理と工

 「徒然草」は雑文であって兼好は雑文書きである、と看破したのは「それだけは聞かんとってくれ」のキースさんだが、昨今すっかりダメ雑文コーナーと化したこの「大西科学における最近の研究内容」、その目指すところは実はアイザック・アシモフであったりする。アシモフの科学エッセイを読んだことがおありだろうか。「われはロボット」「夜来る」「銀河帝国の興亡」などで知られるSF作家であり、生化学の博士でもあるアシモフ博士が、その博覧強記をもって、さまざまな科学のトピックについて分かりやすく解説するというものである。よく練られた比喩や、ユニークな視点で、楽しくてためになることでは、他の追随を許さないものになっている。私はこのエッセイに憧れ、かくあらんとしてこの「大西科学」を始めたものである。ところがフタを開けてみれば、皆さんよくご存知の通りのありさまとなっている。自分の能力の理想と現実とのギャップに毎晩枕を涙で濡らしているところである。

 さて、そのアイザック・アシモフの書いたエッセイの中に、余談的な挿話として「unionized」という単語の話がある。化学者と、一般の人を見分けるためには、この単語を読ませてみればよい、というものだ。普通の人はこれを「union」+「ized」と読む。連合した、というような意味である。一方、化学者は職業柄「un」+「ionized」と解釈してしまう。これはイオン化されていないということなのである。発音は、前者が「ユニオナイズド」、後者が「アンイオナイズド」になるので、単語を提示して声に出して読んでみるように言えば、化学者を区別できるというわけだ。

 それと似たようなことなのだが、理学部出身者と工学部出身者をいかに見分けるか、という話を思いついたので書いておこう。それは何だとか、見分けてどうするのか、という疑問が読者の胸をよぎるに違いないのでここでまず説明を入れる。理系の人間は二種類に分けられる。オタクとオタク以外だ。間違えた。理学部系と工学部系である。前者は大学の理学部で教育を受けた者で、後者は工学部で教育を受けた者だ。同じではないか、と思う方がいるかもしれないが、違うのである。たとえば、どこで聞いたのか忘れたが、こんなジョークがある。

「3以上のすべての奇数は素数である」ことの証明。
数学者 「3、素数。5、素数。7、素数。帰納法により、命題は正しい」
物理学者「3、素数。5、素数。7、素数。9、素数ではない。11、素数。結論、誤差の範囲内で命題は正しい」
工学者 「3、素数。5、素数。7、素数。9、素数。11、素数。…」
フェルマー「画期的な証明を思いついたが、ここには記す余白がない」

 しかし、これはどういうことなのか。工学者はいい加減、ってことか。「物理学者」のくだりはとてもよくわかるのだが。

 この両者は、その研究内容の違いから、もののことわりを明らかにしようとする態度と、手もとにある道具を使っていかに生活を豊かにするかという態度の違い、と説明される。理想主義と実利主義と言い換えてもいい。確かに実感として、私の友人をざっと見回してみると、理学部の者より、工学部出身者のほうが人当たりのよい、人間としてバランスの取れた者が多いような気がする。一例を挙げると、私の過去の文章に登場した中で、ビール好きのB君が工学部で、リアカーで引っ越したプロレスファンの彼が理学部である。ちょっとあざとい例だったか。

 まあよろしい。こんなにも違う二人だが、まあ部外の方から見ればどちらも同じオタクどもであろう。では、あえて見分けるとしたらその方法は何か。たとえば、ローレンツ力について質問すればいい。「電荷を持った粒子が磁場の中を運動すると…」と説明を始めたら理学系、「磁界の中の電線に電流を流すと…」と言ったら工学系である。「ローレンツ力って、なに」と言ったら、外国のスパイ組織のエージェントか宇宙人なので一目散に逃げること。「待ってくれ、五分待ってくれたら思い出す」と言ったら、物忘れが激しくなっているだけである。

 なんだかわからなくなったが、要するに「電場」と「電界」あるいは「磁場」と「磁界」の違いである。両者の意味するところはまったく同じで、ただ「electric(magnetic) field」の訳語をどうするかの違いに過ぎない。だが、伝統的に理学部では「電場」、工学部では「電界」という訳語をこれにあてることになっていて、それぞれで教育を受けるとどうしても他の言葉に違和感を感じるようになってしまうということである。同様に、虚数単位をiで書くのが理学部、jで書くのが工学部であるが、これは少々日常会話に登場しにくい。

 「電界」「電場」だが、どうしてこのように訳語がバラバラになってしまったのかはよくわからない。たぶん何か歴史的な経緯があるのだろう。私は理学部で教育を受けたので電場、磁場になじみが深いわけだが、どっちが正しい、という問題ではない。ただ、一応誰に聞かれても「場」が正統と答えられる根拠はある。重力場、電磁場、場の理論という言い方はするが、重力界、電磁界(※)、界の理論とは言わないので、「場」を使っておくのがいい。ね。

 現場でこれらの衝突がどうなっているのかは、まあ言ってみれば「Linux」「GNU」「TeX」の読み方と同じようなものであって、大変醜い争いが生じる。
友人B「やあ、さすがD○Iポ○ット。こんな駅の中でも電界強度は最大だ」
私「電界…。ああ、電場の強さな」
B「電界強度だ」
私「電場」
B「なにをこの、理学部のオタク野郎」
私「言ったなこの、工学部のオタク野郎」
 もう、なにがなんだかよくわからない。工学部出身者の反論を待ちたいところである。


(※)1999.5.17追記。電磁界という言い方は、するそうであります。
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