痛いのは飛んでゆかない

 昨今の、警察だとか、官僚だとか、大企業だとか、そういったところがしばしば起こしている不祥事の報道を見ていると思うのだが、世間は「嘘をついた」「事件を隠した」ということに対してたいへん厳しい見方をするものである。ある意味で、内部の事件の影響をなるべく低く押さえようというのは組織の自然なありかたであるとは思うが、素直にミスを認めず虚偽を発表し、またなんとかうまくごまかしてウヤムヤにして、という姑息な手段に非難が集中することが多い。嘘をついたということが、事件そのものよりもむしろ大きな問題になっている場合もある。

 嘘をつくということはあまりにもよくある罪で、私たちも日常多かれ少なかれ嘘をつきながら生きているはずである。たぶん、実は世の中は基本的なところではお互いの正直を当然として、嘘をついたら厳しい罰を受けるということを前提として、成り立っている部分があるので(たとえば食品の品質など)、嘘にこんなにも腹が立つのかもしれない。

 子供の時、転んで怪我をして泣いた経験は、まず、どなたにもおありのはずである。それを見ていたあなたの親などに、こういうおまじないをしてもらったことがあるのではないだろうか。
「いたいの、いたいの、とんでけー」
 昔から、かなり真剣に疑問に思っていたのだが、これは、子供を騙(だま)そうとしていることにならないだろうか。当たり前だが、子供にしてみれば痛いから、早く手当てをして欲しいから泣いているのである。それを、飛んでゆけとは何事か。騙そうったってそうはいかないぞ、オカルトに頼るんじゃないオカルトに、と。

 子供が転んだ程度の痛みというのは、実はしばらく我慢していたら本当に消えてなくなるようなものであることが多く、呪文を唱えている間ほどの短い時間、我慢してごらん、ほら治った、というような意図が込められているのだろうとは思う。しかし、そうはいっても、大人だって完全な人間ではなく、単なる気休めでこの呪文を使うことだって多いはずで、やはり子供としては、騙された感がぬぐえないのである。こうして子供は人の言うことを信じない、懐疑主義者になってゆくのだろうと思う。

 さて、私がまだ小さかった頃、夏休みや連休などを利用して、母の実家に泊りにゆくことがあった。子育てから母をいっとき解放するというありきたりな意味合いもあったのだろうが、その他に、初孫である私が遊びに行くこと、それそのものが、長い間内孫ができなかった母方の祖父母にとってはひとつの贈り物となっていたことに、私はかなり成長するまで気がつかなかった。しかし、当の子供である私にしてみると、いつも甘えるだけ甘やかされていたのに、どこか世話になっているというか、祖父母の手を煩わせてしまっているという罪悪感もあったとは思うのだが、母の実家での数泊を心から楽しんでいたとは言えなかった。

 祖父母の家で暮らす休日の日々の、そのわずかな不安感の原因の大部は、なんといっても、夜が更けてさあ寝ようとなったとき、添い寝を買って出てくれた祖母が、私を寝かしつけるために話してくれた物語の数々にあったのだろうと思う。仏壇のある部屋(ただし、その仏壇には、まだ仏様は入っていなかった。新宅なのである)に一人寝かされた私に祖母が好んで語った物語とは、某太郎や某姫が登場する気楽な昔話などではなく、恐るべし、祖母の親類が遭遇した「臨死体験」に関するものであった。

 祖母の話に出てくる、その、見知らぬ祖母の姉妹だか従姉妹だかは、何らかの重病でその晩がトウゲであり、救急病院の集中治療室で一晩を過ごしていた。呼び集められた親類達の押しつぶされそうな不安とともに、病院のリノリウムの床の冷たさや消毒薬の匂いまで感じられそうな、祖母の豊かな表現力に圧倒されつつ、話はクライマックスに至る。医者や看護婦達の長い苦闘の末、まずは一夜を切り抜け意識を取り戻した親類は、ベッドに横たわったまま、昨夜の体験について、ぽつりぽつりと語り始めるのである。

 その親類の体験の内容については、よく聞く話とあまりにも一致しているのであとで怖かったのだが、あなたもご存知だろう、花畑を歩いてゆくと、川が流れていて、その向こう岸に既に亡くなった肉親の姿が見えるのである。祖母の話の場合、川には橋がかかっていた。「コッチャコーイ(こっちへおいで)、コッチャコーイ」という懐かしい声に誘われて、橋を中途まで渡ったときに、ふと、背後で自分の名を呼ぶ声が聞こえるのだった。そして、振り返ると。振り返ると。うぎ。うぎああー。

 正直に言おう。読んでいるあなたはどうだか分からないが、書いていてたいへん怖い。冗談抜きで、ここまで書いて読み返して自分でぎゃあと小さく叫んでこれ以上書けなくなった。小学生だった私が感じた恐怖がいかばかりだったか、思い返すと我が事ながら可哀想でならない。そもそも祖母は何と思ってそんな話を私にしたのだか、とにかく母の実家での私は生と死ということについて大いなる恐れを抱きつつ、恐怖に震えながら毎晩眠りについていたのだった。

 こういう臨死体験を扱った記事を何らかの形で読んだことがない人はいないのではないかと思うのだが(私は、こともあろうにまず小学校の図書館で読んだ)、そういう伝奇本とほとんど同じストーリーを、身近な親戚の体験として聞いた私が、伝奇本に書いてあった他の記事、予言だの湖の恐竜だのポルターガイストだのUFOだの雪男だのを含めて「ほんとうにあったこと」として信じる人間になったとしても、無理はなかったのではないだろうか。幸いにして、そうはならなかった。逆に、短期的には憎悪をもってそうした情報を避けるようになり、長期的にはまったくの理系を専門とする人間になった。

 一つには「人はウソをつくものだ」という懐疑主義的な見方ができるようになっていた、ということもあるのだが、やっぱり第一は、そうしたオカルトなトピックが全部怖かった。そして科学は怖くなかった、というのがあるのではないかと思う。私は、証拠を挙げ、妥当な推論を加え、反証を集めることで臨死体験を否定してくれる科学が、好きでならない。懐疑主義者の子供だって、怖いものは怖いのだ。


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