コロッサスの乙女たち

 九は優しくて、六はのんびり屋さん。七と八は意地悪だけど、二人を一緒にすると、できるのはすてきな一五。

 和子は自分が計算をしていると思っていない。いや、どうだろう。言葉の厳密な意味において、計算をする人なんかどこにもいないんじゃないかな、と和子は思う。たとえば八に五を足すときに、みんながすることは、計算ではないと思うのだ。やっていることは、自分の記憶をたどって、八足す五はいくらだったか思い出すことだ。そう。誰もが八足す五が一三になることは知っている。春の次が夏であることを、日本で一番高い山が富士山であることを、自分の名前が和子であることを覚えているように。八足す五が一三であることを、知っている。知っているから、答えは一三。人が計算をするというのは、要するにそういうことだ。

 ただ逆に、こうも思う。計算とは結局、そういうことなのかも。つまりそれは、計算とは記憶と、それから手続きの集合に過ぎないのかもということで、どんな計算であれ、人間がやっていることといえば、頭の中の表を思い出して、そして決められた手続きにしたがって頭と手を動かす。それ以上の何物でもないのかもしれない。もしかしたら、どんな高等な数学も、結局は手続き、また手続きだったり。そう考え始めると「計算」という言葉の意味さえあやふやになって、和子は足下の地面がぐにゃぐにゃのこんにゃくになったような、怖い気持ちになる。

 しかし、算盤だけは、いつも確かにそこにあって、そうやって迷子になりそうな和子を世界に連れ戻してくれた。算盤に向かって、玉を弾く。和子が算盤でやっていることといったら、八と五の表よりも、もう一段、さらに抽象的な手続きに過ぎないのだが。三を足すと、一の玉が三つ上がる。しかしもし、一の玉がいっぱいなら、一の玉を二つをはじいて五の玉を下げる。しかしもし、五の玉がすでに下がっていたら……。

 一〇六二二五六一〇〇九。優しい数字。和子は計算結果を几帳面な字で紙に書き留めると、次の紙を手にとった。算盤を揺らし、その端から端まで、ぴ、と指を滑らせる。ご破算。世界の終わり、そして始まり。和子はふたたび、算盤に没頭した。数字、また数字。手続き、また手続き。記憶を探るということさえ意識せず、手が覚えているとしか言いようのない手続きに基づいて行われる、計算。和子の中を、優しい数字と意地悪な数字が、通り抜けてゆく。

 和子やほかの何千人もの少女が、毎日八時間もここで何をしているのか、理解している者は少なかった。学童疎開に伴って、廃校になったような町中の小学校に集められた彼女たち、和子のような十代の少女たちが、三交代で、さらに二グループに分かれて、朝から晩まで算盤をはじく。「教師」と呼ばれているまとめ役の女性たちの指示に従って、計算を行い、その結果を教師に戻す。まるで尋常小学生の頃に戻ったようだったが、その教師のほかに、いかめしい陸軍の将校が、ときどき部屋を訪れること、それだけが学校とは違っていた。四時間の計算、食事を挟んでまた四時間。ただし一時間ごとに五分の休憩。和子と、隣の少女と、その隣の少女が、算盤と紙と鉛筆を使って、無数の計算を行い、そして全体として、巨大で高速な計算機械をかたちづくる。

 しかし、和子にもわかっていることがあった。この戦争に帝国は、こともあろうに、どうやら負け始めているらしいのだ。本来であれば、これからこの帝国をかたちづくってゆく人間の一人として、尊敬と十分な教育と、そしてもしぜいたくを言うならば、愛、をもって接されるべき自分たち。それが無機質な計算を任務とする「計算員」として動員されていることそれ自体が、この帝国が基本的などこかで崩壊しはじめていることを示す、何よりの証拠ではなかったろうか。事実、彼女と同い年の男子達は、あるいは兵隊として、あるいは旋盤を廻して兵器を製造する人夫として、同じように動員を受けているのだった。

 鬼蜘蛛。教師の一人があるとき、彼女らに、そっとその言葉を教えた。彼女らがそうして朝から晩まで計算を行い、戦っている相手の名前である。本来、それは和子たちに教えられるはずのない情報だった。

 それは敵国が使っている、暗号であるらしい。今や帝国の四周を覆い尽くしつつある敵国の艦船、潜水艦、爆撃機。それらが互いに電波を用いてかわす会話に、帝国の残り少ない部隊は、あるいは軍艦は、必死に聞き耳をたて、そのいくらかを聞き取って、大本営に報告する。

 しかし、せっかく聞き取ったその通信は、それだけでは意味がわからない。かれら、敵国の軍人たちは、かれらにだけ通じる言葉で、命令を、あるいは状況を記し、そうしておいてはじめてそれを電波に乗せるからだ。それは、専門の道具でかたくかたく守られた言葉で、敵国である和子たちの帝国のひとびとには、破られるはずのない、暗号で守られていた。

 ところが、それでもこれは、完璧なものではなかったのだ。数字はいつも正しく、人間はいつも間違う。そう、どこにでも常に、不注意な無線員はいる。空腹で疲れていて、決められた手順を守らない者はいる。そして和子の国の軍人は、そうした無線通信を見つけるや、そこから鍵を割り出し、その日にかわされた、すべての会話を解読する方法を見つけ出したのだった。鍵は毎日変わる。ついにその日の鍵がわからない日もあった。しかし、鍵がいくつかに絞られさえすれば、あとは計算の問題になる。そのための、つまり鍵を見つけ出すための膨大な計算をこなすこと、そして見つけた鍵を使って、その日の他のすべての無線を解読すること。それが和子らに課せられた使命だったのだ。

 とはいえ、和子がやっていたことといえばもちろん、机に置かれた紙の束の計算を行い、解を返すという、ただそれだけのことだったのだが。和子は、自分たちの計算が遅いから、あるいは間違うことがあるから、戦争に負けているのかな、とは思わない。あの若い女の教師、彼女がこっそり教えてくれた上のような暗号の話さえ、和子とってはどうにもぴんとこない話だった。和子がやっているのは、ただひたすらの計算、それだけだったからだ。これがどうして暗号に関係するのか、和子はわからなかった。その意味で、和子は計算員で、それ以上の存在ではなかったのだ。

 その暑かった日。教師にかわって彼女達の教室を訪れ、端的に、今日の計算はない、と告げた陸軍の将校は、そのかわりに庭に彼女ら計算員を集めて、整列させた。幾人かの将校が、何かを言い争っていて、しばらくの、混乱としか見えない時間のあと、ついにその一人がラジオを持ってきて、庭に据えた。何が始まるのかわからず、いつもの算盤との世界に戻りたかった和子は、同じように庭に出てきていた先生たちの中に、あの女の教師の姿を見つけて、視線を捉えようと目配せをした。先生は和子にこたえて、ただ、唇に軽く指を当てた。そこで将校が号令をかけて、和子たちは姿勢を正す。そして、雑音だらけの聞き取りにくいラジオから、あの有名な終戦詔書を読み上げる、玉音放送が始まったのだった。

 八月一五日。

 その日からあと、和子の生活は変わったろうか。どうなのかはわからない。敗戦、そしてその後に続く混乱期を通じて、和子がやったことといえば、事務員として就職した銀行の業務としての、ただ計算、ひたすらの計算だったからだ。扱う数字が暗号を構成する文字から円に変わったからといって、数字は数字であり、戦争が終わったからといって、玉を動かす規則が変わるでもなく、また七が優しくなるわけでもなかった。

 それでも夏が来て、そして過ぎ去るたびに、和子はあの、彼女らの戦争のことを思い出して、少しせつなくなる。彼女らがなしたこと、なしえなかったことについて。和子はそれになにほどの誇りを抱いているわけでもなく、また彼女らの計算結果が、何人の軍人や国民を救ったのかなどと、考えることもなかった。和子は、それでもいいのではないかと思っているのだ。そう、計算は、計算にすぎないのだから。

 彼女は、自転車を止めて、ハンカチで汗をぬぐうと、フレオン式の冷房が入った銀行の、従業員入り口をくぐった。たちまち汗が引いてゆくのを感じる。戦争が終わって、戦地から戻ってきた幼なじみと結婚しても、まだ勤めを続けている理由の一つが、この銀行の夏の快適さかもしれなかった。彼女は、算盤に没入する一日の前に、銀行の建物をしげしげとながめた。戦争でいろいろなものが変わったが、今彼女が勤めているこの銀行の、このモダンな建物だけは、戦争前から和子の学徒動員の時期を通じてずっと変わらない。彼女の暮らす街、広島市の、夏の終わりの一日が、また始まろうとしていた。


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