NPCにだまされるな このエントリーを含むはてなブックマーク

 サイコロというものは通常正六面体の形をしている。ここで正六面体というのはよくあるサイコロの形で、他にはサイコロステーキとかサイコロキャラメルのかたちでもある、などとつい自己撞着的な説明をしてしまうが、知っている人は知っているとおり、サイコロは六面体でなければならないわけではない。実際「ダンジョンズ&ドラゴンズ」のようなロールプレイングゲームでは、ゲームの必要から簡易な乱数発生装置としてさまざざな種類のサイコロ(ダイス)を使う。いわゆるプラトンの立体である五種類の正多面体(のうち正六面体以外)、つまり四面体、八面体、十二面体、二十面体のほか、五角錘の底面同士を貼り付けたかたちの「十面体ダイス」というものもあって、便利に使われていた。四面体ダイスは投げたとき「上になった面」というものが存在しないわけだが、どういう処理がしてあるか、知らない人は検索して見てみてください。ちょっと面白いです。

 さて、私がこういうもので遊んでいたのはすでに二十年ほども昔のことで、もはやこういった道具ものは時間のかなたに失われ、家を探しても出てこない。六面体以外のサイコロというのは存在自体面白いし、子供がそろそろそういう年齢に差し掛かることもあり、どこかで買ってきてまた遊んでみようかと思ったのだが、では今、この二十一世紀の日本において、この手のゲーム用の道具はどこで買えるのだろうか。こういうものは生まれてくることはあっても消滅するようなものではないのであって、だからどこかではいまだに買えるのに決まっているが、「今どこで売っているか」はおろか「昔どういうところで自分は買っていたか」というのも、模糊として思い出せない。なにか書店か、あるいは電器屋の最上階のようなところで買っていた気がするが、気のせいかもしれない。

 さて、このサイコロを使うゲーム、ロールプレイングゲームだが、これは人間が複数参加して、コンピューターを使わないでドラクエみたいなことをするゲームだ、と書くと、実はこれは上のサイコロの解説のように自己撞着的な説明なのだが、とにかくわかりやすい。プレイヤーはゲーム中で、戦士とか、僧侶とか、そういったようなキャラクターの役割(ロール)を演じる(プレイする)。ゲームをする人々の中に一人、プレイヤーではなくマスター(ダンジョンマスター、ゲームマスター等と呼ばれる)という人がいて、この人がプレイヤーが動かすキャラクター以外の全部を担当する。宿の親父とか、とらわれの姫とか、敵の魔法使いとか、ゴブリン十匹とか、作動したクロスボウの罠などを演じるわけである。

 キャラクターのうち、プレイヤーが演じているものをPC(プレイヤーキャラクター)、マスターが演じているものをNPC(ノンプレイヤーキャラクター)と呼ぶ。キャラクターのうち、酒場で騒いでいる他の酔客みたいな背景キャラクターよりも、もう少し真剣に能力値などが設定してあるものだけをNPCと呼ぶような気がするが、そこは少しあいまいだと思う。ゲーム中の冒険は、PCとNPCを含むパーティで行われることも少なくない。ゲームのマスターからすると、PCはおいそれと殺せないが、NPCはゲームの展開上殺しても問題ないので便利である。

 ここでちょっと余談になるが、どうも昔から気になっていたこととして、NPCというのは、和製英語っぽい感じがするのだがどうだろう。というのも、どうもこの「ノンプレイヤーキャラクター」という言葉、すわりがわるいと思うのだ。いや、私が英熟語のすわりの悪さについて何を語ることができるのかと言われると急に声も小さくなってしまうが、なにか、こう、なんと言ったらいいかよくわからないが、つながりがよくわからない言葉に思える。「プレイヤー」と「キャラクター」をなんの工夫もなく並べて書いてあるところが、英語っぽくない感じがするのだ。たとえばプレイドキャラクターとかプレイアブルキャラクターとか、そういうふうな活用になりそうに思えるのだが、どんなものだろう。さらに一番上に「ノン」をつけて「プレイヤーではないキャラクター」という意味の言葉を作るにいたっては、和製英語を作るにしたってもう少しやりかたというものがあるのではないか、という気がとてもする。

 しかし調べてみるとちゃんと本国でも使われている言葉らしいのである。私が変だと思っているだけで、ネイティブスピーカーから見れば「non-player character」はアリ、ということかもしれないが、結局、作った人にとってその言葉が母国語であろうとなかろうと、言葉にはすわりのいいものと悪いものがある、というだけのことなのかもしれない。たぶんアメリカやフランスにも米製和語、仏製和語があったりして、恥ずかしいものもある一方で、中にはなかなか日本語としてよくできているものも、あったりするのではないだろうか。こういうので今思いつく例としては、韓国語で、掲示板などへの悪意のある書き込みを「アクプル」と呼ぶ、という話があって、これは「悪」のアクとreplyのプルを組み合わせた言葉だそうである。厳密には韓製英語とはいえないと思うが、少なくとも韓国でも「夏フェス」「白タク」みたいな言葉のつくりかたをすることがわかって親近感がわく。プルがちょっと可愛い過ぎるきらいはあるが、この手の新しい現象を指し示す言葉として、たとえば「荒らし」よりはよくできているようにも思える。

 話はもとに戻る。そういうわけでNPCだが、そうしたロールプレイングゲームの時代がかなたに過ぎ去り、コンピューターとインターネットの時代がやってきてもうかなり経過した今になっても、NPCというものはいまだに存在している。もちろん、コンピューターロールプレイングゲーム(ネットワークを使うものも使わないものも)において、人間が動かしているもの以外はぜんぶNPCだが、たとえば「連絡を取ってほしいとたくみに出会い系サイトへと誘う迷惑メール」は、どうもNPCくさい感じがするのだが、どうだろう。迷惑メールだってメールだから、これを送っているのは人間に決まっているが、この差出人のところに書いてあるマユミだかキョウコだかいうのは、PCというよりは、どっちかといえばNPCである。なにしろ、そうして行った先の出会い系サイトにはサクラがいっぱいいて、メールのやり取りはできるが決して会うことはできないのである。いや、よく知らないが、そういう話だと聞いた。でもって、サクラというのはつまりマスターが動かす、NPCである。そうではないだろうか。

 そうして見回すと、NPCは確かに世の中にあふれている。たとえば、こういうのがNPCである。
・ワードサラダなブログの管理人であるとされる適当に入れたユーザー名。
・ミクシィにおいて「主婦が月収五十万円」みたいなユーザー名の足跡を残してゆく機能を持ったロボットが使うミクシィのID。
・恋愛シミュレーションゲームにおいて「初めて会ったときから、ずっとあなたが好きだったの」と告白してくる女の子。
・「モウイチドサイショカラヤリナオシテクダサイ」とキャッシュカードをつき返すATMの画面の中の女性キャラクター。
・書類の書き方の例でよく書いてある「茨城太郎」みたいな人。
・投げやりに設定されたマスコットキャラクター(「茨城空港ちゃん」みたいなの)。
・無断欠勤のいいわけに使う架空のおじおば(登場と同時に死ぬ)。
・家になぜか伝わっている家系図において、天皇家からわかれたと称するご先祖(藤原某)。
・歴史小説において実在の人物にまぜて作者が登場させるでっちあげたキャラクター。
・子供が一人で遊んでいるときにぶつぶつと会話をしている相手。
・飼い猫が宙をにらんでいるときにその見ているもの。
・一人で風呂に入って髪を洗っているときにふと後ろで感じた気配。
・床の間に意味もなく座らせてある赤い着物に日本髪の女の子の人形(髪が伸びる)。

 たいへんずれてきた感じがするが、NPCというものが怖いものであることが、だんだんわかってきたのではないだろうか。ともかく、よしあしは別として、現在NPCはかように世の中にあふれていて、われわれはNPCに無駄な時間を使っている。われわれが真に興味があるのはパソコンやインターネットではなくその向こうにいる人間である以上、NPCに惑わされないように生きてゆきたいと思うのである。

 ここで気になるのだが、アクプルを書くのはやっぱりNPCなのだろうか。少なくともNPCだと思えば、腹が立たないような気もするのだ。


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