暇はお金に換えられる

 アメリカに住んでいる、ないし長期滞在している人のエッセイに、ときどき「メール・イン・リベート」というものが登場する。話によると、かの地では一般的な割引制度の一つで、家電などを店頭で購入したあと、商品に入っているチケットをメーカーに送ると、あとでいくらか返金されるという制度らしい。メーカーとしては、キャンペーン価格を設定するにあたって、店に値段の付け替えなどの手間をかけさせずに機動的に値引きを行えるなどの利点がある。ところが、この手続きというのが複雑かつ面倒で、チケットさえ送ればよいというものではなくほかにも細々と送る必要があり、しかも、送った書類の不備により半年くらい経ってから返金できないむね連絡が来たりする場合もあったりして、不満の種として描かれていることが多いようだ。

 これについて、最近読んだエッセイで、メール・イン・リベート方式は他の方式よりもより大きな値引き幅を提供することができる、と述べてあるものがあって、感心した。いわく、商品の購入者にはいろんな人がいて、中には面倒な手続きなんてやってられないという人がいる。それはたぶん、あたくし十ドルのためにここまではちょっとねおほほほほ、と笑うお金持ちだが、そういう人は面倒な返金手続きをまず行わない。ところで、メーカー側に立って考えた場合、これは一定割合のリベートが絶対に換金されない、ということを意味している。値引き幅(返金額)が増えるに応じて手続きをする人の数は増える等の事情はあるだろうが、ある経験則に基づき、その割合をかなり正確に事前に推定することができるのではないだろうか。するとどうなるかというと、そのぶんを見越して大きな値引き幅を設定することができるのだ(少なくとも、ある商品に関して換金されなかった分を繰越利益として、次の商品の値引き幅に追加することができる)。つまりこれは、普通の店頭での値引きに比べて、暇な人がより大きな値引きを享受できる制度であるということだ。

 それはそれで結構なことのような気もするが、さてここで、私は言いたい。こういう「暇な人が得をする」という制度は、少子化に逆行するものではないかと。

 何回か前に「人生のゲームバランス」と題してちょっとこれに触れた、その繰り返しになるのだが、実際問題として、世間には忙しい人と暇な人がいて、世の中の大部分の物事は暇な人が得をするようにできている。早朝ないし前の日から並ばないと買えない個数限定の商品やチケット、日程が厳しい代わりに安い旅行パック、夜中になると安くなる高速道路通行料金、閉店時間ぎりぎりになると安くなるお惣菜。こういった様々な物事について、我々は「他人があまりしないことをやっているのだからそれは報われて(安くなって)当然」と思っているわけだが、ここで、最近気がついたこととして、こういうものはほとんど、小さな子供がいると利用困難ないしいっそ言ってしまえ利用不可能になるのである。安いお惣菜くらいは買えるんじゃないかとあなたは言うかもしれないが、スーパーの閉店に合わせて晩御飯をそんなに遅くするわけにはいかない。子供は眠くなってくるとものすごく不機嫌になるのである。

 個数限定のあれやこれやは諦めよう。コンサートやスポーツ観戦だってどうせ行くのは難しい。旅行や高速道路の利用は普通の時間になってやむを得ない。ズルして夕食にお惣菜を買う場合も、まあ普通に買えばよかろう。それでもともとだし、損をしているわけではない。ただ、上のメール・イン・リベートと同じ視点に立つならば、ある人が得した分は、結局のところ無理がそれほど効かない人の代金に上乗せされて徴収されていると考えることができる。子育て世代は、無理が利く年代が利用した割引のコストの、少なくとも一部を負担させられていると考えることができる。子育ての、隠れたコストということになるのではないか。

 考えてみれば、我々の父母の時代、こういうものはあんまりなかったと思う。一つにはこの「閑散期には割引を行う」という判断は、どれだけ割引をするとどれくらい利用者が増えて、割引してでもサービスを提供したほうが得になる、という、かなり高度な計算の上にはじめて成り立つ制度であるからで、これは高速道路の深夜割引のことを考えるとよくわかる。道路をただ空けておいてもしかたがないのだが、割引しすぎると日中の需要が夜中に回るだけで道路公団(じゃなくて東日本高速道路株式会社とかなんとかそういうの)は損をするのである。メール・イン・リベートでどれくらいが換金されずに残るかと同質の、けっこう難しい問題である。海外旅行の旅行代金が出発日時によって実に細かく設定されているのを見るにつけ、パソコンなんかなかった時代には、怖くて提供できない類の割引ではなかったかと想像する。

 もちろん今はそうではない。閑散期には適切な割引が提供され、提供側も得をするし利用者も得をする、そういう仕組みができあがっている。これはきわめて自然な成り行きで、押しとどめるのは不可能な流れだと思うのだが、これで損をするのは変な時期には利用できない、普通の勤め人、普通に結婚して普通に子育てをしている常識的な人々なのである。赤ん坊が二時間おきに泣くのでそんな中メール・イン・リベートなんてとても手続きをやってられない人々である。少子化が問題になっている折、それでよいのか。いや、少子化は結構なのでもうずっとこのままで、という立場も確かにあると思うが、ここは議論のため仮に少子化は悪いことだと仮定するとして、ではどうしたらいいのか。

 幸いにして方法はある。一つには、子育て世帯を比較的お金持ちにして、あたくし十ドルのためにとてもそこまではできませんわおほほほほ、と言わしめればよいのである。ただ、児童手当のようなものはそもそもそういう目的のためにあるはずで、しかもあんまり少子化対策として役に立っていないことを思うと、手当が常識的な額に留まる限り、効果はあんまりないかもしれない。そこでもう一つ考えたのだが、提示するだけでいつでも割引料金が使える「子育てパス」のようなものの発行はどうか。これがあれば、たとえば、いつでも高速道路が深夜料金で乗れる。チケットや限定商品も抽選で買える。お惣菜も安い。

 これは、結構、実効性のある少子化対策になるような気がする。なにしろ我々は、日々ちょっとずつ得をするというのにものすごく弱いのであって、だからこそメール・イン・リベートをはじめ、深夜料金やらなにやらが効果を発揮していると思うのである。これも前に書いたことがあるような気がするが、月に三百円ほどもらうよりも、毎週の生ゴミの回収料金がタダになるというほうが、ずっと得をした気になるものなのだ。考えれば考えるほどいいアイデアに思えてきたので、政府はただちにそういうパスを発行されたい。とりあえずお盆の帰省のとき、深夜たった一人で運転しないでいいと考えるだけでも、たいへんありがたいことであると思うのである。


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