呪文を覚える

 ウィザードリィやドラゴンクエストといった、いわゆるファンタジーロールプレイングゲームには、きまって魔法の呪文が出てくる。この場合の「魔法の呪文」というものがどういうものなのか、疑問に思ったことはないだろうか。たとえば「ホイミ」の呪文ならゲーム内で僧侶が、
「ホイミっ」
 と唱えると魔法の効果(この場合は体力が回復する)が現れるのか、それとも実は「ホイミ」という名前がついたある長さの呪文が別にあり、実際にはそれを唱えているのか、よく考えるとどっちなのかわからない。

「ホイミっ」である、と考えたいのは確かである。ゲームをノベライズないしコミカライズしたものでは実際そうなっているようにも思うからだが、ただ、戦闘中にそうやってやりあっている様子を実際に思い浮かべると、それでいいのかお前らまじめにやれ、と言いたくなる。いや、ゲームのキャラクター、当人たちはそれに生死がかかっているので大真面目だとは思うのだが、とはいえ「必殺!超臨界イントロン爆縮剣!」に似た味があるのは確かである。「超絶!光量子メンブレン振動剣!」うるさいから黙ってやれ。

 とはいうものの、では後者かというと、こちらにも問題はある。「ホイミ」という名前のついた、しかし発声としてはホイミではない呪文というのは、たとえばこれは「ホイミ」というタイトルがついた歌があって、それをワンコーラス歌うと体力がむくむく回復する、というような状況に近いのだろうと思われる。と、ここで考えなければならないのは、ではこの呪文のどこかに「ホイミ」という単語が出てくるのかどうかということで、これはまったく別の問題であり、少し詳しく考える価値がある。

 どっちでもいいじゃないかそんなことは、と特に腹が減ったときなど、そう感じると思うが、落ち着いて糖分でも取って考えていただきたい。そもそも「ホイミ」という言葉には、それ自体意味はない。いや、ゲームの中の世界で使われている言葉が実は日本語ではなく、温泉に入ったときなんかに普通に「あー、ホイミしたホイミした」とか「あの女優ホイミ系だなあ」等と言っている可能性もあるが、それを言い出すときりがないしお腹も空いてきたので、ここはとりあえず意味なんかないとしたい。意味なんかないとして、この場合、呪文のサビあたりにどうしてもホイミという言葉が出てこねばならないような気がするのだ。サビに出てくるというのはつまり、呪文の最後のいっちばん盛り上がるところが、
「だから私は唱えるわ、あなたと、私と、ホイミ〜」
 とかそういう感じになるということである。

 と、なんだか異様におっさんくさいことを書いてしまっているような気がするのだが、要するに、もしも呪文の、どこか重要なところにホイミが出てこないなら、これを「ホイミ」と呼ぶ理由が特になさそうな気がする、ということが言いたかったのである。ホイミ以外にも、別にギラだってデュマピックだってロクトフェイトだっていいのだが、呪文の発動に「ホイミ」という言葉が関係ない場合、こんなものは便宜上「回復1」とでも名づけておけばいいのであり、ホイミと呼ばれる理由などない。そして、もっと言えば「回復1」という呪文があったとして、そのサビにホイミが出てこようがオッパッピーが出てこようが呼び名は頑として「回復1」でかまわないはずである。

 それをわざわざホイミと呼ぶのは、あんまりいいことには思えない。月周回衛星「かぐや」(SELENE)のような愛称なのかもしれないが、ちょっと衒学的というか、一般教養のことをパンキョーとか、学生が片手間にやる一時雇いの仕事のことをわざわざドイツ語でアルバイトと呼んでみるとかそういう狭い世界だけで通用する隠語っぽい感じがするのだ。「えー、おまえ知らねえの? メヘルトかけてくれっつてんだよメヘルトー?」とか薄笑いを浮かべて言われると、殴りたくはならないか。私はなる。

 しかしたぶん、これはそれでいいのだろう。魔法は魔法なので、第三者にわかりやすくしてある必要はない。むしろ、魔法は資格を認められた者だけにこっそりと伝授される秘儀であり、敵はもちろん、味方にも広く知られていいものではない、としてあるほうが、もともとのイメージに忠実である気がする。コンピューターのロールプレイングゲームなんかをやっていると忘れがちになるが、一般の人間や、ひどいときにはパーティの仲間にとっても、魔法というものが、しっかりと確立され管理できる戦闘技術の一種というよりは、ときどき助けてくれる気まぐれでわけがわからなくて時にものすごい対価を要求される危険な存在、という程度の認識であるほうが、雰囲気がよく出ていると思うのだ。

 そして、実は、第三者にわかってナンボ、という代物である科学でさえ、原則どおりには行かない。物理学者だってにんげんだもの、これはしかたがないことだが、ときどき、わざとわかりにくくしてあるのではないかと思うような名づけ方をしてあることがあると、私は思うのだ。たとえば「クォーク」なんかがそうで、歴史的にある程度の必然性があるとは思うものの、クォークというシロモノの名前は控えめに言っても、わかりやすくはない。クォークという名前そのものが意味がなくてけっこうひどいと思うが、その種類はというと、アップクォークダウンクォークチャームクォークストレンジクォークトップクォークボトムクォークである。並べてみると、もしかして酒でも飲んでいたのではないかというくらい命名法として軸がぶれている。とくにチャームとかストレンジあたりがぶれぶれで怖い。

 私は、自分の子供がうまれた辺りを境に、もう五年以上「ロールプレイングゲーム」というものに手をつけていないが、そのゲーム歴の最後のほうで、新しいゲームの魔法の呪文を覚えるのが、だんだんおっくうになってきたのは確かである。どのゲームでもベギラマであったりカドルトであればいいのだが、プレイするゲームごとに、また異なった、いちいち新しい「回復1」やら「攻撃1(属性:炎)」にあたる呪文があり、その名前を暗記しないと、やはり円滑にはゲームが進められないのである。確かに、活用というか、同系統の魔法の名前は似せてあったりするくらいの心遣いはあるのが普通だが、その法則性(「メヘルト」「メヘルタン」「メヘルテンクロス」みたいな)を覚えるのも、おっくうというか、好きな人だけで勝手にやったらええがなわしはそんなんしらんがな、と、どうしても感じる。物心ついてから二十三番目に出会ったファンタジーロールプレイングゲームにおける「メヘルト」がどういう呪文だったのか、攻撃呪文なのか防御呪文なのかそれともトイレのいやなにおいを消す呪文なのか、覚えておく気がちょっとしなくなるのは、みんなそうだと思うのだがどうなのか。

 そして、だから魔法に比べて科学は偉いのである。クォークの名前はみんな眉をひそめながらではないかと思うが、担当教授の好みによるオレ命名法をおしつけることなく、世界中の大学で、チャーム、ストレンジとちゃんと教えている(と思う)。トイレの臭い消しの名前も「トイレその後に」であり、実にわかりやすくできているのである。科学と小林製薬のあるこの世界に生まれて、私は本当に、幸せだと思っている。


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