獣帯に巻き込まれる

 海外の人の書いたものを読んでいると、ときどき「人間は動物か」というような話題に出会う。わりあい真剣に「人間も動物の一種である」と主張してあったりするのだが、それはそうで、もちろん人間だって動物だろう、と思うのだ。だいたい、人間が動物でないとしたら、それではなんだというのか。植物か。鉱物か。乾物か。

 と、誰も突っ込んでくれないのに一人で本に向かって毒づく私なのだったが、そういう感想を持ってしまうのは、一つには英語と日本語の語感の違い、というものがあるかもしれない。海外の本を、私は日本人が翻訳した日本語で読んでいるのであって、そういう環境でこの議論を眺めると確かに、人間が動物だというのは、けっこう当たり前の話である。ところが、ここを英語でたとえば「animal」と書いてあったと考えると、突然よくわからなくなってくる。要するにこれは、日本語の「動物」という言葉がたまたま動物と植物のような二分法で考えるための言葉にあたっているからで、仮に動物という語彙がなく「人間はけものか」と書かざるを得ないとしたら、この質問にはけっこう悩んでしまうところなのではないだろうか。

 ここで問題になるのは、我々普通の人間がこの言葉はどのような意味と思っているか、そういうコンセンサスであり、用語の科学的な定義の話ではない。上の「人間は動物か」は要するにそこのところに踏み込んだ議論なのだと思うが、少なくとも日本語の「動物」は、わりあい生物学的な定義に近い意味を持たされている気がする。哺乳類、爬虫類、両生類、魚類。虫もそうだ。微生物になってくるとややこしくなるが、まあ、目に見えるいきもので、自分で動くものは大抵動物だと思っているし、これは生物学的な定義と合致する。一方、「獣」はどうだろう。猫やチワワ犬のごときも獣に入れてしまっていいのか悩むが、まあ、だいたいは哺乳類的なものだろう。人間は除外される。カンガルーやコアラは入れてもいいかもしれない。ヘビやワニは微妙である。そういう、あいまいなものだという気がする。

 さて「獣帯」である。獣帯というのは、夜空の星座のうち、太陽の通り道にあたる十二の星座、いわゆる黄道十二宮の、別の呼び方である。英語ではこの十二星座のことを「zodiac」といい、この「zo」は「zoo」とたぶん同じく動物という意味なので、獣帯はそういう語源に立ち返った訳語ということになる。動物の星座がぐるっと十二個並んで地球を取り巻いている、というイメージなのだと思う。ところが、テレビの星占いでもよくみかけるこの十二の星座を見ていると、決して動物ばかりではない。

 まず人間(あるいは神様)がいる。「おとめ座」「ふたご座」「みずがめ座」というのがそうで、この三組四人は動物といえばそうだが、獣と言えるのか、躊躇するところである。もっとややこしいのは「いて座」で、よく描かれる図によれば半人半馬の弓使いなので、これを獣と呼んでしまうというのはどうか。人間の半分がいい顔を、たぶんしない。仮に、これらすべてをごまかしあるいはテーブルを叩いて脅して獣であると押し通したとして、それでも「てんびん座」という、これはもう完全に物体、道具である星座はどうにもならない。

 その他「うお」「かに」「さそり」についても、動物には違いないが、ナイーブには「獣」ではないのであって、ということは、誰が見ても文句無しにケモノなのは「やぎ」「おひつじ」「しし」「おうし」の四つに過ぎないということになる。十二個あるうちの四つ、三三パーセントであり、ここまで来るとどうしてこれで獣帯という名前をつけたのか、理解に苦しむところではないだろうか。そもそも星座というのは一部を除き、実際に夜空の星の並びを見たところで魚の姿や乙女の姿にはまず見えないものだから、やりなおせるなら嘘でもいいから全部動物の名前をつければよかったところではないかと思う。

 ところで星座というものは、昔からあるわりには天文学でも依然として用いられていて、名前もそのまま使われている。これは面白いことで、化学でいうと「地水火風」の元素名をそのまま今も使っているようなものかもしれない。ともかく、現在八八の「公式の星座」というものがあって、通用しているということである。

 星座の成り立ちからしてあまり意味のある話ではないのだが、仮に八八の星座が最初にあって、そこから十二個選んだらたまたま今のようになった、というシナリオを考えよう。つまり、八八本のクジがあって、そこから一二本引いて黄道十二宮を作った場合、どうなるかということである。現状の「獣率」は、「てんびん座以外ぜんぶ動物」という立場なら11/12だし、「獣は四つだけ」という厳しい品質基準なら4/12だが、これらは、どの程度ありえないことなのだろう。これが滅多にないことなら「獣帯」には異常に獣が多く、従って「獣帯」と名づけたことにはそれなりの意味があるということになる。反対によくあることなら、獣帯はちょっと無茶な命名だったということになろう。

 星座名にはいろいろなものがある。人名(神様の名前)から船乗りの使う道具まで大小さまざまだが、それを「獣かどうか」という観点から分類すると、だいたい次のように分けることができるだろう。数えてみると、こんなふうになった。
A)アンドロメダ、オリオンなどの人間(または人間の姿の神):16
B)獅子などの獣(ペガサスなども、ここに含めていいだろう):18
C)鳥、魚、爬虫類、昆虫など、獣とはいいがたいその他の動物:24
D)コンパス、彫刻室など、道具、設備のような要するに非生物:30
コロンのあとにある数字がそれぞれのカテゴリの星座の数である。「竜」「かみのけ」など、どう考えていいのかよくわからないものも結構あるが、とりあえずは私の判断を信頼していただきたい。この中では、Dの「道具」が非常に多い、ということに驚かされる。メジャーな星座の中には道具はあんまりないから判断を誤りやすいが、望遠鏡だの羅針盤だの彫刻具だの、ちっちゃいのがとにかくたくさんある。

 まずは比較的甘い基準、AもBもCも広く見れば獣である、という説を取ろう。そうすると、獣帯にある「獣以外の星座」はてんびん座だけで、残り11星座が獣である。獣率は11/12だ。一方、星座全体ではどうなるかというと、上のABCが獣なので、獣率は58/88ということになる。88本中58本が当たりであるクジを12本引いて、許される外れはわずか一本。この確率は非常に低く、約3.8%となる。このような十二宮になる確率は、ありえなくはないが、かなり低い。

 もう一つの考え方を見よう。八八の星座のうち、獣なのはBだけと考える。18獣があるわけだが、そのうち獣帯に4つが含まれる。これは上よりはぐっと起こりやすい気がするが、「四つ以上の獣が選ばれる確率」として計算すると20.5%となる。つまり、シャッフルして十二宮を選びなおすと、五回にまあ四回は、獣が今の四つよりも少ない星界が現れることになる。

 さあ、結果としてはこの通りである。以後、てんびん座は動物じゃないじゃないかと指摘する人にはこう言おうではないか。いや、このような「もの」が一つしかないということにむしろ驚くべきであると。獣は四つしかないじゃないかと嘆く人には優しくこう諭そう。いや、四つもあってラッキーだったと思うべきなのだと。今回の議論の大部分は、南半球の星座に勝手な名前をつけた船乗り達に責任が帰せられるような気もするが、獣帯は、天球内でまずまず獣っぽい帯になっていると言えるのではないだろうか。


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