ビバ・タカラクジ

 宝くじに金を使うなんてのはあれは畢竟無意義で不経済でむだ遣いであって、私と少しでも財政的繋がりがあってその人の経済的浮沈が私のフトコロ具合に多かれ少なかれ関係するたとえば父母兄弟伯父伯母従兄妹配偶者子供孫飼犬飼猫飼金魚といった辺りがやっているとしたらこれはやめたがよいと説得するわけであるが、そして自慢になってはナンだが私が本気になったときの白を黒と言いくるめる説得力というのはどうして大したものであってそのへんのシロウトさんでは太刀打ちできないのであって、今や私の六等以内の血族および三等以内の姻族いわゆる親族で宝くじの悪癖を残す人は一掃されてしまった、わけではないが、まあなんだそれに近い状態である。説得力、ないですか。

 しかし、これが赤の他人となると話はまた別であって、競馬競輪競艇オートレースその他公営バクチでスった金同様、諸君が宝くじを買うために濫費したお金は回り回って余のため違った世のために使われるのであって、大歓迎ウェルカムゴーゴーであることをここに宣言するものである。なにも宣言しなくてもいいのだが、たとえばこんな風に面と向かって言われると、なんだちくしょうじゃあ宝くじに散財するのはやめよう、と思われてくるので不思議なものである。

 それにしても、こんな意地悪な視点を持ちだすのも、宝くじなんか当たらないんだから無駄なことはやめろよ、と正面から相手を説得するのは実は結構難しかったりするからであり、たとえば、こんな話がある。舞台はレストラン、うまそうにタバコをふかす喫煙者、それをニガニガしく見つめる非喫煙者。
「タバコなんて、そんな無駄なもの吸う気持ちがわからんよ」
「すぱー。無駄ってなんだよ。すぱー。無駄なんかじゃないぞ嗜好品だすぱー。うまいぞすぱー」
「ごほごほ。あのな、考えてもみろ、キミ、一日にヒト箱吸っているだろ。二四〇円。一週間だと一六八〇円だごほごほ」
「そうだなすぱぱー」
「ごほほ一年だとこれが八七六六〇円だ。一年は三六五・二五日だからなごほほ」
「すぱー。正確には三六五・二四二二日だが、まあよかろうすぱすぱー」
「十年間だと八八万円だ。ごほ。軽自動車が買えるんだぞ。ムダだろう。が、ぐは」
「すぱー。すぱー」
「がほ。だからやめろ、ごほほ」
「なるほど、ではお前はなんで車持ってないんだ」

 なんたることか、日々の無駄を省いたとしても、それをなにかの目的で積み立てたりしないかぎり、やっぱりお金なんてたまらないものなのである。よく、保険やなんかで、一日につき五十円きりのご負担で納得の保障、などと廉価を強調されてしまったりするが、確かに自販機でコーヒーを買ったりする瞬間「いや、あの保険に入ってるんだから、今のこの分を回すことにしてココは我慢しよう」と考えたとしたら、保険の分は丸もうけになる。自販機でコーヒーないしカラダバランス飲料を買わなくっても、これでけっこう、人間というものは生きてゆけるものだ。宝くじ購買者にもこの伝で、半年ごとの一万円ほどの出資でチャンスを買っているのだ買ってないお前にはチャンスはないしそのうえそのお小遣い一万円でお前というやつは何を買ったのか将来実がなるものを買ったのか、と言われたりするととたんに悩んでしまう。ええと、このアップル純正透明マウスかしら。確かに無駄ではなかったかしら。

 もう一つ、宝くじなんて当たらん、といいたい場合にやりがちなのは「期待値」による批判なのであるが、こっちもイマイチ説得力に欠けることはここまで読んでいただいた諸賢には自明のことであろと思う。麻雀なら、四人でやって腕が同等なら公平にチャンスがあって期待値はゼロである。儲かるかもしれないし、損をするかもしれないし、ヤキトリの烙印を押されるかもしれないし、また目の下のクマが唯一の収穫だったりするかもしれない。だが、宝くじは一万円出して、払い戻される平均のお金は四五六〇円くらいなのだ、今調べたのだが。どうだ損だろ。
 そうは思わないのである。そういう投資家のような手堅い意図をもって宝くじ出資者は大切なお金を出しているわけではないのだ。たまに出る、期待値を遥かに越える収穫を期待するからこそ、くじを買っとるのである。下ヒトケタ当たったこれでまた三百円などと喜んでいるワケでは、ないのだよ諸賢。どうよ諸賢。

 確率論はちょっとこれよりマシかもしれない。たとえば、ロト6という新しい宝くじがあって、ロトシックスと読む。「ロト病」の複数形である。ドラクエVII終わりましたか。私は買ってません買ってないのです。ええとなんだ、これはつまり、四三個の数字から六つを選んで当たりと一致したら当たりである宝くじである。順番はどうでもいいらしい。ではどのくらいの確率で当たるのか、中学生くらいの数学の素養があれば計算できると思う。あなたもやってみて欲しい。始め。はい時間切れ。正解は1割る436だから(6×5×4×3×2×1)/(43×42×41×40×39×38)でだいたい六一〇万分の一だ。

 しかし、モンテカルロの名にかけて、六一〇万分の一だぞ六一〇万分の一。当たると思うか、と聞いてみても、驚くべし、へえそれで、と言うものなのである宝くじ愛好家というものは。六一〇万分の一上等、オレ以外に当たらんということだなそれはつまり、と涼しい顔をして言うわけなのである宝くじフリークというやつは。
 言い換えてみよう。六一〇万人に一人というと、ギニアで一人とかチャドで一人という確率である。なんだ高そうではないか。ああほれ、一辺二五〇〇メートルの正方形を書いたとして、これはだいたい東京の千代田区とおんなじくらいの面積だが、そこでどこか一平方メートルくらい掘り返して、宝が出てきたらそれが一億円、といってもいい。どうだ辛そうだ。それからあれだ、タテヨコタカサそれぞれ十八メートルの立方体、というと普通の体育館くらいだろうか。そこで、目隠しして、手を一回だけぱちんとやる。うまく蚊をそのぱちんで潰せたら一億円だが、体育館に蚊は一匹しかいないのである。と、なんだか、北斗神拳の一つも習っていれば簡単にできてしまいそうな気がしてしまうのだが、心の目は使用禁止なので、開眼してはいけない。
 以上、書いといてなんだが、どれも今一つ、積極的な説き伏せパワーに欠ける気がするのは否めない。なんだかロトくじのマークシートを見ていると計算以前の人情としていかにも当たりそうな気がしてくるからかもしれない。あれには、麻薬かなにか塗ってあるのではないか。

 というわけで、宝くじを買わせないようにする唯一の方法は、どんどん買って地方公共団体の財政を潤してくれたまえ、と冷たく告げるべし、ということになってしまうのだが、考えてみれば喫煙者に「がんばって税金をおさめてくれたまえ。特に地元で買ってくれたまえ」と言ったところで、なにくそと思ってタバコをやめてくれるとはあまり思えないのでやっぱり無駄かもしれない。ごほごほ。


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