換気を考える このエントリーを含むはてなブックマーク

 電気ストーブというものを私がはじめて使ったのは、高校生のころ、大学入試の受験勉強を始めたあたりのことだが、「このストーブは換気しなくてもいい」ということに気づいて、なにか不思議な感じがしたものである。などと書くとどんな年寄りかと思われてしまうが、おそらくたまたまではないかと思うものの、当時うちで使っていた他のストーブは、石油ストーブでも石油ファンヒーターでも火鉢でも、みな定期的な換気が必要なものだった。基本的に燃料を燃やして暖を取る装置ばかりで、当然、熱が発生すると同時に室内の酸素が減り二酸化炭素が増えてゆく。放置していると一酸化炭素中毒などになり命が危ない。電気ごたつはもっと昔から使っていたはずだが、そういえばうちでは長い間、メインには練炭や木炭を燃やす掘りごたつを使っていたのだった。あの掘りごたつというものは、中に入った猫が腰が抜けたようにふらふらになって出てきたりして、たいそう危険なものである。

 そうならないためには冷たい外気を我慢しての定期的な換気が必要で、考えてみれば不便な話なのだが、どうもこれはある意味で理にかなっていると思えたのは確かである。素朴な世界観として、この世の中には「快適さ保存の法則」とでもいうべき法則が成り立っており、なにかいいことがあるとかわりに同等の悪いことがある、必ずあると感じられるからである。その意味で、あったかいストーブには換気の必要があるのは実に当然のことである。ストーブというものは暖かくて気持ちがいい反面、ときどき寒い目にあって換気をせねばならない。また灯油が切れれば注ぎに行く必要がある。電池が切れてマッチで火をつけたりする必要もある。あれやこれや、面倒で寒い思いもして辛くって、しかしストーブというものの快適さとのバランスを取るためにそうなっているのだ。これが「快適さ保存の法則」である。世の中そんなものだ。

 ところがそうでもないのであって、よくよく考えてみると、少なくとも換気というものは、もう少し工夫の余地がある。

 今、暖かく暖房されている室内を、換気することを考えよう。たとえば外気温が摂氏マイナス5度で、室内の温度が同22度のとき、単に窓をあけて換気をしたのでは、空気が入れ替わるとともに室内の気温が下がってしまう。それでは暖房効率が悪いので、ここで「熱交換器」というものを導入する。これは放出する空気で外の空気を暖めてから室内に入れるという装置である。

 まずは真っ正直にやってみよう。室内の空気の一部、たとえば1立方メートルぶんを入れ替えるとする。体積1立方メートルの室内の空気と、1立方メートルの外気を熱交換器に通す。自分がいる部屋の隣に体積2立方メートルの予備室があって、その部屋がA室B室にわかれていると考えればよい。A室とB室の間は薄い壁で隔てられていて、壁が薄いので壁を通して互いに熱が伝わる。

(1)A室と室内との間の扉を開いて、室内の空気をA室に入れる(22度)。
   同時にB室の外への扉を開いて、B室に外気を入れる(-5度)。
(2)扉を閉じてしばらく待つ。A室とB室の気温はやがて同じになる(8.5度)。
(3)B室と室内との間の扉を開いて、B室内の空気を部屋に入れる(8.5度)。
   同時にA室の外への扉を開いて、A室の空気を外に出す(8.5度)。

 熱交換室がなかった場合に外気を入れたらその温度は-5度だったはずだが、熱交換室があるおかげで8.5度に暖められた新鮮な空気が入ってくるわけである。便利だし、特におかしなことはない。ただ、通常(2)の熱交換効率は100パーセントではないから、実際には「A室とB室の気温はやがて同じになる」まで行かず、A室が12度、B室が5度というようなところで(3)に進んでしまう場合が多いだろう。しかしこれにしても、熱交換室がないよりはずっとマシである。

 さてここで、熱交換器を2つ、直列につなぐとどうなるか。上の言葉で書くと、A室の向こうは屋外ではなくて、もうひとつ別の熱交換室があることになる(その向こうが外気)。部屋に近いほうからA1室、A2室というふうに名づけると、上の手順はこうなる。

(1)A1室と室内との間の扉を開いて、室内の空気をA1室に入れる。
   また、A1室にもとあった空気はA2室に送る。
   同時にB1室のB2室への扉を開いて、B1室にB2室の空気を入れる。
   また、B2室には外気を取り入れる。
(2)扉を閉じてしばらく待つ。A1室とB1室、A2室とB2室の気温はそれぞれ同じになる。
(3)B1室と室内との間の扉を開いて、B1室内の空気を部屋に入れる。
   同時にA2室の外への扉を開いて、A2室の空気を外に出す。

 このようにすると、外気はB2室、B1室で順に暖められて室内に入ってくるので、熱交換室が1段の場合にくらべ、さらに暖められて室内に入ってくる。効率100パーセントの場合で、13度の空気が入ってくることになる。同時にA2室から外に逃げてゆく空気の温度も4度まで下げられるので、実に無駄がない感じである。もちろん2段で終わりになる話ではないので、もっと得をするにはどんどん熱交換室を増やしてゆけばよい。A1〜A10まで10個の熱交換室があったとしたら、外気温は実に19.5度まで暖められて部屋に入ってくる。外に出される空気はとことん熱を搾り取られ、マイナス2.5度まで冷却されてから外に放出される計算になる。

 直感に反するように思われるのは、基本的にこのいっさいが追加のエネルギー不要で行われることである。交換器間の空気を入れ替えたり、扉を開けたり閉めたりするのに実際にはエネルギーはいくらか必要だが、これは空気を暖めたり冷やしたりすることに使われているわけではない。ここにあるのは「異なる温度の空気が同じ温度になる」というエネルギー追加なし、エントロピー増大ありの過程だけであり、むしろ温度が一致する過程を利用して仕事ができるくらいのものである。「快適さ保存」の直感に照らして、これは不思議なことだ。

 上で私が書いた熱交換器の仕組みはかなりごちゃごちゃしているが、お互いに薄い壁を隔てた2本のパイプを用意して、一方を排気用、一方を吸気用として使えばよい。排気用パイプ内の空気は隣の吸気用パイプ内の空気に熱を与え、ゆっくりと冷やされながら外に出る。十分ゆっくりと空気を交換することにすれば、これは理想化された無限段数の熱交換器ということになる。外気はほとんど室温近くまで熱され、同時に室内の空気は外気と変わらないくらいに冷やされて外に出る。「十分ゆっくり」というのが気に入らなければ、このパイプの本数自体はいくらでも増やすことができるので、換気量を確保することもできるだろう。悪いことはなにもない気がするのである。問題はこんなうまい話があるはずがないという、妙な直感がむくむくと頭をもたげてくることだけだ。

 たぶん、だからそうではないのだろう。世界はべつに我々に一定量の苦痛を与えるよう、工夫されているわけではない。昨今の「少しくらい不便を我慢しないと地球が危ない」という話を聞くにつれ、実はやっぱり快適さは保存するのではないかという気もするのだが、工夫次第でなんとかなる、というこれは典型例かも知れない。実際に上のような熱交換器を作ろうとするととてもコスト的に引き合わない(部屋の暖房出力を上げたほうが簡単)ということなのだろうが。

 ところで、電気ストーブは違う。なにしろ電気なので、換気をしないでよい。そのうえ、燃料補給も必要なく、しかもスイッチを入れればすぐに暖かくなる。ものすごくいろんな法則を平気で破っている気がするのである。高校生の私は、すごいものができた、と思ったものであるが、まあ、そうでもないことはすぐにわかった。電気ストーブは正直、あんまり暖かくなかったからだ。換気はともかくとして、この世界においては、何か深いところでなんだか妙なものが保存している気はするのである。


トップページへ
▽前を読む][研究内容一覧ヘ][△次を読む