで、私が一瞬夢見た極彩色の野望は追憶のかなたに消え去り、問題は小銭をじゃらじゃらさせるのがイヤか、給油回数が増えるのがイヤかという日常の問題にしゅるしゅると立ち戻った。このどちらがよいかは、もはや私の領分を越えた個人の美意識というものかもしれない。ただ、こういう計算を見たあとでは、ちっぽけなことがいかにも気になるのは確かである。たとえば定額の場合、消費税やガソリン量の端数はどうなっているのかとか、ガソリンがちょっとこぼれたとか。そこはそれ、揮発油だけに、えー、天使の取り分はつき物であります(これも一度使いました)。


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