にとへを考える

「子供を寝かしつける」という作業は、実はその大部分が、一定時間子供を布団の中でおとなしくさせておくという、そのことにかかっている。昔、猫を飼っていたときに、猫というものは、特に子猫の場合、手のひらで目の前を隠し、暗くしただけですぐ眠り込んでしまう動物なのだ、と気が付いて驚嘆したものだった。しかしながら、人間の子供も案外それに近いのではないか。照明を落とし、布団に入れ、足や手を温めてやると、必ず眠くなるらしいのである。もちろん寝ないときはどうやっても寝ないが、それは猫だってそうだ。よほどタイミングが間違ってさえいなければ、寝かせれば寝るのである。

 ただ、子供に知恵がついてくると、この「おとなしく布団の中でじっとしている」ということをなかなかしてくれない。叱りつけ、押さえつけてでもじっとさせていると、それでも最後には眠ってしまうのだが、それは親子両者の精神衛生上、たいへんよろしくないことである。だから、お話をしたり、絵本を読んだり、歌を歌ったり、手遊びをしたり、背中をとんとん叩いて、こう言ってはなんだが、眠りにつくまでの時間稼ぎをするわけだ。特に絵本はいい。なんとなく子供が賢くなってゆくような気がするからだ。

 さてそういうわけで、まいばん毎晩絵本を読んでいるわけだが、こうして行っている「音読」という作業は、ふだんやっている普通の読書のしかた、つまりいわゆる黙読とは、かなり異なった体験だと、あらためて気が付かされることが多い。もちろん自明のこととして黙読と音読は違う。「バスガス爆発」は書くのも見るのも簡単だが、音読すると難しいのである。しかしそういう、格好よく言えば文章のリズム的なことだけでなく、私自身、難解な文章にあたったり、文章を推敲したりするときには、もごもごとだが一旦口の中で発音してみることが多いようだ。確かに、目で読んだだけよりも内容の理解が深まるような気がするのである。

 絵本の話に戻る。実は、音読していて気がついた、絵本の言語感覚と私のそれとの差、というものがある。助詞の使い方に関してなのだが、

1.王女は、つるぎを一本たずさえて、竜の巣である地下迷宮○行きました。

 こういう文章があったとして、○の中に何を入れるかである。たぶん「へ」か「に」のどちらかになると思う。私はというと、自分で文章を書く場合、たいてい「に」を使ってきたと思う。ところが、私が読む絵本においては、ここで「へ」が使われることが多いような気がするのだ。「違和感を感じる」というと言い過ぎになるのだが、どこか、自分との感覚の違いのようなものがあって、面白い。

 たぶん、これは絵本だけの問題だけではなく、世間一般の文章と私の感覚との差異というものが、たまたま私が音読する絵本を媒介にして初めて意識された、ということなのではないかと思う。私はすっかり「に」派なのだが、だからといってそちらがよいとは限らない。むしろ、上のように問題を定式化して、書き出してみると、たとえば国語の問題として出た場合、どちらかというと、やはり「へ」のほうがふさわしい気がするのである。なぜかと聞かれると困るのだが、たとえば、

2.王女は、つるぎを振りかざして、恐ろしい竜の前○立ちはだかりました。
3.王女は、降参した竜を許して、竜の持つ宝箱の前○行きました。
4.王女は、竜を従えて、王の待つ宮殿○戻りました。
5.王女は、王権のシンボルである王冠を私○下さい、と王に告げました。

 2も3も4も、「へ」でも「に」でもいい気がする。私はどの場合も「に」と書きたくなるのだが、「へ」でもそれほどおかしいと思わない。ただ、5の場合のように「に」は使えるが、「へ」ではおかしい場合がある。いや、絶対駄目か「へ」ではいけないのかと言われると、意味は通じるが、すこし古めかしい表現に感じるのである。つまるところ「に」は万能で、「に」しか使えない場合もある。使い分けという意味では、使える場合には「へ」を使っておきたいと思ってしまうのである。

 これは「万能工具をどんな場合にも使うより、専用工具が使える場合にはそちらを使う」という感覚なのだが、高校のとき古文の授業で、試験対策として学んだことが関係しているかもしれない。尊敬表現を現代語訳するとき「6.王はたっぷり一時間悩まれました」と訳するのを避けるべきなのだが、なぜかというと「〜られる」というのは受身にも使う表現なので、「尊敬表現だとわかっているんですよ」ときちんとアピールするには不十分なのである。明らかにこなれてない感じの表現だが、ここは我慢して「6.王はたっぷり一時間お悩みなさいました」と尊敬専用の表現を使う。これなら疑問の余地がない。

 さて、「に」ではおかしくて「へ」ならふさわしい例を探してみたのだが、

7.王が紐を引くと、兵士がなだれ込んできて、王女と竜を地下牢○と連れて行こうとしました。
8.間一髪逃れた竜は、翼を広げ、ひとり、北○北○と飛び去って行きました。

 こんな例がないではない。しかしこの7の場合も「へ」対「に」ではなくて「へと」対「に」と考えると、どちらでもよいと思うのである。

 どうしてこんなことで悩むのかと思うし、私はしょせん字面と感覚でもってやいのやいの言っているだけなので、もっと詳しい人にかかると一刀両断にされる問題ではないかとも思う。ただ、素人考えで申し訳ないが、もしかして「へ」は滅びつつあるのではないか、このまま行くと私の子くらいの世代から、古語的表現として日常では使われなくなってしまうのではないか、という気はするのである。

 なにしろ私からして、あまり「へ」を使っていない。絵本を読むときでも、つい「へ」を「に」と読み替えてしまいそうになる誘惑に、抗するのが難しかったりするのである。こうして育った私の子供の世代になれば、なおさらそうではないかと思うのだ。それに、どうだろう、

9.王女は兵士に言いました。「離しなさい。私をどこへ連れて行こうと言うのです」
10.最後に王女は叫びました。「覚えてろよこのクソ王。てめーはオレが地獄に落とすッ」

 例がやや恣意的な気もするが、比べると、やっぱり「へ」より「に」のほうがずっと力強い気がするのである。表現が次世代に伝わるかどうか。明暗の境界は、案外このあたりにあるのかもしれない。


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