いらんけどほしいもの

 既にお正月の記憶も定かではなくなりつつある昨今ですが、いやそうだからこそ、私は一つ、ここで皆様に申し上げたい。それは、世の中には「いらんけどほしい」というものがあるということです。矛盾しているでしょうか。矛盾しているかもしれません。しかし、今から説明しますが確かに存在するのです。いらんけどほしいものが。

 たとえばハム。サンドイッチに挟むうっすいハムじゃなくて、カタマリになっていて自分で切って食べるハムですが、これは、まあ、いりません。たしかにうまいんだけど、じゃあそれに見合う、お金を出して買ってまで食べるかというと、そこまでのことはないのです。なにしろハムというものは肉ですから高いので、現実問題として、今晩のおかずにハムを買ってきた、なんてことは、まあありません。ないです。そういえば、ハム自体いったいあれは誰がどういう状況下で食べることを目的として作られた食べ物なのかよくわかりませんが、たぶん松田優作あたりがアーミーナイフで切って食べるためにあるのだと思います。そのほかはちょっと考えられない。食堂なんかで定食を頼んだらハムがおかずについてくることも、あんまりないんじゃないでしょうか。しかし、だからといっていらないものかといえばそうではない。欲しいんです。うまいから。お歳暮かなにかでもらったりすると、ものすごくうれしいです。もらったことは実はないですが、実家にきたものをお土産でもらうことはあります。とてもうれしかったです。お母様ありがとうございました。ハムおいしゅうございました。

 おもわず我を忘れましたが、要するにこれが「いらんけどほしい」ものです。自分でわざわざお金を出して買わないけど、あるいはその勇気が普段はないけど、家にあったら確かにうれしい。絶対にうれしい。これはたとえば「最高級のホームシアターシステムが欲しいけどそんなお金も自宅にスペースもない」というような、単に「高いので買えないが欲しい」というのとは、ニュアンスがちょっと違うと指摘したいです。買えないのか。買えます。そのお金はありますもう学生じゃないんだから。ただ、じゃあ買うかというと買わないのです。そのお金を出したらもっといいものが買えるから、そのお金は妻のため娘のため息子達のために使わなければならないから、買えないのです。家族のために犠牲になっているわけではありません。冷静に「買ってうれしい自分」と「そのお金で家族にお土産を買っていってうれしがられている自分」を比較して、冷静に後者のほうがいい、と判断してその結果買わないのです。「いらんけどほしい」というのは、つまりそういうもののことです。

 ただ、欲しい。いらんかというと、決してそんなことはない。何か機会があって、プレゼントしてもらえるとします。そんなことは実はちょくちょくあって、結婚式の引き出物やなにかに「カタログギフト」をもらうような場合ですが、同額のお金をもらうほうがマシということも確かにあるものの、同額のお金と比べても、モノのほうが欲しいという場合が確かにあるのではないでしょうか。いや違った。そうではない。モノよりも同額のお金が欲しいという場合は多いのですが、そうではなく「モノしか選べないから、しかたなくこんなモノもらっちゃったよ」と口ではいいながら、実際にはモノでよかったああうれしい、と陰ではにっこりしている、そういう状況はありませんかと問いたいわけです。特に家族持ちに問いたい。

 言い換えましょう。たとえば、ボランティアの草引きをして、終わったところでよく冷えたペットボトルのお茶を手渡してもらうのと、はいどうぞと掌に百五十円もらうのとどっちがいいか。特に「そのおかねでじゅーすかって」と隣で見ている自分の子供がいる場合(そして、本当に喉が乾いていて、甘ったるいものなんて飲みたくないとき)、どっちがうれしいか。そうです。我々は自分のお金だからといって自由に使えるわけではない。横で見ている家族がいなくても、将来のため今月の生活のためを考えると、このお金は使えない、と判断する自分。自分をごまかすことは誰にもできはしないのです。たぶん。まあたいていは。

 で、思うのですが、ところがその、正月というのはこの手の「普段しない散財」というものを、実にしがちな時期で、それはまあ、一般的にはいけないことであるとされていますが、逆に「いらんけどほしかった」ものを買う絶好のチャンスだったりするわけですが、どうですか皆様。これは、一つには「福袋」というかたちでやってきます。福袋。いらんのですこんなものは。無駄遣いをしてはいけません。買った後に「これは無駄遣いではなかった」と思い込もうとしても無駄です。無駄なのです福袋なんてのは。しかしそれがいい。普段の厳しい自分じゃない自分がお屠蘇に酔って買ってしまった。今は後悔している。それがいいのです福袋というものは。むしろ損しない福袋など福袋ではないと私は言いたい。中身がわかってる福袋みたいなのは、お前、普段の日に買うとれどアホウ。

 すみません興奮しました。どアホウは私です。ただ、そもそも、初売りというものは「いらんけどほしいもの」を手に入れるチャンスではあります。特別な時期であることを、お店もちゃんとわかっていて、普段の仕事もないので私の心もなんだか軽く、しかも突発的な支出に備えるために下ろしてきたお金でなぜか懐も暖かく、思わずいらないものを買ってしまいそうになります。これは一般的にはいけないことであるとされていて、実際にそうだと思いますが、しかし一抹の寂しさはあるのです。初売りから帰ってきて、自制心がよく効いていたので、何も買わずに済んだ。ああよかった。これでお金が貯まるわいな。どアホウっ。

 寂しいではありませんか寂しくないですか。あんなに安くてモノがあふれるお店を見てきたあとで、しかも決して「これはいらない」と判断したわけではなくむしろ「欲しいけど我慢しよう」と思って帰ってきて、一人の家でぽつんと、自分とお金が入った財布のほかに何もモノがないということに気がつくというのは。部屋とお財布と私。このどアホウ、チキン野郎、と自分を責めたい気分になります。もう買えない。もうあの熱狂は過ぎ去り、普段の日に普段の気持ちではあんなものは買えないのですよ、やっぱり、基本的には、ほしいけどいらんものだから。

 さて、私は正月に入る前、パソコン関係で、二つ「いらんけどほしい」ものがありました。一つは、NASとかなんとかいうらしいですが、アメリカ航空宇宙局ではなくネットワーク上に置いておけるハードディスクで、無線LANを通じて手元のパソコンの書類や写真や音楽をバックアップしたいという、そういう用途のものです。たぶん。そういうものがこの世界のどこかにあるとは思うのですが、まあ、いらんけどほしい。バックアップですから無くても当面困らないのは確かですが、できるとうれしい気がします。安心できる気がします。

 もう一つが、USBにつなぐワンセグチューナーです。テレビ。見ますかテレビ。私は実はあんまり見ません。本当に、私の普段のライフスタイルを考えても、たぶん使わないと思うのです。電車の中では見ないだろうし、出張先のホテルについたらそこにはたいてい本職のテレビがあるし。ただ、どんなのか見たい気はします。ワンセグっ。デジタルっ。

 というわけで、実家の近所の電器屋さんに行ってあれこれ見ていたわけです。正月三が日で、電器屋さんと電器を扱っているショッピングセンター、のべ6軒を回りました。ヤマダとかジョーシンとかミドリとかそういうのです。なに、お金はある。正直お金はあります。冷静に考えればこれは「あとで必要になるお金」ではあるのですが、現象面だけ見れば、お金はけっこう、お財布に入っていたりします。これは買っちゃうかも。ついに買ってしまうのかもしれません。で、そうして帰ってきて、うちには部屋と財布と私と、次のような品物があるわけなのでした。

 SDカード、1GBで1,000円。
 SDカードリーダ、1,000円。

 合計、わあ、2,000円ですね。このチキン野郎。


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