匕(さじ)は投げられた

 私がいつも使う駅は、そこそこ大きな駅で、改札口に自動改札機がちょうど10台、並んでいる。駅員さんがいる窓口のほかに、いっぺんに十人もの乗客を並列で処理可能なのだ。しかし、どこでもそうだと思うが、機械がこれだけ並んでいても、電車が到着して、降りてきた人がわっと押し寄せると、ここに行列ができてしまうのはやむを得ない。人の波から遅れて改札に到着すると、長い列の最後に並んでしばらくの間、順番を待つことになる。しかしまあ、これはそういうものだし、それほどの苦痛でもない。

 ところが最近、並んでいる自動改札機のうち、中央の一台が「スイカ専用」ということになった。スイカというのは、JR東日本が発行している非接触で読み取り可能なICカードである。遠く「スルっとKANSAI」の血を引く(引いてないって)、切符を買わずに改札を通過できるアレだが、時は既に二一世紀、バテレンの妖術により、自動改札に通すのではなく、しかるべき場所に一瞬かざすだけでよくなっている。どうでもよいが、スイカというのは知らない人(他の地方の人)には混乱を招きやすい名前で、少し前、某金券ショップでスイカ取り扱い開始、という記事を読んで、ああ、青果に参入するのだな、と思った。冗談抜きで、スカっとそう思った。あとで一人で恥ずかしかった。

 そんなスイカだが、よく考えてみると、この、改札一台をスイカ専用とする改良は、よくわからないところがある。もっとはっきり言うと、一見しただけでは明かなサービス低下だ。なにしろ、自動改札の台数が増えたわけではない。以前はスイカが使えない自動改札があったのかというと、そうでもない。もともと、すべての改札でスイカも磁気式も使えたところが、あるときから一台において磁気式の切符等が使えなくなったのである。私はというと、使っているのはいつも磁気式の定期券なので、通れない出入口がひとつできただけなのだった。けしからん。責任者説明せよ。

 と、偉大なる大JR東日本に噛みつく若さは今の私にはもうないので、考えてみよう。これは、まずは、スイカを使ってくれている人へのお礼、という面があるだろう。一般に、スイカに類するプリペイドの仕組みを作ると、企業は得をする。実際に乗るよりずっと前に切符の代金を受け取ることになるので、預かり金の運用益を得られるのだ。なので、上得意様にお礼をする(優遇することで利用を促進する)のは、むしろ当然のことである。「匙は投げてみよ、客には前払いさせよ」とは民営化時の国鉄総裁桟原哲治氏の言葉である。

 そんな嘘はともかく、もしそうだとすると、つまり、単にJRがスイカの乗客をどんどん優遇してゆこうというだけのことだったとすると、勤めている会社がいつまでも旧態依然たる磁気式定期券を支給するためしかたなくそれを使っている私など、スイカを使うのはやぶさかではないのに、むしろ新しいもの好きなのでどんどんスイカって行きたいと思っているのに、これからもずっとハミ子扱いを受けることになる。本当にもう、何度も経理の人にお願いしたのにダメだったのだこの旧式会社は。どうしてスイカ定期券はだめなのさこの石頭。デポジットくらいオイラが払ってもいいからさあ。

 いや、我が社のことはどうでもよい。天下の大JR東日本とあろう者が、まさかスイカ優遇だけではなかろう、と思うわけである。こういうことをすると、一見流れが悪くなる。しかしそれはあまりにも素人考え、朝三暮四でウキキィであり、実は、人間工学的に考えると、流れを二つに分けることで、かえって全体の流れが改善される、なんてことがあるのかもしれない。

 スイカと磁気式で、どちらがスムーズに改札を通過できるか。これは微妙なところだ。そんなに大きな差はないようだが、どちらかといえば、やはりスイカのほうがいくらか流れは良いと思う。些事にこだわるようだが、切符が詰まってしまったり、乗り越しているのに気がつかないでバタンと扉が閉まったり、間違えて特急券を入れて気づかずに何度も入れ直したり、その他後ろから見ていて本当にイライラするのだが、なぜか、ほんともうナニユエにか改札を通れずにうろうろして、もう、後ろっからその膝の裏あたりを蹴っ飛ばしてやろうかと、いやそんなことは思ったことなどないが、とにかくそうなるのは、磁気式がやはり多いと思う。

 であれば、先にスイカたちを行かせてしまえば、全体として改札の混み具合は改善されるものかもしれない。スイカ専用の改札ができて既に一ヶ月、現実には混雑が解消されたような気はしないが、もともと差はわずかに違いないので、簡単な仮説を立てて数学的に検証してみようではないか。今、スイカの人は改札通過に1秒、磁気式の人は2秒かかるとしよう。そんなに差はないと思うが、仮の数字である。180人が10台の改札を通る。スイカの人が90人、磁気式の人が90人。改札の一つがスイカ専用であることで、全体にどういう差が出るか。

 一。スイカ専用レーンがなく、スイカの人と磁気式の人が混ざって出てくる場合。これは万人に平等に、一つの改札に並ぶ人は平均してスイカ9人磁気式9人で、合計27秒かかる。これがそのまま、10台の改札で180人がはけるために必要な時間である。

 二。スイカ専用レーンが一つある場合。スイカレーンにスイカ人が集中する。このことで、スイカレーンは流れが速くなるが、そのぶん多くの、計算では27人のスイカ人がならぶ。他のレーンには、それぞれ10人の磁気人、7人のスイカ人が通る。これで、どちらのレーンも同時に、ええと、27秒で人がはける。

 あっ。同じだ。まったく同じである。これではすくいようがない。みんながスイカが便利だと思い、スイカに切り替えてゆくことで、全体として改札が空いてゆくことはあると思うが、比率が変わらなければ、合計の通過時間は変わらない。

 わからなくなってきた。どのレーンも同時にはけるように効率的に人間が動く、と考えるのが間違っているのであって、実際には非効率があるのかもしれない。または、上に書いたようなトラブルで、ときどき通行止めになる、ということを考えに入れると、全体の効率が改善されることになるのかも。しかし、私にはよくわからなかった。

 ただ、人数が5対5ではなく、スイカの人がうんと少ない場合、スイカレーンだけ先に人がはけてしまうので、少なくともスイカの人は確かに得をする。これはスイカレーンを増やした場合も同じだ。これは、ちょうど高速道路の料金所においてETCを使っている感覚に近い。

 ところが、この状況は、全体としては明らかに非効率で、平均の通過速度は大きく下がってしまうのだ。高速道路でも「一般」の出口を減らして「ETC専用」にするとそうなると思うが、全体の自動改札の台数が変わらないのだから、磁気式の切符や定期券を使っている人が確実に迷惑を被る。いや、そうなのか。もしかして、そうなのかもしれない。ただただ、磁気式の迷惑を顧みず、流れが悪くなるのも構わず、スイカの使用を強力に推し進めようという、それだけなのかも。

 ああ、それなのに私は旧式会社に勤めるばかりに、どんな懐柔策もむなしく磁気式を使い続けることになってしまうのだった。こうなれば、大JR東日本には「スイカ優遇策」をどんどん推し進めてもらいたい。極限まで推し進め、ついに沿線の会社まで乗り込んで行って強談し、使っている磁気式定期券をスイカに切り替えよとねじ込むまでになって欲しいのである。いや本当に、お願いしたい。なにしろ、私がほとんど匙を投げているほど、本当に頭の固い奴らなのである。私もタッチアンドゴー、したいのであるよ。


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