お茶をにごす

「僕と彼女と彼女の生きる道」というドラマが、再放送されていました。涙を流しながら見ているわけですが、 そこで思ったこと。
「ジョン平とぼくとぼくと」
というのはどうか。

 白いカレーも、やっぱり次の日のほうがおいしいんだなあ。

「ひたち海浜公園」という近所の国立の公園。この海浜公園の駐車場の駐車料金は、普通車510円です。
 なぜ、510円なのか。525円(500円プラス消費税)だったらまだわからないではないのに、なぜに510円か。なぜ千円払って490円おつりなのか。500円にすると経営が立ち行かなくなる……ということは絶対ないと思うのですよ。いや、わからないけど、たぶん。
 嫌がらせなのかなあ。

 テレビのチャンネル等を離れた地点から操作できる機能を持つ、いわゆるテレビのリモコンにおいては散らかった部屋の中で目立つというのが既に一つの性能でありここには他の電化製品に比べて小型化に関する圧力は働かないといえる。むしろ邪魔にならない程度に大きく派手な色に塗られているのがよいリモコンでありしかも居間において邪魔にならない程度の大きさというのは、意外に大きい。ところが、この派手で大きいリモコンを家電量販店で見た消費者はどう考えるか。わあ邪魔になりそうこんなのがうちに来るのは嫌だうちにあるところをうちにきた客に見られるのは嫌だ等と考えるのである。しこうして、我々はシックな色使いで、小さなボタンを技術の及ぶ限り小さな面積に配した、寝る前に酔っぱらってテレビを見た次の朝などには決して発見できないリモコンに毎朝毎晩悩まされなければならない。これは資本主義的な競争がもたらす日常生活における非効率の一種であり、リモコンを探すことによって我が国の国民総生産のような指標がどれだけ押し下げられているか想像するだに恐ろしいものがある。

 むかし、赤ちゃん用品の店で「紙おむつの形をしたおもちゃ」というものを見かけたことがあります。おむつ替えのときにむずがる赤ん坊に紙おむつを持たせてみたら意外に喜んで遊んでくれて助かった、それならいっそ紙おむつの形のおもちゃをつくったらどうかと思って作ってみた、ということが書いてありました。
 今日「お掃除用クエン酸(食用ではありません)」を買って来て、そんなことを思い出しました。落ちるのだろうと思いますが、なにかが違う、そんな気がします。

(松坂の)60億円あっても、夕張市は救えないんだなあ。

 私の高校のときの修学旅行は、長野のスキー場でスキー合宿をするというものだったのです。それが修学旅行として意味があるのか、できればちゃんと観光したかったなとか、女の子と同じ班で自由行動して熊に襲われて熊と戦ったら通りすがりのマタギのおじさんに助けてもらいたかったなとか、そういうことを考えないでもなかったのですが、とにかくスキー。
 ところが、大過なくスキーが終わって帰るそのときになって、大雪に見舞われて、どうしてもバスが動かなくなってしまったのですね。どこでどう動かなくなったのか、未だによくわかりませんが、多分岐阜県あたりで。一日かけて帰る感じのところ、結局次の日の朝方までバスの中で過ごした訳ですが、これが私の高校生活のもっとも楽しかった時間の一つになりました。でもって、その途中、どこか大きな神社でトイレ休憩に止まったとき、そこに黒い子猫が一匹いて、バスから出てのびをしたりしている私のほうに、にゃーにゃーと泣きながらやってきたわけです。うっすら雪化粧して、寒い神社の境内で、まっすぐにこちらに向かってきた黒い猫を抱き上げて、なでてやると、その猫はこっちを見て、ありがと、というかんじで、にゃ、と。
 今でも冬がやってきて、雪が降ってくるのを見ると、あのときのことを思い出すのです。私の学生服の腕に抱かれた黒い小さな、あたたかな猫と、そのビー玉のような、丸い瞳のことを。

「井川」という文字は日本語を習ったことのない英語圏の人にもラクラク書けると思います。松井や松坂よりも偉いところ、ひとつ見つけたっ。

「いなずまの剣」(電流)を右手に持って前に突き出して、
「磁力の盾」(磁場)を左手に持って構えると、
「力のヘルメット」(力)の角が天を指している。
というような覚え方はどうでしょうか。フレミングの左手の法則ですが、どうして盾が「左」なのか、普通は剣も盾も前じゃないか、というあなたは「ドルアーガの塔」をやったことがないに違いありません。

 地元の本屋さん三軒回っても見つけられなかった(店員さんに聞いたらもう売れちゃったと言われた)本(ムック)について、もう腹が立ったので、もう地元には還元しないするもんか、と、あるネットの本屋さんに注文したのです。それが夕方到着して、開けてみたら裏表紙にバーコード付きのシールが貼ってあったと思ってください。
 ムックなので裏表紙(いわゆる表4)は広告で、だからこんなシール、べつに貼ってあってもどうということはありません。ところが、そのシールに「きれいにはがせます」と書いてあるわけです。そう自分で言うわけですシールが。はがしてください。私を。
 はがしました。やぶれました。真ん中から半分に。絶対にはがれてやるもんかと根性を発揮した感じで、シールが表裏に分離してノリと薄紙一枚だけが残る感じで。どないやねん。めっちゃはがれへんやんけっ。
 しかしもう、シールが全部残っているならまだしも、半分はがれた状態というのはたいへん見苦しいので、残りの、わずかに残った反対側にツメを立てて地道に根気よくはがしたら、まあなんとかはがれましたが、はがしたあとが、ノリでねちゃねちゃするようになってしまいました。ねちゃねちゃムックです。きっと真っ黒になります。私にはわかります。
 これは何かの呪いだと思います。呪いとすれば、やっぱり川又書店(県庁店)のそれでありましょう。

「国庫返納」ってなんかかわいいよね。
「コッコヘンノー」
「コッコヘンノー」
「コッコヘンノー」
 ほら、なんかかわいい。

 カエルを水に入れて、すこしずつあっためてゆくと、すこしずつあったまってゆくことに気づかず、逃げられるのに逃げずに、ついには煮えてしまう、という話があります。現実にはまさかそんなことはないと思いますが、話としては確かにあるのです。
 どうも私はそれである気がします。寒くなったらやめようバスに切り替えようと思いながらずっと、12月になった今も自転車で通勤を。このまま年が明けて2月を通り過ぎれば大成功。あるとても寒い夜に自転車のそばで冷たくなっているのが発見されたら大失敗。そして不思議に安らかな顔をしている私のなきがらのそばには、暖をとろうと思ったのでしょうか、燃え尽きたマッチが散らばっていたのでした。

 たとえば、まんががあったとします。雑誌連載からスタートして、人気が出て、テレビアニメ化されて、ニンテンドーDSとかでゲーム化されて、と進んでゆきます。翻訳されて海外で出版されたり、イメージCDみたいなのが出たり、テレビドラマになったり、いろんなグッズが発売されたりするかもしれません。その、一応のゴールとしては「劇場版映画化」かなあ、とずっと思っていたのですが、最近こう思うようになりました。つまり、
「ゴールは『パチンコ化』ではないだろうか」
これです。

 さきほどから息子(3歳)がサンタクロースごっこをしています。大きな荷物をかかえて、プレゼントを持ってきてくれるのですが、
「おおにしさまのおうちは、こちらでしょうかー」
「はいこちらです」
「はんこください」
……なにか違う。
「サンタさん、このプレゼントはなんですか?」
「ミニカーでござる」
……なぜだかはわかりませんが、息子はサンタクロースは「ござる言葉」でしゃべると思っているようでござる。ニンニン。

 誤変換といえば、最近「冷媒の容器を調達する」と書いていたら、「霊媒の妖気」と変換されました。なにか、日本語変換プログラムが一生懸命考えて出してくれた気がしていとおしかったものですよ。

 こんな私でもインターネットに十五年。顔文字や(爆)にはかなり慣れてきましたが、いまだに心を動かされるのが「w」です。「笑う」という意味で付け加える、w。こりゃダメだwなにやってんだw。あざ笑われている感じがして、いつまでも、まったく慣れません。好意的な文脈で使われている場合でも、見るだけで反射的に、瞬間的にカッとするのです。
 でも、使う方で悪気がないのはわかっているので、これはもう、タグと解釈して、小文字のwはブラウザで「(笑)」とか「ウヘ」とかに変換してくれると助かります。お願いマイクロソフト。

Apple Computer Inc.がApple Inc.になって、
ソニープラザがプラザになる時代ですよ。
大西科学もそろそろ科学にならないといけないのではないですか。

 これからも、迷惑メール送信者の寝床がいつもびしょびしょにぬれていますように。牛乳で。

 地球温暖化は、「太り過ぎ」に似ていると思うのです。
 運動したり、食べる量を減らしたらやせるのはわかってるけど、それはヤダという話だし、
 なんとか今の生活を変えないで無理しないでやせられないかなあ、という話だし、
 今すぐやせないと病気になる、と言われても、今現在病気ではないし、という話だし、
 鏡を見ては、いやおれはまだ太ってない太ってないんだ、だいたい太ったら病気になるという説だって科学的に証明されていないと思う話だし、
 涙ぐましい努力をしているのに、一方でケーキ一個丸ごと食べたりして、しまったと思う話だし、
 いつか楽してやせるやせ薬ができるかもしれない(でも今はまだない)という話だし。
 違うのは、太り過ぎの場合は自分が死ぬだけだ、ということですねえ。セイブマイアース。

「バレンタインデーにはチョコを贈ろう」という習慣がこうもたやすく定着して、しかも当初の「愛の告白のため」から「好きな人に」へ、義理へ、自分向けへと拡散してゆくのは、根本的にチョコレートがおいしいものであること、いついかなるときでも贈られてうれしいもので、むしろ人は甘い物を買う理由を探しているものである、などということがあると思われます。
 似たものに「節分には恵方巻きを食べる」というのがあって、これも、由緒正しかったり昔からそうするものだったりする類のしきたりではありませんが、なにしろのり巻きはおいしいので、だからみんなだまされたふりをしてでも買うのではないか。これが「全員で冷たい水を頭からかぶって身を清める日」だと絶対に定着しません。むかしからそういうものだったらしかたなくやるかもしれませんが、少なくとも新しい習慣としては絶対に。クリスマスに、特に子供にプレゼントを贈るのは、それが楽しいことだからだと思うのです。
 ということは、楽しい習慣なら業者等がしかけをつくって、しかもそれがいかにも「作ったぞ」という感じでもみんな乗って来てくれるに違いないということです。「焼き肉を食べる日」とか「この日は家事なんかなんにもせず昼間から酒を飲んで寝ることになっている」とか「愛する人と一緒にトンカツを食べに行く日、ごはんを三杯おかわりすると今年一年幸せでいられる」とか、どうよ。どうよ。

☆猫バトン☆
・これが回ってきたら次に書く日記の語尾すべてに「にゃ」「にゃん」「にゃー」等をつけなくてはならない。つけなければ永遠に地獄の業火で焼かれることになる。
・一人称は必ず「我輩」にする。しかも、買った値段よりも安く売り払う必要がある。
・「な・ぬ」も「にゃ・にゅ」にする。そして願いは必ず周囲の人を不幸にする方向でかなう。
・日記の内容自体は普段の当たり障りのないもので構わない。その上、ノートに名前を書かれると死ぬ。
・日記の最後に5人!回す人の名前を記入するのを忘れずに!忘れると二度とここには戻ってくることができない。
・既にやったことがある人でも、回されたら何度でもやらなければならない。何度もやっているうちに、足はもげ手は折れ自分の臓物の上でのたうち回ることになろうとも、やらなければならない。なぜならば私は君の先輩で君は後輩だからだ。わかったらグラウンドあと十周。

「おとうさん。さて、ここでもんだいです」
「なあに?」
「ぞうさんの、おべんとうの、おにぎりの、なかみはなんでしょう」
「んー。ええと、ぞうさんの」
「ち、ち、ち、ち、ち……」
「えーと、おべんとうの、おにぎり。ええと」
「ち、ち、ち、ち」
「わからないなあ」
「おとうさん、わからない?」
「わからない」
「こたえは、」
「こたえは?」
「おかかでしたー」
「へえー、どうして?」
「ん?」
「どうしておかか?」
「おいしいから」
「あ、そういう話。あ、そう」


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