ご先祖様万歳

 もしかして使い古された手口かもしれないのだが、不運である、健康に不安がある、よい結婚相手に恵まれない等々の悩みを持つ人に対して、占い師が「ご先祖様を大切にしていないでしょう」と指摘しているのをテレビで見た。なるほど、墓参りなどの供養は、どうしてもいいかげんになりがちで、うまいところを突いていると思う。

 ご先祖様に対して自分が今何が出来るか、ということを考えてみた場合、なにしろご先祖様は「もうこのへんでいいよ」とは言ってくれないので、これは根源的にどこまで行ってもきりのないものである。まあ十分やるだけのことはやっている、と考えている人でも、墓の頭上の桜の木が云々、といった見落としはないとは限らないし、仮に全力精一杯、その都度全財産と余暇のすべてを投げ出して盛大かつ完璧な供養をやっています、という人がいても、心に迷いがあってご先祖様はそれを嘆いているのです、とか、いろいろ指摘ポイントはあろう。「これでヨロシイ」と言ってくれない相手は、このようにつきあいにくい。

 さて、このような話を持ち出したのは、アイザック・ニュートンに関して、ちょっと必要があって調べていて、この言葉に再会したからである。
「私に遠くが見えていたとしたら、それは巨人の肩に乗っていたからです」
 つまり、先人の知恵、経験、知識といったものをベースにして、そのうえに自分のいささかの考察を付け加えたからこそ、だれよりも遠くが見えたのである、ということである。ニュートンに関して言えばこの言葉はかなりの謙遜ということになると思うが、これはまったく科学の本質である。

 思い返してみると、私は二十世紀に科学教育を受けた者として、巨人の肩に乗って遠くを見ながら、その巨人に関して敬意を払うところの少ない人間だった。中学校の理科だったか「ボイル・シャルルの法則」というものを習う。ボイルの法則と、シャルルの法則を合わせた物である。前者、ボイルの法則というのは、気体の体積が圧力に反比例する、というもので、後者、シャルルの法則というのは、気体の体積が絶対温度に比例する、というものである。こういうことに対して、不満を抱く生徒だったのである。

 どうでもよいが「ボイル」というのはお湯を沸かす意味であって、そっちが圧力でシャルルが温度というのは、いささかややこしい。しかしまあそれはそれとして、私がどこに腹を立てたかというと、どうしてこんなのを覚えないかんのや、というところである。いや、理科と言うのはそもそもそういう学問であり、そこに疑問をもってはしかたがないが、そうではなくて、気体の体積が圧力に反比例するとか、絶対温度に比例するというのは、直感的であり、覚える上で困難は感じない。しかし、これに「ボイル」だか「シャルル」だか、聞いたことのない固有名詞が二つもいっぺんに出てきて、しかもそれを覚えないといけない、という所にもっぱら不満を感じていたのである。どうしてそんなおっさんの名前二コも覚えないかんのや、と思った。

 実際のところ、こういう法則名として、発見した人の名前を冠するというのは、どうしてもこうでなければならないものではない。「ボイルの法則」「シャルルの法則」のかわりに「気体体積が圧力に反比例するの法則」と「気体体積が絶対温度に比例するの法則」でもよいし、「気体法則A(圧力)」「気体法則B(温度)」とかそういうのでもよい。実際、ニュートンの法則はいっぱいありすぎるからか「作用反作用の法則」とか「慣性の法則」などといった、アホウな中学生の私が大満足する名前がついていたのである。

 中学生の私はアホウだったと思うが、だからといってどうなのか、中学生にボイルやらシャルルやらの名前を暗記させるべきなのかどうか、私にはまだよくわからない。ニュートンの名前は力の単位に残っているが、これも「1ニュートン」のかわりに「1力単位」でいけないのかというと、そんなことはないと思う。1力単位は、1質量単位に作用して1加速度単位の加速度を生じせしめる力である。なんだか、とてつもなくわかりやすいような気もするのである。

 しかしまあ、これは一種の供養であり、ご先祖様を大切にする気持ちであり、足下の巨人が怒り出さないように鎮める行為なのかもしれない、とは思う。学術論文を書くとき他人の論文を引用する、という行為からしてそうだが、科学の本質とは違うはずのこういうことが、科学を進歩させるためにはやっぱり必要だというのも、これはこれなりに、面白いことだと思ったりするのである。

 だいたい、いくら頑張っても単位にも元素にも法則にも名前が残らない、ということになると、やっぱりがっかりする科学者は多いのではないかと、ちょっと思う。そんなことのためにやっているんじゃない、という人だって多いと思うが、そこはそれ、ご先祖様は「これでヨロシイ」とは言わないので、たいへんつきあいにくいわけなのである。昔の偉い学者の名前はちゃんと覚えておかないと、バチがあたって結婚できない。少なくとも「誰だったかイタリア人が発見したどうとかいう法則」なんて言っていると、なんだか格好わるくてモテないというのは確かなことだと思うのである。


トップページへ
▽前を読む][研究内容一覧ヘ][△次を読む