しっぽがない

 セロテープやガムテープを使っていると、最後のところが無駄になって、もったいない気がいつもする。製造するときは、まず紙製の芯を用意しておいて、その周りにテープを巻きつけてゆく方法で作っていると想像されるが、このようにするとテープの最初の(あるいは最後の)一巻きぶんは、自分自身(テープ)ではなく、紙芯と貼り付いていることになる。買ってきて使っていると、テープ同士ならうまくはがれるのだが、このひと巻きぶんは、はがそうと思うと紙芯の紙が一緒にはがれてきてしまって使えない。テープの糊の貼りつかない、ビニール素材かなにかで芯をコーティングしておけば最後まで使えるわけだが、当たり前の話、そんな手間をかけるよりも普通にテープを巻いてテープ自身にそのコーティングの役割を果たさせたほうが手間もいらないしコストも安くなる、と、そういうわけだろう。

 まったくの想像だが、このテープ、販売している紙芯の周りに巻く前は、もっと長く幅も広い状態のテープが太くて大きな紙芯の周りに巻いてあるのではないだろうか。このマスター巻の状態で「テープ製造装置」から次工程の「テープを芯の周りに巻き芯を輪切りに裁断する装置」へと運ばれているのではないかと思うのだ。だとすれば、そのマスター芯から販売芯にテープを巻きなおすにあたって、このときもまた、マスター芯ひと巻き分、マスター紙芯に貼りついて無駄になっているに違いない。また、消費者が、買ってきたテープを別の紙芯の周りに巻きなおすということは普通しないが、もしそれをしたとすると、やはり最初のひと巻き分、無駄になることだろう。芯から芯にテープが移動されるたび、それぞれの芯ひと巻き分が無駄になり、そのぶんテープは短くなってゆくことになる。

 生物学で出てくる用語である、テロメア構造というのは、だいたいそういう話だ。生物の設計情報を担う遺伝子は有名な「DNA」と呼ばれる長い分子の鎖の上に情報として書かれているわけだが、このコピーを行う「DNAポリメラーゼ」という酵素が、構造上、一本のDNAを端から端までコピーすることができない。DNAはそもそもコピーされてナンボというか、自己を複製する能力を持つことが最大の特徴であるわけだが、端まで完全に同じものを作るのは、どうも難しいことらしいのである。DNAをポリメラーゼがくわえ込んでコピーするときに、ある長さを足がかりというかリーダーというか「つかみしろ」に使うため、その部分(プライマーとよぶ)がコピーされずに残ってしまう。コピーひと世代ごとにDNAが若干短くなる理屈で、そこが上のセロハンテープに似ていると思うわけだ。

 こういう構造上の欠陥について、抜本的で頭のよい解決法を取らず、場当たり的でやっつけで後々禍根を残す回避策を取るのが生物の進化の特徴である。「テロメア」というのがそれだ。遺伝子をコピーしそこねて消滅してしまうのを防ぐために、遺伝子の端のところに最初から意味のない配列を付け加えておくのである。コピーのたびにDNAは短くなるが、短くなった部分はテロメアであって、意味がないのだから問題ない。テープはテープでも、昔あった音楽用のカセットテープの端には録音できない部分があったが、あれに似ている。トカゲのしっぽのように切って切って切っていって、ついにテロメアがなくなって意味のある部分が削れるときがやってくるまでは、この仕組みは確かにうまく働く。

 テロメアは燃え尽きたら死ぬ「生命のろうそく」ではないし、テロメアが減ってゆくのを防ぐしくみも、端っこにテロメアを付け加えるテロメアーゼという逆転写酵素をはじめ、いろいろあるのだそうだが、そういうのをいちいち用意したり、いっそポリメラーゼのほうを改良してなんとかする、という解決の仕方をとってないところが、生物の、これでええのか、と思う部分である。かわりに遺伝子にテロメアをひっつけて当面の解決策とするのはかなり場当たり的だと思うが、そっちのほうが低コストなのだろう。それにテロメアには、細胞の寿命を制御するような、別の用途を持たせてあったりして、役に立っている。こういう利用できるものは親でも使うやりかたも、やっぱり生物が得意とするところである。

 さて、音を立てて話は変わる。私がいつもここに文章を書くのに使っているソフトは、フリーのテキストエディタである。「ここに文章を書く」どころか、掲示板に書き込みをするのも、また電子メールや小説を書くのも、パソコン上で文章を入力するときは、ほとんど間違いなくテキストエディタ上で書いている。それはいいのだが、以前使っていたテキストエディタに奇妙なバグがあった。「すべてを選択」を実行すると、最後の一文字分が選択から漏れるというものである。

 これはなかなか気づかなくて、いったいどうしてこんなことになるのか、最初は不思議でしょうがなかった。ある文章を書いて、推敲して、完成したところで「コマンド(ないしウィンドウズならコントロール)+A」を押す。select allでつまり「すべてを選択」ということである。そうしておいて次の一動作で「コマンド+C」を押し、選択した部分をコピーする。コマンドAですべてを選択しているので、これで、書いた文章が全部クリップボードにコピーされたはずだ。これを、ウェブブラウザの入力ボックスなり、テキストエディタの他のウィンドウなりにペーストするのだが、不思議やふしぎ、はじめのウィンドウ内ではあったはずの、最後の一文字がなくなっているのである。

 文章の最後の文字というと、それはたいてい句点(。)なので、はじめのうちは、おかしいなあと思いながらたいした手間でもなくこっちで入力して補ってやっていた。本格的に困ったのは気づかずに何世代かコピーしたような場合で、これは長い文章やプログラムを編集したりログを整理するときに現実によくやることなのだが、コピーを繰り返すごとに端が一文字ずつ削れてゆき、気づくと何文字か文章本体が削れてしまっていたりした。これはたいへん困る。困るし気持ち悪い。ここの文章だって、下書きから数えると数代コピーしているので、そのたびに削れては意味が通らなくなってしまう。

 こういうソフトウェアのバグについて、抜本的で頭のよい解決法を取らず、場当たり的でやっつけで後々禍根を残す回避策を取るのが私の仕事の特徴である。どうしていたかというと、じゃーん、最後の数文字を削らせないために、文章を書くとき、最後に無意味な改行を、常にいくつか入れておくことにしたのだ。などと、どう考えても、じゃーん、と紹介するような話ではないが、まあ、文末に「テロメア」の役割を果たす文字列を入れておけば、コピーで何文字か削れてもまったく問題ない、というのは確かだ。テロメア改行がなくなるそのときまでは、文章本体は削れないからだ。

 もっとも、この「最後の文字はコピーできない」は、DNAポリメラーゼがそうであるような、技術上の必然性がある話ではまったくない。世間一般に普通にある大多数のテキストエディタは、同じ一連の操作で、全文を最後の一文字まで残さずきちんとコピーできるはずで、実際、今使っているテキストエディタにはそんなバグはない、はずだ。だから、テロメア改行は論理的に考えてもう必要ないのである。

 必要ないのだが、ところがどっこい、今なお、私の、書きかけの文章ファイルの最後には常に無意味な改行がいくつも入っているのである。この文章の場合、今数えたら6個あった。なぜかという質問に論理的な答えはない。強いて言えば、最後に改行がなく、書きかけの文章の右端にあるのが改行ではなくEOF(ファイル終端)になっていると、なんとなく落ち着かないからだ。習慣だからである。そういうふうにいまや無意味になった遺産を、無意味ながらずるずる引きずるのも生物の進化でよく見られる特徴の一つであるが(特にその遺産が低コストで維持できる場合)、まあその、私の文章は生物の進化ではないので、もうちょっと何とかしてもいい。我慢して文末の改行なしに慣れればそのうちこっちが習慣になるだろうから、今回あたりからなしでやってみてもいいと思うのだ。だってほら、昔から言うではないか。「テロメア


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