去っていった猫

 春。祖父が亡くなって、私は大学の研究室を抜け出し、故郷に戻ってきていた。祖父はすこし前からずいぶんと弱っていて、帰省するたびにその姿を見るのが辛かったものだが、最後にはとん、と音を立てるような急さで、この世を去った。田舎のことで、祖母や父母、集まってきた近所のおじさんおばさんたちの手によって、通夜、葬式と、なにもかもが急速に進んでゆき、私は各地から集まった弟やいとこ達と一緒に、ただ呆然としていた。いや、本当は父だって呆然としていたのだろう。やることがあまりに多いので、それを人に見せる暇がなかったのだと思う。

 さて、そのころ私の家には二匹の猫がいた。どちらも白猫で、二匹は母娘の関係にある。その母親猫である、ゆき、は私が中学生の時に、橋のたもとで子猫の彼女を拾ってきたものだった。猫らしいというべきか、実に気難しい猫で、彼女が何かの拍子に私のひざに乗ってくるようなことがあると、その珍しさに私は「雪が降ってきた」と表現したほどだ。昼間は家に居着かず、隣接する広い畑の彼女の帝国の見回りや、長い午後を陽光の中でのまどろみに費やして、私達人間にはすこぶる冷淡な態度を取っていたものである。

 やがて、祖父の葬式が始まった。正月と盆をのぞいてめったに使われることのない床の間が、葬式のためにすっかり整えられて、祖父の遺影が飾られ、親戚一同がその部屋に集った。近所のお寺の住職がやってきて、お経を唱えはじめる。私は長男の長男という家族内の位置づけからなのか、最前列右端近くに正座していることになった。私は、祖父が生きていたときのことを考えたり、家族が一人減ったということがどういうことなのかを考えたり、あるいは左手に持った数珠の玉の数をなんとなく数えたりして意識を飛ばしていた。ふと横を見ると、そこに猫がいた。ゆきだった。

 なにをしに来たのだろう。と、私は、お経に傾けていた意識をすこし外して、ゆきを見た。仏壇の方まで歩いて出ていってしまうようなら、止めなければいけないなあ、と考えたりしていると、信じてもらえるだろうか、彼女は私の右横、やや前くらいまで出てくると、そこに奇麗に座った。じっと祖父の遺影を見ていたのである。

 そもそも、このように人が大勢いるところに出てくるような猫ではない。生け花が飾られて香が焚かれ、走馬灯が回り、いつもと違った雰囲気に飾り立てられた床の間であればなおさらである。だが、彼女はそのまま、何をするでもなく、ただ座って、お経を聞いているかのようだった。

 祖父を悼んでいるのでないとすれば、果たしてその行動が何を意味していたのか、私の経験、わずか二匹の猫と付き合った経験からは判断できない。私、それから弟の一人が大学に通うために家を出て、少なくなっていったゆきにとっての家族が、その日また一人減った。そのことを知っていたのかどうか。ともかく、その時の彼女は、かつて望むまま餌をくれた、親切な人間の一人を悼み、別れを告げているように見えたのである。

 そして、ゆきが私達の前から姿を消したのは、その祖父の命日の六年後のことだった。その頃、故郷を、さらに遠く離れていた私は、母親からの電話でそのことを知った。

 猫はそうするものだ、と聞いてはいた。彼女はただ、ふっと姿を消し、そのまま、帰ってこなかった。歯を痛め、固い食べ物が食べられなくなり、痛々しく痩せ細って、元気を無くし、しかしそれがどういう感情の変化に繋がったものか、長い間仲の良くなかった娘猫との不仲を解消し、人間の膝が好きになった。背中を端から端まで撫でてもらって、真っ白な毛がつやを取り戻すのが好きになった。そうして、あるとき、いなくなった。

 夢を見た。元気だった娘時代のゆきが、五匹も、猫というよりは鼠か何かに見える、毛もまだ生えそろっていない仔猫を生んで、押し入れの奥の段ボールの中にいた。彼女の乳房にぶら下がるように吸い付く子らを守るように、前肢と後ろ足の間に抱え込んで、しかし一見仔猫らには無関心を装う風でもあり、こちらを見返していた。彼女の奇妙な黄色の目と青の目が、二つともに私を見ていた。目が覚めて、私はちょっとだけ、ほんの少しだけ、泣いた。

 あとから考えてみると、彼女のいなくなった日は、ちょうど祖父の七回忌の命日だったそうである。私は、この一致に何かの説明を加えることはできそうにない。ただ、彼女にまつわる数多くの不思議の一つとして、事実を記しておこうと思う。


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