六百番歌合

 この雑文も今回でちょうど600回に達した。300番くらいを書いていた当時の、私自身の印象を思い出してみると、書きたいことはすでにほとんど全部書いてしまっていて、もうすぐ書くことが何もなくなるだろう、という想像があったように思う。あるいは、こういう個人のサイトには、どこかで完成状態とでもいうべき状態になり、そこを超えるとそこからあとはもう悪くなるだけ、とでもいうような。

 ところが今はその倍、第600回であり、なんのことはない、いまだにこのようにして書き続けている。もっとも、そこは自分のサイト、自分が評価して自分で発表して自分で悦に入っているだけなので、「大丈夫オイラまだいける」と自分では思っていても、客観的に見ると400番くらいで完成であとはずっと下り坂だったのかもしれない。だとしたらたいへん辛いことだが、書いている自分ではけっこう楽しいので、それならいいかと続けてみようと思っております。

 さて、今回のタイトルには特に意味はなくて、辞書で「六百」を引いて出てきた単語というだけのことである。なにか、昔あったイベントの名前らしい。

 一般に、こういう、ちょっと辞書で引いた単語とか、一冊の本で読んだばかりの単語は、なかなか公の場では使いづらいものである。もちろん今回のように「わてさいぜん辞書で引いただけですねん、だから意味はわかってまへんねん」と公言して開き直ってしまえば別だが、こんな雑文でも、構成上、今まで知らなかったことを新たに理解した上で、いかにも昔から知っていたかのように書かなければならない場合はある。恥をかかないように、できるだけいろいろ調べて書くのだが、とんでもない勘違いをしてはいないかと、発表してからしばらくはひやひやすることになる。長い間信じていた知識が間違いだったことを知るのは恥ずかしいことだが、知ったかぶりして使った言葉が間違っているのはそれ以上の恥ずかしさがある。

 私はまだよい。世界の隅っこのほうで趣味で書いているだけだから、いざとなれば「ああ恥ずかしかった」でおしまいである。しかし、もっと大きなメディア、たとえばテレビや新聞のニュースなどで、明らかにウケウリの、こなれていない単語に出くわすことがあって、これはもう、なんというべきか、他人事ながらどきどきする。

 そもそも、マスメディアというものは、まだ世間一般に知られていないことを多くの人に知らせる機能を持つものだから、新語に対してかなり保守的な態度をとっていたとしても、ある個人(たとえば私)にとって新しい言葉が入ってくる窓口になりやすいものである。そういう意味で、ちょっと上の批判はメディアに対して厳しすぎるかなとも思うのだが、その上で、どうも「説明に必要な術語を必要最小限紹介する」という範囲を超えて、今聞いたばかりの言葉を嬉々として多用している、そんな印象があるのだ。長い付き合いなんだしナイターでいいじゃないかビジターでいいじゃないかと思うのだが、今や野球中継を見てもみんなナイトゲームでありアウェイでありグランドスラム(満塁ホームラン)でありマルチヒット(一試合に一人の打者が二本以上の安打を打つこと)である。嬉しそうな感じは否めない。

 いやこれは、和製英語が本来の英語に正される方向の変化で、これ自体は正しい。正しいのだが、言葉が和洋同じになることで、かえって新たな不安が生まれるのではないか。つまり、本当のところ本家ではこの言葉がどれだけ使われているか、使い方の感覚が日本と合っているのか、といったあたりを考えなければならないのである。そのへんの感覚ヌキに言葉だけを持ってきて使っていると、和製英語を使うよりもむしろ恥ずかしいことになるのではないかと思っておそろしい。感覚だけで書くが「マルチヒット」など、相当危ない感じがしている。

 野球以外の例として、話題としてちょっと古くなっているが、こういうのはどうか。

パックマンディフェンス

 例の、ライブドアによるニッポン放送買収の騒動に際して各社が報じた用語である。日本語の文中に出てきたときの恥ずかしさとしては「M&A」とか「ホワイトナイト」あたりが上であるような気もするが、まずはパックマンにお付き合いいただきたい。

「パックマン」というのは、ナムコが制作した日本製のゲーム(あるいは登場するキャラクタ)の名前である。「買収をしかけてきた企業を逆に買収してしまう」というイメージは、なるほど正しく「パックマン」というゲームの本質であり、うまい名前をつけたものだと思う。これが経済用語として英語圏から逆輸入されているのは面白い。昔馴染みのゲームが、アメリカにおいてもそれくらい人口に膾炙しているということで、なんだか嬉しくなる。

 これについてちょっと余談だが、「パック」+「マン」で日本人には「ぱくっと食べるマン」といった語感が出てくるのだけれども、これは英語圏の人にはどうなのだろう。「ぱくぱく」というオノマトペは通用しないと思うわけで、もしかして「荷造りマン」という感覚なのではないか、と思うがどうか。

 余談さておき、パックマンというのは商標ではないのか、勝手に使っちゃって問題はないのか、と思うわけだが、どうなのだろう。別に「パックマンディフェンスまんじゅう」というものを作って売ろうと思っているわけではないのだし、ネーミングセンスとしては(これは日本人の私の感覚だけれども)なかなか素晴らしい気もするので、ナムコも文句をつけたりはしなかったのかもしれない。

 しかし、これがパックマンではなく、たとえばディズニーのキャラクターならどうだったか。こんな隅っこのほうでぼそぼそと書いている身ではあるが、どういうわけか、ディズニー関係の言葉はぼかして書くか「ディ○ニー」等と伏字を使って書かないと必ずや後難がある、という感覚を我々は抱いており、いや、今つい「我々」と書いてしまったが、確かにかなり広くそう思われている気がするのである。

 身近なところで実例も耳にするところで、たとえば、私の実家の近所に実際にあったパチンコ屋の名前が、
「パチンコ・ディズニー」
というもので、私は神をも恐れぬとはこのことだなと思ったものだが、案の定しばらくして、
「パチンコ・デルニー」
と変わっていた。一説によれば、これはべつに抗議されたわけではなく、「ディズニー」が「出ずに」につながるのでパチンコ屋としてこれはどうかということになったのだそうでそれも一理あると思うが、まあその、こういうふうに知的財産は大切であるということである。最近では、スーパーのチラシで「福引の一等はディズニーランドのパスポート」というべきところ、「あの千葉のテーマパーク」等とぼかして書いてあって面白かった。

 だからして、もしも学術用語等で、パックマンのかわりにディズニーのキャラクターを使った言葉があったとしたら(たとえば新しく発見された粒子にあの鼠のキャラクターの名前がついたりしたら)、いったいどうなるのか、たいへん興味がある。学者が論文に書くことや、学会などでの発言は止めようがないと思うのだが、やっぱりマスコミに登場するときだけ、

ミ○キー○ウス粒子

というようなことになるのではないだろうか。いやまさかそんなことはないと思うが、面白いので誰か試しに新粒子に名前をつけてみて欲しい。なんだか、ミノフスキー粒子のようでもある。


※こういうのの実例として、私が知っている話が一つだけある。生物学で「ソニックヘッジホッグ遺伝子」という、セガのゲーム(またはゲームのキャラクター)の名前がついた遺伝子があるそうである。別に「ソ○ックヘ○ジ○ッグ」と書かなくても平気らしいが、ゲームのタイトルは正確には「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」なので、後難を恐れ微妙に変えてあると考えられなくはない。
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