閉じ込め青春

 幾度も確認せねばならない。娘は一歳半。法律的、文化的、教育的、常識的、あらゆる意味においてどんな事件事故についても責任を負う立場にはない。責任があるとすればそれは私にであり、状況から言ってむしろ私は「加害者」である。しかし、理性ではわかっているのだが、ふだん彼女を、赤ん坊の域を脱した「一人の人間」として考えることに、あまりにも慣れているからだろう、幾度押さえつけても、どうかすると娘のことを責める方向に考えが行きそうになるのだ。いやもちろん、私が悪いのである。しかし、ああもう。

 状況を確認する。ここは日本三景の一つ、東北の有名な観光地、松島。より詳しくは遊覧船乗り場から少し歩いたところにある、海沿いの無料駐車場である。この週、東北地方に台風が接近し、それがどうにか逸れて、どんどん本土から遠ざかりつつあるけれどもいまだ天気はよくない。そんな飛び石連休の谷間の平日の午後は、旅行者もやや少なく、駐車場にも空きが目立つ。もっとも、普段の休日における松島の姿を、私は知らないわけで、この入りが多いのか少ないのか、よくわからない。ともあれ空いているのを幸いここに駐車し、近くの水族館を見てきた私たちは、ころあいもよく、車に乗り込んで今夜の仮宿に向かおうとしていた。

 早く事件のことを説明したいが、それにはまず、娘の現在の成長状態について書かねばならない。「理科」という名前で呼ばれることもある私の娘は、さっきも書いたとおり一歳半、より詳しくは、一歳と七ヶ月をわずかに過ぎたところである。そもそも器用なたちだった彼女は、このごろになってあらゆる種類の鍵が好きになり、鍵と鍵穴の組み合わせを見れば試してみるようになった。触ってみるだけでなくて、差し込んだり、回したりするようになったのである。「かぎ」という言葉も覚えた。父母がなんらかの鍵を持っていると「かぎー、かぎー、かぎー」と、手渡すまで要求をやめない。触りたいので貸してくれ、と言っているわけである。

 そのとき、自家用車に乗り込もうとしたときも、そうだった。私は車の後席のチャイルドシートに娘を座らせて、シートベルトを締めた。鍵かぎとうるさい彼女に車の鍵を(とりあえずの遊具として)与えて、助手席のほうに回る。隔靴掻痒なので図解しよう。車が図左方向に向いているとして、配置はこうだ。

 運転席 妻が座る席

 助手席 娘のチャイルドシート

 人生ゲームのコマとは異なり、助手席はただいまのところ荷台になっている。空いているこの席に、畳んだベビーカーを押し込むのだ。私はチャイルドシート側の後部扉を閉めて前に回り、助手席の扉を開けようとした。そのときに、がちゃん、と音がした。

 あなたはタイトルから予想されたかもしれないが、私は完全に虚を突かれた。車のドアがロックされたのである。そういえばそうだった。娘の手の中にある鍵には、キーレスエントリーシステム、ワイヤレスでドアのロックを行う装置のボタンがついている。ドアを全部閉めた状態でこのボタンを押すと、すべてのドアがロックされるのだ。もう一度開けるにはボタンをもう一回押すか、鍵穴に鍵を入れて回さねばならない。今は旅先。鍵は彼女の手の中にあるもの、一本だけだ。

「大変なことに、なった」
 事実を悟ってから、こう、やっと言葉を出すまでに、間があった。冷静に、怒鳴ってもわめいても仕方がない、ということをすばやく判断したのかもしれないし、本当に驚いたときというのはそういうものなのかもしれない。現状、自分達が締め出された理由とその意味を、私は妻に説明した。

「えええええっ、えーと、ジャフ?」
「そうだな、ジャフだな」
私は窓ガラスの向こうとこっちに生き別れになった娘をちらりと見てから、肩を落とす気分でポケットの電話機を取り出して、またしまった。考えてみると電話機にJAFの電話番号が登録されているわけではないのだ。なんてことをするんだこの子は。いや、公衆電話。私が悪い。どうして鍵なんか好きなんだ。いやそれよりも電話帳。117だっけ104だっけ。この状況を脱するにはどうしたらいい。どうすれば一番早いだろう。

 絶望的な表情をしていたに違いない私の心境とはとりあえず関係なく、娘は車の中、チャイルドシートに縛り付けられた状態で、こっちをニコニコ笑って見ている。指に鍵をつまんでいる。そうだ、まだ早い。落ち着いて考えよう。幸いにして今は完全な曇天で、一刻を争って娘を助け出さねばならない事態ではない。

「ボタン。ボタンを押しな」
と私は娘に呼びかけた。妻も横で同じように呼びかける。娘はますますニコニコの度合いを深める。何で車の中に入ってこないのかわからないと思うが、それで不安になるほどではない。これはこれで面白くってしかたがないのだ。鍵をこっちに突き出して、何か言っている。がちゃがちゃ回したりしている。このバカ。いや、だから娘は悪くないんだって。

「ボタン、それ、黒いの。押して押してがちゃっと押してー」
などと、間抜けなことを一生懸命窓越しに訴える。本当に、客観的に見て、間抜けなことになった。マンションなどで、子供によってベランダに締め出されてしまう、という事故が、たまにあるそうで、そのことが思い出される。たぶん、どの子も意地悪でやっているわけではなくて、子供はサッシを閉めて、鍵を閉めて、そのまま開け方を忘れてしまうのだろう。「オータム」という呪文を忘れて元に戻れなくなった王子のように。

 だから、そんなイカす比喩を考えても何にもならないのだ。我々の旅行は今、危機に瀕している。一歳児の双肩にかかっているのだ。
「鍵、かぎー。こっちにこっちに」
と手を伸ばした私達に向けてもう一度笑って見せた彼女は、すっ、と鍵をチャイルドシートの向こう、車内に捨てた。
「ぎやー」
と私は天を仰ぐ。そういうところがあるのだこの子には。こっちのほうが面白いと思ったら平気でそういう意地の悪いことをするのだ。私は慌てて車の反対側に回った。見てどうなるというものではないが、鍵はどこに落ちたのか。落ちた衝撃でスイッチが入ってくれたりしないか。

「いや、待って」
と妻が言う。鍵の本体はチャイルドシートの外に落ちたが、娘の指先に、キーホルダーの環になったところが、かろうじて引っかかっている。完全に捨てたわけではなかったのだ。
「それ、こっち。鍵。ぎゅっと、ボタンー」
わけのわからないことを言いながら、ふたたび必死の呼びかけが続く。周囲に人影がなくて、本当によかった。娘は、幸いにも鍵を振りほどくでなく、手元に持ってくると、いじりまわしたり、こっちに向けて「ほしい?あげなーい」という格好をしてみせたりしている。たまにボタンのところに手を伸ばしたりしているのだが、押し込むには至らない。

「押して。そこ、ぎゅっと。ほらここんとこ、ぎゅっと」
似た形(でもないけど)の手首を握って言ったりする。なんでこんなことに。ああ、頼むたのむ。君は悪くないから。絶対怒らないから。当たり前だ。怒られるなら私だ。ぐっと押しな。すると。

 がちゃっ。

「ああっ、開いたっ」
 私はすばやく、ロックの開いた扉をあけると、娘の顔をぎゅっと抱え込む。声が震えた。ちょっと泣けた。それから、笑った。

 事件の始まり、鍵を閉じこんでしまってから、およそ五分ほどの間だったろうか。無事解決したから言えるのかもしれないが、傍目に見ると、そんなにまれな事故でも、ドラマティックでもない、間抜けなだけの事件だったかもしれない。実際、何度か考えたように、JAFか鍵屋を呼べばそれだけのことだったし、幸い(本当に幸い)晴れている真夏の昼間ではなかったので本当の意味での危機ではなかった。そういうふうに、言うことはできる。

 でも、あなたが忘れても私は覚えておこうと思う。娘は一歳半のとき、初めて親たちを本当の意味で救った。本当に助かった。そしてそのことを記念するために、あまりここに書くようなことではないのを承知の上で、書き残しておこうと思って、一回分として書くことにした。他の種類の読み物を求めてここにいらっしゃった皆様におかれましては、どうぞお許しください。それから、くれぐれも、いくら頼まれても子供には鍵を持たせませんように。


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