都市伝説

 私は、ビールを飲んでいた。そこにはビールしかなかったのだ。目の前にあるビールを飲み干すと、ピッチャー一本分の新しいビールが注文される。ビールにしても、たとえば黒ビールのような他の種類が注文できるはずなのだが、やってくるのは常に普通のモルツだった。一行のうち、店員に注文する係の男がひたすら「同じものをもう一つ」と言い続けているのだろう。私の脳裏には「鉄板に生卵をぶつける」とか「戦況を把握しないまま漫然と突撃を命じる司令官」さらには「オラオラ、グラウンドもう十周だ。遅れたものがいたらさらに十周だ」などと、脈略のない連想が浮かんでは消えていた。

 その飲み会は、私の古い悪い友人、仮にBとするが、Bによって企画された飲み会だった。3日前までは影も形もなかった企画であり、主観的に言えば突然現実化した飲み会であったが、それもBの性格の一面を表している。彼という人間を浮き彫りにするエピソードにはこういうのがある。彼との共通の友人の一人が、この夏、結婚した。新婚家庭を横浜に築いた、という葉書が届いたのは秋口である。そこには、二人の写真と新住所とともに、こういう言葉が手書きで書かれていた。
「新居を構えました。近くなのでぜひ遊びに来て下さい。p.s. Bはすでに来た!」
 というわけなので、新婚家庭に来て欲しくないと思っているB関係者は、彼に新居のお知らせを出さないほうがいいと思う。

 まあ、そうはいってももちろん疎んじているわけではなく、そういうところもまた頼もしいというか、私にはない部分で尊敬しているところなのである。旧友は貴重である。強引で自分勝手な旧友はもっと貴重である。彼は生来幹事体質というか、企画者体質であって、いつもどこからか飲み会の話を持ってくる。人数が足りないから、といって誘ってくれる友人は本当に得難いものである。ただ、このビール好き加減、同じビールを何度も頼んでしまうところは直したほうがいいと思う。もう、腹ががぼがぼだ。

 さて、そこは関西人とそれ以外の人が半々くらいの飲み会だったので、東西の文明論のようなものに話題は発展していった。
「ああ、今のタイミング。なんでボケへんかなあ」
「まあ、他地方の人間というのは、ボケとツッコミを心得ておらんからな」
「関西では自己紹介の順番の最後の人間は『三波春夫でございます』程度のボケはせねばならん。それが最低のマナー」
「ノリツッコミの一つもできないような人間は社会人として不完全」
「だから、関西人の子供は、いじめを受けても、こう思うわけだ。『うわ、俺今むっちゃオイシイやん』」
 どこが文明論か。ちなみに、話の流れ上、我々は嫌みなほどの関西弁で話していたわけだが、文章で関西弁を書くとなかなか「くどい」ので、ここでは標準語に変換して記録することにする。
「それって、都市伝説みたいなものか」
 と、どういう文脈でか、私はBに話しかけた。
「都市伝説?」
 Bは、きょとんとしている。
「おいおい。何も『燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや』の意味を答えよ、と言ってるんじゃない。『都市伝説』という言葉くらい知っていてくれ」
「どっちも知らん。説明してくれ」
 おかしなことになった。
「人面犬とか、ピアスの穴から神経が出てくるみたいなやつだ」
「ピアス。なんだその話」
「ほら、ある人がはじめて耳にピアスの穴を開けた。すると、そこから白い紐が出てきて」
「ふんふん」
「引っ張るとどこまでもずるずると伸びる」
「それで」
「えいっ、と引っ張ったらぷつんと切れて、ぱっと目が見えなくなった」
 これはもう、ずいぶんと使い古された話である。ああ、その話、有名じゃないか。というリアクションを期待していたのだが。
「いい加減な話、するなよ」
「は」
「そんなことある訳ないじゃないか。視神経がそんなところを通っているわけがない」
「おいおい」
「またおかしな話、作って」
「いや、これは俺が考えたんじゃなくて」
「なあみんな、こいつはこういう嘘をつくっては本当っぽくいう癖があるから、信用しちゃいけないぞ」
「こらこら。確かにそうなんだが。いや、この話は作り事じゃなくて、そういう話が流布していたという」
「知らん知らん。もう聞かん」
 すっかり私の作り話にされてしまった。こういう話が口裂け女みたいにまことしやかに語られていた、という話をしたかったのに。私はあきれて言うのだった。
「…お前、本、読まないだろ。最後に読んだ本は『演習・ベクトル解析』とかだろ」
「そうかもしれん」
 B。君って奴は。

「ねえ、君は知ってるでしょ」
 私は別の人に話しかけた。
「ええ、もちろん。この話、有名なのにねえ」
 ほら見ろ、という目つきで、Bをにらむ。
「それにしても、怖いね、ピアス穴をあけたら気をつけないといけないね」
「は」

結論:都市伝説の例としては「ピアスの穴から視神経」は不適当である。


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