トンネルを抜けて

 以前にも書いたことがあるが、世の中には、物をなくす人となくさない人、その二種類の人間がいる。しかし、こんな私だが、物をなくさない側の人間なのではないか、と信じていたこともあるのだ。

 たとえば電車に乗って、さあ降りようというときに切符がない、買い物をして帰ってきて、やや、財布がポケットに入ってない、本を読んでいて、ちょっとトイレに行って帰ってきて、さあ続きを読もうかと思うとさっきの本がみあたらない。私の場合、こういうことが非常によくある。それはもう、ありのままを話しても信じてもらえないだろうと思うくらいに、よくある。
 そしてそのたびに、情けない気持ちであちこち探しまわりながら、ああ、なんだって私は、とまず自分を責めるわけである。探す。探す。絶望に身をよじりながらあちこち探していると、ところが、最終的には読みかけの文庫本の間だとか鞄の一番小さなポケットの中だとか洗濯カゴの中だとか、そういうところから見つかるのだ。そういうことが続くと、どう思うか。自分はよく物をなくす人間だから気をつけようと思うだろうか。違うのである。ぜんぜん違うのである。

「自分はよく『なくした』と騒いでいるが、その実ちゃんとしまい込んでいる人間なのである。意外にしっかりした人間なのである」

 はっきり言ってこれこそ思い込みであった。そもそも普通の人間は切符を探して改札の前でポケットを全部裏返したりしない。むしろ物をなくす資質がある、なくす寸前のところをいつも助かっているというべきであって、その一線を踏み越えてしまうことが絶対にないかというと、もちろんこれがやっぱりあるのだ。単に「なくしたとまず思う」頻度が尋常でなく高いので「やっぱり見つかったゴメン」という頻度も高いだけなのである。冷静になって考えてみると、一線を越えた、最終的にどこからも出てこなかったという頻度は普通の人よりどうも多いぐらいであるらしい。とてもとても、嘆かわしい話である。

 最近も、PHSをなくしてしまった。高速道路を走る長距離バスなのだが、バスに乗る前にはあったのに、降りたら、なかったのだ。ちゃんと鞄に入れたのは確かなので、鞄のどこか、また分かりにくいところに自分でしまい込んでしまったのだろう、と思っていたら鞄のどこを探してもなかったのである。モノがPHSだけに、そこに電話をかければすぐにでも出てきそうな、非常になくしにくいものであるとは思うのだが、バスの営業所に問いあわせて探してもらったり、自分でも乗り降りしたバス停の周りをうろうろと探し回ったにもかかわらず、ついに見つからなかった。それはもう、鞄のどこかに大穴が開いていて、私のPHSはそこからこぼれ落ちてしまったのではないか、そう思って鞄をひっくり返して確かめたくらい、不思議だった。

 さて、それから数ヶ月。私は同じバスに乗り込んでいた。バスはたいへんに空いていて、ほんの十人ほどが乗っているばかりである。私は、あのときのことを思い出さずにはいられなかった。既に新しいPHSを買ってきたこともあり、いまさら出てきてもどうしようもないが、失ったメールや電話番号簿が惜しくはある。本当に、網棚かどこかにふと残っていたりしないものだろうか。
 ああ、やっぱり残ってないなあ、と、そんなことを考えながら、読みかけの本を広げた私の足の上に、ふと、ごとん、と重い音を立てて、なにかが落ちてきた。拾い上げてみると、携帯電話だった。

 もちろん、私のものではない。最近はなぜか若い女性はたいていこれを使っている気がする、なんというのかNTTドコモのiモードの、半分に折り畳めて画面が緑色だったりする携帯電話だった。どうも、今し方、前の席から落ちてきたらしい。そのまま放っておくわけにもいかず、私はバスの前の席の背もたれを乗り越えるようにして、前の人に話しかけた。
「もし」
「?」
「もし、つかぬことをおうかがいしますが、あなたが、これを落とされたのではないでしょうか」
「…あっ、ほんとうだ、すいません」
 前の席に座っていたのは、べつだん若い女性ではなくておばさんだったが、ぺこぺこしながら、私から携帯電話を受け取った。私はかなりいいことをした気分になって席に戻った。

 どうして前の席から携帯電話が足の上に落ちてきたりするのだろう。私は、前の席を調べ始めるわけにもいかないので、自分の座っている座席を子細に点検してみたのだが、どう考えても、そんな大きなものが席の下に滑り落ちるようなすき間はない。席の両側から落ちたならわからないでもないが、席の間はかなりきっちりと作られていて、薄い名刺のようなものでないかぎり、とてもその辺りから物が落ちたりしそうにない。足の上に落ちてきたのが勘違いでなければ、いったいどうやって席のすき間をくぐり抜けて来たのだろう。

 そもそも、こういう「絶対に抜けられるはずがない壁を乗り越える」という現象は「トンネル効果」と呼ばれる。量子力学で説明される特殊な効果で、たとえば原子核に強く結びつけられて絶対に離れるエネルギーを得られるはずがない粒子が、一瞬だけあり得ないエネルギーを発揮して、壁を乗り越えてしまうことがあるのだ。まるで見えないトンネルがあるみたいにみえるので、トンネル効果という。
 もちろん、私たち人間や携帯電話のような、目に見えるくらい大きなものでそういうことが起きることはないので(とはいえ、ごくごくわずかな可能性はあるらしい)私たちはオリの中のトラに安心して近づけるわけだが、そういう超常現象じみたことが起こったとしか思えない、妙な出来事だった。

 出来事だった、とまとめを入れたところで、私は、読みかけの本に戻った。と、そんなこんなで十分くらい間があっただろうか。しばらくして、また、足もとで、何かが落ちてきた感触がするのである。

 今度は、からん、という軽い感じの音だった。私は、落ちてくる瞬間を見のがしたことを心底残念に思いながら、拾い上げてみた。編み物で使う編み棒だった。そういえば、さっき携帯電話を返したときに、前の人が編み物をしていたような気がする。やはりすき間をくぐり抜けてくるようなものではないが、いったいどこから。私は、なぜかかなりの恥ずかしさを感じながら、また座席の背もたれからすこし身を乗りだして、前の人に話しかけた。
「もし」
「はい」
「もし、つかぬことをおうかがいしますが、あなたが、これを落とされたのでは」
「…すいません…何度も…」
 たいへんに恐縮しておられた。私もなんだか良いことをしたというよりは、恥ずかしくなって、早々に自分の席に腰かけ直した。

 結局、なにがなんだかわからない、という結論になったのだが、どうも、私には知覚できない、なにか大きなすき間があることは確かなようである。というわけで、中国高速バス、新大阪19時55分発山崎ゆきでは、トンネル効果が猛威を振るっており、鞄から物が消えたり、落とし物が吸い込まれたりする。物をなくさない側の半分に属するみなさんも、十分お気をつけられたいと警告を発する次第である。


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